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2013年4月19日
※この話も、ゆくゆく七夕に関係してくるのですが、それは後のお話・・・
さて、前回の「坂田金時の謎(前編)~足柄山の金太郎は嘘だった!~」では、
以下のような事を述べました。
- ①金太郎のストーリーの「母の八重桐」は江戸時代の浄瑠璃が由来である
- ②「山姥伝説」や「足柄山生まれ」が、後世の江戸時代辺りで付加されている
- ③「御堂関白記」に公時という人物は実在するが、下毛野公時として出てくる
それで、上記の①、②は、江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎の物語の影響なのですが、
③だけは、「坂田金時」と同時代を生きた藤原道長の証言によるものです。
下記のように、坂田金時ではなく、下毛野公時で出てきます。
『御堂関白記』より
寛弘六年(1009年)八月十七日条「宮御馬口付近衛下毛野公時」
▼藤原道長
したがって、「坂田金時」「金太郎」は、元々、下毛野公時(しもつけのきんとき)だった!
・・・と考えるのが、最も、妥当な結論です。
しかし、一方で、下毛野公時と同時代を生きた藤原道長から少し時が降ると、、、
とたんに、下毛野公時は、坂田公時(金時)に変わっていってしまうのです。
今昔物語集や古今著聞集では、坂田公時(金時)になっています。
今昔物語集 巻二十八第二 (1120年代以降の成立)
今は昔、摂津守源頼光朝臣の郎等に、平貞道・平季武・坂田公時という三人の兵があった。
(参考サイト:頼光の郎等共、紫野に物見たる語)
古今著聞集 巻第九 武勇十二 (1254年頃に一旦成立し、後年増補)
《源頼光、鬼同丸を誅する事》
源頼光朝臣、寒夜に物へありきて帰りけるに、源頼信の家近くよりたれば、
坂田金時を使にて「只今こそ罷り過ぎ侍れ。この寒さこそはしたなけれ。美酒侍りや」
といひやりたりければ・・・
(参考サイト:古今著聞集の渡辺綱)
古事談 巻六(1212年~1215年の間に成立)
(六七 道長の競馬を実資見物の事)
御堂、早旦に、人々に私に法興院の馬場にて、公時に競馬を乗らせ玉ひけるに、
小野宮右府、古車に乗り馬場の末に於て密かに見物す。公時勝ちたりけるに、車より纏頭すと云々。
(参考文献:新注 古事談)
神妙なる紅の打衣を肩に掛けて、あげて参りたりければ、
御堂「あれはいかに」と驚き問はしめ給うに、公時申して云く
「方の大将の、馬場のすゑにて給ひ候ふなり」と云々。
御伽草子 酒呑童子(鎌倉時代末から江戸時代にかけて成立)
頼光と保昌は、八幡に社参ありければ、綱、公時は住吉へ、
定光と末武は熊野へ参籠仕り、さまざまのご立願、
もとより仏法神国にて、神も納受ましまして、いづれもあらたに御利生あり。
(参考文献:御伽草子 酒呑童子)
『今昔物語集』や『古今著聞集』には、坂田公時・坂田金時の名前が出てきますので、
少なくとも、下毛野公時が死んだ1017年から200年と経たないうちに、
坂田公時・坂田金時へと変遷していった事が伺えます。
なぜ、下毛野公時は、坂田公時(金時)に変わってしまったのか?
これも、金太郎伝説における、大きな謎の一つですが、
今回は、そうした所を、一つ一つ紐解いて、謎解きしていこうと思います^^
金太郎(坂田金時)の物語は、広く一般に知れ渡っていますが、
多くの方は、金太郎の元祖が下毛野公時(しもつけのきんとき)である事を知りません。
ですが、そもそも、下家野氏って、、、何者なのでしょうか?
その辺を、詳しく見ていくと、意外な事実が浮かび上がります。
下家野氏族の系譜については、管理人も詳しく分からない事も多いので、
専門サイトから、引用(管理人の方で関係箇所を要約)して説明します。
『以下は毛野氏考(上毛野氏/下毛野氏)より引用し、関係箇所を要約』
<下家野(しもつけぬ)氏について>毛野(けの、けぬ)氏は、毛野国(群馬県・栃木県)を本拠地とした古代豪族である。
10崇神天皇の第1皇子の豊城入彦(とよきいるひこ)命を元祖とする皇別氏族とされる。毛野国は後に、上毛野国(現在の群馬県)と下毛野国(現在の栃木県)に分国された。
(さらに後年(713年)になって上野国・下野国と呼称が変化した)それぞれの国の国造家が上毛野(かみつけぬ)氏・下毛野(しもつけぬ)氏である。
下毛野氏の末裔とされる一族が長岡京市に現存する。「調子氏」である。
調子氏古文書として多くの貴重な文書が残されている。系図の一部も確認されている。
これは毛野氏を論じる上で非常に興味有る史料である。
<下毛野氏流 調子氏について>
現在の京都府長岡京市調子、旧山城国乙訓郡調子村に、
元々下毛野氏を名乗っていた調子氏が現存している。下毛野氏系図は「敦実」から始まっている。この「敦実」なる人物は全く事績不明。
「敦行」は今昔物語にも登場する人物で、9世紀後半に京都に住み、
下毛野氏の近衛官人としての地位を確立した人物とされている。
この敦行の曾孫に下毛野公時という藤原道長・頼通の随身がいた。
この人物をモデルとして、源頼光の四天王の一人「坂田金時」話が出来たともされている。下毛野氏は、10世紀以降、馬芸・鷹飼などを専門職とする
下級官人・舎人・摂関家随身などを世襲したようである。
参考:下毛野氏の鷹術伝承
取りあえず、上記の通り、下毛野氏系図(調子氏系図)を調べますと、、、
下毛野公時は、京都府長岡京市調子(旧山城国乙訓郡調子村)出身である
・・・と見て、ほぼ間違いないと思います。
と言う事で・・・
『金太郎の生誕地は、長岡京市調子である!』というのが、管理人の結論です。
また同時に、上記以外の日本全国の金太郎生誕伝説は、
後世の浄瑠璃・歌舞伎などの影響によるものと見て良いと思います。
ただし、ここまでは、あくまで下毛野公時(しもつけのきんとき)の生誕話であって、
「下毛野公時が、なぜ、坂田金時になったのか?」という理由は、未だ謎のままです。
▼クマと相撲をしたりマサカリを担ぐ金太郎 (このイメージは何処から来たのか?)
「下毛野公時が、なぜ、坂田金時になったのか?」
この謎を解いた人は、多分、誰一人として居ないんじゃないかと思いますが・・・
管理人が、ここで初めて、坂田金時の謎を解き明かしをしたいと思います^^
実は、「下毛野公時が坂田金時になった理由」は、下記の伝承が鍵になっています。
摂政・藤原道長の日記『御堂関白記』の1017年8月24日分にこう書いてあります。
『帥(太宰府の長官)のもとより書を送らる。
書を開き見るに曰く。相撲使公時死去の由なり。』
※相撲使・・・力士をスカウトする役といわれる
そうです。
実は、金太郎のモデルになっている下毛野公時は、『相撲使』だったのです。
下毛野氏は、元々、馬芸・鷹飼など、武芸に秀でた氏族です。
その中でも、特に、下毛野公時は『相撲』に大きく関わっていた人物なのです。
ここに、下毛野公時が坂田金時(坂田公時)になった深い理由が隠されています。
そして、この謎を解くとで、、、
初めて、金太郎が、なぜ、鉞(マサカリ)がトレードマークなのか?といったことや、
足柄山の伝承が付加された理由、熊と相撲で戦ったと伝わる理由なども見えてくるのです。
さらに、金太郎のストーリーの背景には、相撲が国技たる理由までが隠されています。
日本の謎を解く上で、金太郎の話は、大きな鍵を握っているのです。
さらに謎が謎を呼びますが、、、
続きは次回「坂田金時の謎(後編)」にて^^;
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