七夕に始まり、七夕に終わる天皇家:不況対策!個人でも有効な方法



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2013年8月 5日


七夕に始まり、七夕に終わる天皇家


過去、「七夕と笹」シリーズ記事等で、七夕説話と笹の関係のほか、
浦島太郎に隠された思想や、それに隠された古代史と謎などを、明らかにしてきました。
(まだ途中な部分もありますけどね・・・)

その古代史の謎に大きく関わっているのが、海人支族である海部氏。
皆さんご存知の通り、かれらは、元々は、海人(アマ)でした。


ところで、話は少し変わりますが、常々、管理人は
NHKが放映している、大河ドラマ(来年は黒田官兵衛)や朝の連続ドラマ等には、
何か国民に対するメッセージが、暗に含まれているんじゃないか?と思っています。


現在、NHKの朝の連続ドラマで「あまちゃん」が放映され、主人公は天野アキです。


Wikipedia あまちゃん より

NHKが2012年(平成24年)6月4日の記者発表で概要を明らかにした。

ドラマタイトルの『あまちゃん』には、「海女ちゃん」の意味と
「人生の甘えん坊(甘ちゃん)だったヒロインの成長を描く」
という意味が込められているという。


管理人自身、(サッカーの試合以外)テレビは全く見ない人なんで、
詳しい内容を知らないのですが、ドラマのタイトルや、主人公の名前を見る限り、、、

あまちゃん=海部氏 天野=天の川(七夕) アキ(秋) 
※七夕は古来より(夏ではなく)秋七夕と称されている


・・・なんて事も連想されますが、何かメッセージが含まれていたりするかもしれません。


ま、そんな事はさておき、2013年の旧暦七夕が近づいてきましたので・・・
ここいらで、天皇の皇統が、七夕で始まり、七夕で終わった事実、を提示しておきます。


天武系と天智系の皇統

古くから、天皇家には、、、
天智系(天智天皇=中大兄皇子)天武系(天武天皇=大海人皇子)の2系統が存在ました。


672年の壬申の乱以来、天武皇統が続いたのですが、現在の天皇家は、下記系図の通り、
49代光仁天皇から始まる天智系であると考えて良いでしょう。
※49代=7×7になっている事にも注意

▼応神天皇~淳和天皇までの系図


ちなみに、今上天皇は125代目です。ただし、室町初期の南北朝期の北朝5代の天皇
(光厳天皇・光明天皇・崇光天皇・後光厳天皇・後円融天皇)を入れると130代目です。

2006年に秋篠宮文仁親王と紀子様の第一男子に、悠仁親王が産まれましたが、
悠仁親王のお印は「高野槇(こうやまき)」でした。

▼高野槇

恐らく、このお印をお決めになられた背景には、
天智系の光仁天皇の妻だった高野新笠が、意識されているように思います。
※高野新笠には、先日以来の記事で指摘していた笠が入っていることにも注意

高野新笠(たかののにいがさ)は、『続日本紀』によれば、
百済から大和朝廷へと送られた人質であった武寧王の10世孫とされ、
出身一族は6代前に日本に帰化をし、和姓を下賜されています。


平成13年12月18日には、「今上天皇の韓国ゆかり発言」が話題を呼びましたが、、、


<平成天皇の韓国ゆかり発言>
「私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,
続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。」

悠仁親王のお印の「高野槇」や、今上天皇の「韓国ゆかり発言」から察すると、
現在の天皇家は、天武系ではなく、天智系であると考えて間違いないでしょう。


それは、良いのですが・・・
一時は、壬申の乱で天智系の大友皇子を自害に追い込み、勢力を誇った
天武系(大海人皇子系)は、いったい、何処に消えたと言うのでしょうか?


七夕に始まり、七夕に散る!大海人の皇統

恐らく、今から述べる事は、記紀研究者の中でもほとんど気付いて無いと思うのですが、、、
天武系の皇統は、七夕で始まり、七夕で終わっているんです!


まず、天武系の皇統の"始まり"については、「朝妻筑摩の七夕伝説を追え!」で示した通り、
西暦672年7月7日(旧暦)に起きた「息長横河の戦い」及び「当麻の戦い」が始まりです。
(「息長川」=現在の「天の川」)

▼七夕伝説が残る天の川(滋賀県米原市)



ここまでは、今までも述べてきた内容ですが、
今度は、天武系の皇統の"終わり"についても見てみましょう。


天武天皇の最後の皇統は、称徳天皇です。
(称徳天皇は、『続日本紀』 では、終始、高野天皇と呼ばれています)

孝謙上皇(第46代孝謙天皇)が、第47代淳仁天皇(淡路廃帝)を廃し、
その後、孝謙上皇は、第48代称徳天皇として、再び即位しましたが、
弓削道鏡の事件もあり、皇太子が定められないまま、西暦770年8月4日(旧暦)に病死しています。


西暦770年はともかく、8月4日(旧暦)については、七夕ではありません。

しかし、『続日本紀』には、その時の事について、実に奇妙な記述があるのです。


最後の天武皇統 称徳天皇、、、七夕に散る!

下記の記述は、『続日本紀』の称徳天皇 宝亀元年八月~光任天皇 宝亀元年十月までの記述の抜粋です。

まずは、下記をよくご覧下さい。


<称徳天皇 神護景雲四年八月~九月の条より>

八月四日 天皇が西宮の正殿で崩御された。五十三歳であった。

八月八日  この日、天皇が崩じてから一七日(※初七日に該当)になるので、
        東大寺・西大寺で誦経させた。

八月十六日   高野天皇の二七日である。薬師寺において誦経させた。
八月二十三日 高野天皇の三七日である。元興寺において誦経させた。
八月三十日  高野天皇の四七日である。大安寺において法会を催し、僧に食事を供した。
九月七日   高野天皇の五七日である。薬師寺において法会を催し、僧に食事を供した。
九月十四日  高野天皇の六七日である。西大寺において法会を催し、僧に食事を供した。

九月二十二日 高野天皇(称徳天皇)の七七日である。


山階寺で法会を催し、僧に食事を供した。
諸国においては、国ごとに管内の僧尼を金光明寺と法華寺に招請し、行道し誦経させた。
この日、京と諸国で大祓をさせた。

九月二十三日 一年間の服喪を辞めさせ、天下の生活を吉礼に従わせた。
この年の六、七月に彗星が北斗七星に入った。




<光任天皇 宝亀元年十月の条より>

宝亀元年八月四日に高野天皇が崩じ、群臣は高野天皇の遺言を受けて、
その日に白壁王を立てて皇太子とした。

冬十月一日 白壁王は大極殿で即位し、元号を宝亀と改めた。

(中略)

辞(ことば)を改めて仰せになるには、今年八月五日に肥後国葦北郡の人、
日奉部広主売が白い亀を献上した。また、同月十七日に同国益城郡の人、
山稲主も白い亀を献上した。これは」とりもなおさず、ともに大瑞に相当する。

天地が賜る大瑞は、うけたまわって歓び、うけたまわって貴ぶべきものである。
この故に、神護景雲四年を改めて、宝亀元年とする。


まず、年号と元号にご注目下さい。西暦770年です。(つまり七夕の77です)
この年、元号が神護景雲⇒宝亀になっています。


宝亀は白い亀が瑞祥だとされた事から始まっていますが、
雲が去って、白い亀が残るのは、何となく浦島説話を感じさせるものがあります。
(これについては、単なる偶然かもしれませんが)

<丹後国 風土記逸文 浦島子の条 亀姫(乙姫)の和歌>
大和べに 風吹き上げて 雲離れ 退き居りともよ 吾を忘らすな


ま、ここまでは良いとして、問題はココからです。

高野天皇(※称徳天皇はなぜか、終始高野天皇と呼ばれている)の
葬儀の七七日までの過程を見ていって下さい。

  • 8月4日・・・称徳天皇崩御
  • 8月8日 ・・・一七日
  • 8月16日・・・二七日
  • 8月23日・・・三七日
  • 8月30日・・・四七日
  • 9月7日 ・・・五七日
  • 9月14日・・・六七日
  • 9月22日・・・七七日

8月4日崩御で、その4日後の8月8日に、
既に一七日の法要が始まっているのに違和感を覚えますが・・・

さらにその後も、8日後ごとに、二七日、三七日、四七日・・・
というように法要が行われているのが分かります。

どうも、これらを見る限り、称徳天皇の法要と日付は合致して無いんです!


そして、最終日の七七日の最後の日付は、9月22日になっています。
それで、何かおかしいな・・・と思って、この9月22日から77日前を逆算してみたんです。

すると、なんと、西暦770年の9月22日から77日前の日付は、
西暦770年7月7日=七夕にピッタリ一致してしまったのです!



要するに・・・

天武天皇(大海人皇子)の皇統は、壬申の乱のあった西暦672年7月7日に始まりましたが、
天武系の最後の皇統である称徳天皇は、西暦770年7月7日で、終わりを迎えたのです。


まぁ、実際は8月4日に称徳天皇が亡くなっているので、
続日本紀の作者が、何か編纂時に操作をした可能性も考えられなくは無いですが、
いずれにせよ、七夕が意識されている事は、ほぼ確実です。


称徳天皇の法要が行われたのも南都七大寺

なお、称徳天皇が、法要を行ったとする
東大寺・西大寺・薬師寺・元興寺・大安寺・山階寺(興福寺・厩坂寺)なども、
全て、南都七大寺に属する寺であり、やはり七が意識されています。

※金光明寺と法華寺は、各国に置かれた国分寺・国分尼寺を示します



ただし、南都七大寺でも、なぜか、法隆寺だけは出てきません。

日本書紀の天智天皇9年(670年)条に、「火災で法隆寺は一屋余すところなく焼失した」
・・・と書かれているので、当時、消失していたと思いきや、、、
最近の調査では、7世紀末には、再建されていたらしい事も分かっています。

法隆寺は、いつ誰が再建したのかも分からず、謎のままであり、
また、称徳天皇の法要で、(当時再建されていたであろう)法隆寺だけが、
唯一、省かれているのも、また謎です。(管理人もこの謎は解けてません)


ですが、今まで見た通り、称徳天皇の死には、非常に七が意識されているのは事実です。


称徳天皇は、聖徳太子と語音が同じで、名前に""が入っています。

天皇家の家系で、徳が入る人物は、非業の死を迎えるとも言われていますが、
称徳天皇も、何かしら、不幸な死に方であった事が、隠されているのかも知れません。


こうして、天武系の皇統は、七夕で始まり、七夕で断絶してしまいました。
その後、跡を継いだのは、光仁天皇「天宗高天皇」(あめむねたかつぎのすめらみこと)です。


糸編の漢字を持つ天皇は、綏靖・継体・持統に続いて、4人目です。

やはり、ここでも天皇の系譜が糸として意識され、
"受けつぐ"の意味が、"紹"の漢字に含まれています。


現在の天皇家について

さて、ここで考えて頂きたいのですが・・・

天武天皇の皇統が、七夕で始まり、七夕で断絶したのは偶然でしょうか?


管理人は、決してそうではないと思うのです。

何かしらの、裏の取りきめがあったのか?神の信託なのか分かりませんが・・・
天皇家の血筋の人間でさえも、その決定に抗えない何かが存在している気がします。


770年7月7日の天武系の皇統の断絶は、逆に言えば、天智系の天皇の復活でもあります。
ですが、その天智系の天皇でさえも、初めと終わりがあるように思います。

つまり、現在の天皇家にも、初めと終わりがあります。


先日、「天皇の系譜と糸」の記事において、
136.5年サイクルの初めと終わりには、天皇の糸が関わっている事を示しましたが・・・



現在の天皇家の皇太子様には、徳仁親王(なるひとしんのう)であり、
なぜか、その名前に、の文字が入っています。(しかも生前から)

さらに、秋篠宮文仁親王についても、
その名前には、""と"篠=笹"のキーワードが隠されています。

こちらも、七夕を暗示させるものです。


秋篠の語源は何なのか?

"秋篠"という言葉が始めて使われたのも、第49代の光仁天皇の時代からです。
相撲の祭祀を司った野見宿禰の子孫の、土師安人に、秋篠の姓を賜ったのが始まりです。


<続日本紀 光仁天皇 天応二年条より>

五月二十一日 少内記・正八位上の土師宿禰安人らが、次のように言上した。
「私どもの遠い祖先である野見宿禰は、土で物の形を作り、それを殉死の人に代えて、
めぐみを後世に伝え、民はこの恩恵を被っています。

しかるに、その後子孫は、ややもすると凶事とされる葬儀のみに携わりがちです。
先祖の功績をたずねて思いますに、これは本意ではありません。

それで、土師宿禰古人らは、前年(※天応元年6月25日条)居住地の名にちなんで、
氏姓を『菅原』と改めました。ところが当時、安人は遠国に任じられていて、
その例に与かりませんでした、

どうか、土師の字を改めて秋篠とすることをお願い申しあげます」と。
(※秋篠=添上郡秋篠郷にちなむ)

天皇は勅してこれを許可し、安人の兄弟男女六人に秋篠の姓を賜った。


死者葬送の儀礼に関わる埴輪を作ったのが、野見宿禰であり、
野見宿禰は、相撲の祭祀の発祥ともなった人物です。その子孫が土師(はじ)氏です。

相撲も元々は、7月7日の相撲の節会に行われる死者葬送儀礼であり、
相撲の四股には、死者の霊を鎮魂するための地鎮の意味がありました。


▼木造相撲人形 御上神社蔵(鎌倉時代)


それを含めて考えれば、野見宿禰の子孫である土師氏の「秋篠」という姓には、
秋篠=秋七夕の小竹(ささ)が関係している事が分かると思います。

なお、天照大神が亡くなった(お隠れになった)天の岩戸の場面でも、
この小竹(ささ)は、ちゃんと出てくるのです。


<古事記 天の岩戸>

天宇受賣命(あめのうずめのみこと)、天香山(あめのかぐやま)に生える
日影蔓(ひかげかずら)を取って襷(たすき)に掛けて、
正木蔓(まさきかずら)を取って頭に巻いて鬘(かずら)となし、

天香山の小竹葉(小竹を佐佐とよむ)を手草に結んで持ち、
天の岩戸の前で音のとどろくばかりに踊った。


また、この「小竹(佐佐)を篠(しの)と呼ぶ」ことは、日本書紀に明記されています。


<日本書紀 巻第一 第八段>
『篠』、小竹也。此を斯奴(しの)と云う。

このように、秋篠に隠された意味も、記紀から考えていくと、、、
ちゃんと、秋七夕を意識したネーミングになっている事に気付くのです。

※ヤマトトトモモソヒメが箸でホトを衝いて死んだ箸墓古墳も、 箸=土師氏を意味している、、、とする説もあります。


このように考えていくと、、、
現皇室には、七夕での天皇の糸が途切れる事が、
何かしら暗示されているような気がしてならないのです。

また、その天智系の後は、冒頭で述べた「あまちゃん」のように、
「大海人皇子の天武系の天皇の復活」も、もしかしたら、あり得るのかも知れません。


ちなみに、皇太子妃の雅子様の小和田家は、浦島太郎の出身氏族である日下部氏だと思われますが、これも何かの暗示でしょうか。(参考:「小和田氏系図2」)


大伴 家持の歌に隠された裏の意味?

最後に、百人一首の和歌を一句紹介します。


大伴 家持(おおとものやかもち、718年頃~785年10月5日)


かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける

大伴 家持は、称徳天皇の時代は、薩摩守への転任(左遷)されるなど、
不遇な境遇が続きましたが、光仁天皇の時代に復帰し、要職を務めた人物です。

カササギ(鵲)は、七夕において、牽牛と織姫の間の橋を掛ける役割をする鳥です。

霜が降りるような、不遇の冬の時代の後、七夕のカササギが現れ、
光仁天皇(白壁王)の時代となって、ようやく不遇の夜の時代を脱する事が出来た。

単なる推測ですが、この和歌には、そんな意味も隠されている気がします。

また、カササギを和歌に詠んでいるあたり、
称徳天皇⇒光仁天皇の七夕の転機を、暗示しているように思うのは私だけでしょうか。


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