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2014年1月30日
前回の記事「根尾谷地震断層観察館に行ってきました」で述べた通り、
管理人は、先日、岐阜県の根尾村(現本巣市)に行ってきたのですが・・・
実は、その時に、個人的に、気になる地名に遭遇していました。
それは、、、本巣市"真桑"という地名です。
管理人は、ここでピーンと来たんですが、、、
これ、マクワ瓜のマクワなんじゃないだろうか?
・・・と直感的に思ったのです。
▼マクワ瓜
で、実際調べてみると、、、実はその通り。
美濃国真桑村(現:岐阜県本巣郡真正町下真桑)こそが、真桑瓜の産地だったのです。
「Wikipediaで真正町」を調べると、ちゃんとそれが記されています。
真桑瓜(マクワウリ)は、この瓜が真桑村で盛んに栽培されたことから来ていた。
この瓜ですが、その栽培起源はかなり古く、
起源前3世紀~起源2世紀ごろには、既に日本に伝わっています。
奈良の唐古・鍵遺跡にも、瓜の種子が出土されていますので、
弥生時代には、既に瓜が食べられていたようです。
▼唐古・鍵遺跡の復元楼閣
また、美濃国真桑村に瓜が伝わったのは、本巣の古文書によると、
「鳥が種をくわえて運んできた」とも言われているようです。
そして、真桑瓜となった名前の由来については、4~5世紀ごろに、
岐阜の真桑の瓜が、応神天皇に献上されて、素晴らしいと評価され、
現在にも伝わる真桑瓜という名前を貰ったのだそうです。
参考:http://www.motosu-education.jp/makuwa/kids/makuwauri/
こうして見ると、瓜だけでも、様々な歴史があるのだと痛感しますね^^;
それで、この事をきっかけにして、、、
この美濃地域の古代史を調べてみると、なかなか面白い事が分かってきました。
実は、古事記において、「瓜」という漢字が出てくる箇所は、たったの2箇所です。
人名として2箇所で出て来ます。
まず、一人目は、允恭天皇と忍坂大中姫の子である、八瓜之白日子王です。
(この方は、目弱王の謀反時に、雄略天皇にきり殺されています)
そしてもう一人が、日子坐王(ひこいますおう)と
息長水頼比売(おきながみずよりひめ)の子である、神大根王(かむのおおねのみこ)、
またの名を、八瓜入日子王(やつりいりひこのおう)という部分です。
それで、この八瓜入日子王を調べると・・・
下記のように書いています。
八瓜入日子王 やつりいりひこのおう
古代伝承上の豪族。開化天皇の孫。
「古事記」によれば,日子坐王(ひこいますのみこ)と
息長水依比売(おきながのみずよりひめ)の子。三野(みの)(美濃)の本巣国造(もとすのくにのみやつこ)である長幡部(ながはたべ)氏の祖。
娘ふたりが景行天皇の皇子大碓命(おおうすのみこと)(大碓皇子)と密通した。
「日本書紀」には,名は神骨(かむぼね),美濃国造とある。神大根(かむおおねの)王ともいう。
ああ、やっぱり。
瓜が名前に付いた八瓜入日子王は、本巣市に縁のある人物なのです。
しかも、八瓜入日子王の父は、開花天皇の皇子で、
祟神天皇の異母弟とも言われる日子坐王(彦坐王)です。
▼佐波加刀神社 (滋賀県木之本町川合)
※祭神が彦坐王。神紋が一宮のマークで、彦坐王が岐阜に移る前の拠点と思われる
※ただし、籠神社の宮司の海部氏によると、「祟神天皇(御間城入彦五十瓊殖天皇)は征服者で、 入り婿であった」との証言もあります。
したがって、彦坐王と祟神天皇は、血がつながってない可能性が高いと管理人は見ています。
この日子坐王も、美濃を領地として、子の八瓜入日子(神大根王)とともに、
治山治水開発に努めたとも言われ、岐阜県岐阜市の伊波乃西神社の祭神にもなっています。
▼伊波乃西神社(岐阜県岐阜市岩田西3丁目421)
ですので、相当古い時代から、美濃は開発されていた地域だと思いますし、
また、その時代から既に、本巣でも瓜が作られていたのだと思われるのです。
で、そうなってくると、気になる物語が、一つ出てくるわけです。。。
それは、、、【瓜子姫と天の邪鬼】という話です。
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少しマイナーな物語なので、知名度的には今一つですが、
全国的に、知られている物語の一つです。(ちょっと怖い話です)
瓜子姫のお話を知らない方に、下記にそのストーリーを載せます。
しかし、瓜子姫には、全国的に決まった「型」にはまった文献がありません。
そのため、地方によって、瓜子姫が殺されるバージョン(東日本に多い)や、
カラスが鶏になったり、鶯になったり、鳶になったり、色々なバージョンがあります。
以下は、最もオーソドックスなバージョンでの話です。
<瓜子姫と天の邪鬼>
昔々、あるところに、お爺さんとお婆さんがいました。
お爺さんは、山に行って薪を取り、お婆さんは川で洗濯をしていました。ある日、お婆さんが川に行くと、川上の方から瓜が一つながれてきました。
それを拾って家に持ってお爺さんと二人で切ってみると、
その瓜の中からかわいい女の子が生まれました。瓜から生まれたので、瓜子姫と名づけられ、大事に育てられました。
だんだん大きくなって、後に良い娘になって毎日毎日機を織りました。
▼織田の木瓜紋(これも瓜を輪切りにした図形)
ある日、村一番のお金持ちの長者の若者が瓜子姫を嫁に欲しいと言ってきました。
それで、お爺さんとお婆さんは喜んで、瓜子姫を一人家に残し、
町に嫁入り道具を買いに行くことにしました。「瓜子姫や、誰が来ても戸を開けてはいけないよ。
山からおそろしい天邪鬼がくるかもしれないからね」
そういって、二人は町へ行ってしまいました。
さて、瓜子姫が機屋で布を織っていると、 はたして天邪鬼が家にやってきて、トントントンと戸を叩きます。
「瓜子姫、ここを開けてくれ」
瓜子姫は、お爺さんが言っていた天邪鬼だと思って、戸を開けませんでした。しかし、天邪鬼はあきらめません。
「開けてくれ。手が入るくらいで良いから開けてくれ」
瓜子姫は、最初は「叱られるから嫌だ」と断ったのですが、
あまりにしつこいので、ほんの少しだけ戸を開けてやりました。すると天邪鬼は、今度は、「頭の入るだけ」と言い、
今度は、「体の入るだけ」と言い、、、
とうとう家の中に入って来てしまいました。
「瓜子姫、長者様の裏にうまい柿がなってるぞ。柿を取りに行こう」
瓜子姫はしぶしぶ、天邪鬼と柿を取りに行くことになったのでした。そうして天邪鬼は、まず自分が柿の木にのぼって、
美味しい柿をむしゃむしゃ食べはじめました。瓜子姫が「私も食べたい」と言うと、
天邪鬼は、瓜子姫には、渋柿を取って投げつけます。それで瓜子姫は、自分が柿の木にのぼることにしましたが、
今度は、天邪鬼は瓜子姫に汚い自分の着物を着せて、
さらに、瓜子姫を柿の木の高い枝に縛り付けてしまいました。そうして天邪鬼は、まんまと姫に化けて、
(瓜子姫の代わりに)家に帰って機を織るのでした。
▼四天王像と足で踏みつけられている天邪鬼
お爺さんとお婆さんは家に帰ってきましたが、
天邪鬼が姫に化けていることを知りません。そして、そのまま姫を長者様に嫁にやると言って、姫を駕籠に乗せました。
いよいよ輿入れとなり、嫁入り衣装を着た天邪鬼が、
駕籠に乗って外に出て来ました。その時でした。一羽のカラスが、
「瓜子姫は乗せないで、天邪鬼が乗った、カァカァー」と鳴いた。それでお爺さんは「おのれは天邪鬼であったか!」と
籠から天邪鬼を引きずり出し、瓜子姫を柿の木の上から救い出しました。
天邪鬼は三つに切られて、
粟の根に一切れ、蕎麦の根に一切れ、黍の根に一切れとその体を埋めた。今、粟・蕎麦・黍の根が赤いのは天邪鬼の血に染まったからだと言う。
※上記で赤字で示した部分は、今回は具体的な説明はしませんが、ゆくゆくは、他の謎解きに関わってくるので、覚えておいて下さい
以上が、『瓜子姫と天邪鬼』の話でした。
それで、何故、この『瓜子姫と天邪鬼』の話を持ち出してきたかと言うと、、、
(まぁ、安易に断定は出来ないのではありますが、)管理人は、
この『瓜子姫と天邪鬼』の話は美濃が大きく関係しているんじゃないか?と考えるからです。
美濃が関わっていることは、瓜子姫のネーミングでもある「瓜」の存在も大きいのですが、
それ以外にも、今まで管理人が述べてきた「天若日子と雉の鳴女」の話の
天探女(アメノサグメ)が、瓜子姫の話に深く関わっているからです。
実は、『瓜子姫と天邪鬼』の話に出てくる天の邪鬼は、、、
記紀で天稚彦(アメノワカヒコ)に密告した天探女(アメノサグメ)に由来する
・・・と言われているのです。
下記は、Wikipediaで天邪鬼を調べた結果です。
<Wikiedia 天邪鬼より引用>日本古来の天邪鬼は、
記紀にある天稚彦(アメノワカヒコ)や天探女(アメノサグメ)に由来する。天稚彦は葦原中国を平定するために天照大神によって遣わされたが、
務めを忘れて大国主神の娘を妻として8年も経って戻らなかった。そこで次に雉名鳴女を使者として天稚彦の下へ遣わすが、
天稚彦は仕えていた天探女から告げられて雉名鳴女を矢で射殺する。
しかし、その矢が天から射返され、天稚彦自身も死んでしまう。天探女はその名が表すように、天の動きや未来、人の心などを探ることができる
本来、天探女は悪者ではなかったが天稚彦に告げ口をしたということから、
シャーマン的な存在とされており、この説話が後に、人の心を読み取って
反対に悪戯をしかける小鬼へと変化していった。
天の邪魔をする鬼、つまり天邪鬼となったと言われる。また、「天稚彦」は「天若彦」や「天若日子」とも書かれるため、
仏教また中国由来の「海若」と習合されるようになったものと考えられている。
このように、実は、「天邪鬼=天探女(+天若日子)」と考えられるのです。
「瓜の存在」、さらに、「天邪鬼=天探女」、、、
それらを考慮すると、『瓜子姫』と『天若日子と雉の鳴女』とは、無関係ではないように思われるのです。
そういう事を踏まえて、もう一度、「天若日子と雉の鳴女」を改めて見ると・・・
- ①記紀において、天からの使いの"雉の鳴き女"が天若日子の元に訪れます。
- ②天探女はこの鳴き声を聞き、天若日子に「この鳥の鳴き声は不吉だ」と伝えます。
- ③天若日子は、その雉を撃ち落としますが、その後、天若日子は、天からの返し矢で撃たれます。
- ④その後、天若日子の葬儀が行われる。。。
まぁ、こう言う流れなのですが、、、
天若日子の葬儀が行われたのも、やはり岐阜県なのです。
阿遅志貴高日子根神(あじすぎたかひこねのかみ)に蹴飛ばされた
天稚彦の喪屋(もや)が、美濃の藍見の喪山と言われています。
「藍見の喪山」は、かつて岐阜県武儀郡に藍見村(あいみむら)があり、
喪山は現在の美濃市(旧・大矢田村)の喪山と考えられています。
▼大矢田神社(喪山天神社は大矢田神社境外摂社)
創建は孝霊天皇の時代という。以下は社伝による。
深山に悪竜が棲み付き、困った里人が喪山の天若日子廟所(現・喪山天神社)に
加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があった。その通り勧請を行うと、建速須佐之男命が現れ、悪竜を退治してくれた。
平和を取り戻した里人は、建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てた。716年(養老2年)、泰澄大師は、この地(天王山)一帯を開基。
天王山禅定寺号した。祠はその一部となり、牛頭天王として習合される。
このように、天の邪鬼の語源は天探女(アメノサグメ)であり、
天若日子の喪屋の話も、岐阜県に由来しているのです。
つまり、瓜子姫のストーリーの根底には、天若日子の話が関わって来ていると考えられるのです。
なぜ、それが正しいと言えるのか?
うがった見方をすれば、瓜子姫の話を、
強引に天若日子の話に結び付けているように見えるかもしれません。
また、「瓜子姫には「瓜」が出てくるけど、天若日子の話には瓜が出てこないじゃいか!」
・・・そういう風に思われる方も多いかもしれません。
しかし、「瓜子姫」と「天若日子の話」が、関係する事は、日本語が証明しています。
記紀には、天若日子と阿遅志貴高日子根神とは、
まるで同一人物かのように似ていた、、、と書かれています。
こういうのを、日本語でどう言か?
・・・
・・・
・・・
ずばり諺で、、、"瓜二つ"と言うのです。
お後が、よろしいようで。。。
上記は、決して冗談ではありません。
記紀には出てこないのですが、ホツマツタエにはこの場面で、瓜が出ています。
第4例 ホツマツタエ 天の巻 10アヤ
タカヒコネ天に上りて喪を訪えばこの守姿 ワカヒコに瓜 分け得ずワカヒコのの葬儀にアチスキタカヒコネが死を悼み弔問に訪れた時の事です。
タカヒコネの高貴な容姿が、今は亡きワカヒコに余りにもそっくりで、
それは瓜を二つに割って合わせた様に似ていました。
ちなみに、今回の瓜の話は、祇園の八坂神社の神紋が、なぜ五瓜なのか?
・・・という問題にも関わってきます。▼全国的に祇園神社は木瓜紋が多い
祇園祭りの間はキュウリ(胡瓜)を食べない習慣があります。
八坂神社の神はスサノオですので、瓜の話は、蘇民将来の話などにも関わってくるかもしれません。
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