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2013年5月11日
先日の記事で、四国の阿波(徳島)に原初の伊勢神宮があることを触れました。
その中で、徳島県阿波市阿波町伊勢に存在する「伊勢神社」についても触れましたが、
神社の名前や地名だけで、阿波に伊勢神宮があったとするのは、、、
まぁ、幾らなんでも早計だと思われたかもしれません^^;
▼伊勢神社(徳島県阿波市阿波町伊勢80)
参考サイト:ありゃっ! お伊勢さん?! (阿波市阿波町伊勢)>
そこで、管理人が、「阿波の地に初期の伊勢神宮があった!」と考える理由について、
もう少し詳しい考察過程を下記にまとめたいと思います。
まず、最大の論拠は、銅鐸の存在です。
桛(カセ)を持った織姫の銅鐸が、阿波周辺地で出土していることは、
銅鐸祭祀の中心が、この辺りで行われた事を示していますが、
それ以外に、阿波周辺で出土する銅鐸が、他の地域に比べて古い事が挙げられます。
初期の銅鐸は、音を鳴らす役目も果たした「聞く銅鐸」でした。
初期の銅鐸は、銅鐸の内部に吊るされている舌(ゼツ)と呼ばれるた棒の部分と
内面突帯とが擦り減っているのが見られ、実際に鳴らされていた事が分かっています。
この「聞く銅鐸」は主に、出雲や阿波周辺でよく見られる形式です。
一方、やや時代が降ると(音を鳴らす役割は他で代用されるようになった為か)
「聞く銅鐸」は急速に見られなくなり、祭祀としての銅鐸の形だけが残り、
「見る銅鐸」とへと変化していきます。
「見る銅鐸」は、内面突帯と舌とが擦り減った形跡が見られないため、
音を鳴らす目的として、銅鐸が使用されることは少なくなったようです。
この「見る銅鐸」は、主に滋賀県や東海地方で多く見られます。
このように、初期の銅鐸は、出雲~阿波辺りで「聞く銅鐸」として広がりますが、
ある時期を境に「見る銅鐸」として、その中心地を近江~東海地域へと移動します。
そして、特に初期の「聞く銅鐸」の中でも最古の形式である
「Ⅰ式 菱環鈕式(りょうかんちゅうしき)」の銅鐸は、淡路島で出土しています。
菱環鈕式の銅鐸は、(出土地不明の2例を除くと)全国で5例しか発見されておらず、
菱環鈕式の中でも古い"Ⅰ式"で、出土地が分かっているのは、
出雲と淡路島の2例のみです。
▼赤マークがⅠ式菱環鈕式、青マークがⅡ式菱環鈕式
より大きな地図で 菱環鈕式 を表示
※ただし、九州と出雲地方で発掘された福田式銅鐸(5例)は、菱環鈕式よりも古い可能性があります
このように、最古の銅鐸は、阿波にすぐ近くの淡路島で発見されています。
そして、この淡路島の中でも、
特に阿波に近い淡路島南部(南あわじ市周辺)において銅鐸が多く発見されており、
淡路島北部では、ほとんど銅鐸は発見されていません。
【データは「新銅鐸出土地名表より引用】
こういった事から、(出雲を除いて)
初期の銅鐸祭祀の中心地は、淡路島南部や阿波周辺にあるというのが分かる訳です。
ところで、銅鐸はこれまで日本全国で約550個ほど出土しておりますが・・・
これだけ大規模に出土していながら、記紀には銅鐸の存在が全く記されていません。
これは何とも異常な事だと思いませんでしょうか?
なぜ、記紀作成者は、銅鐸の存在を無視しているのでしょうか?
しかし、ちょっと見方を変えれば、、、その謎はすぐに解けます^^
実は、福士孝幸次郎氏の「原日本考 正・続篇―古代日本と鉄の文化」によりますと、、、
銅鐸の"鐸"の事を、サナギと呼ばれていたそうです。
そして、銅鐸や鉄鉱採取の製鉄文化を担った男女の神を、サナギ・サナミの神とし、
その名に接頭語である「イ」を付け、イザナギ・イザナミ両神になったと指摘されています。
この福士氏の説が正しいとすれば、
記紀において、敢えて銅鐸の存在を記さなかったのではなく、
イザナギ・イザナミの神の名の中に、きちんと銅鐸の存在が示されていた訳です。
そして、このように「鐸の神=イザナギ・イザナミ」として考えると・・・
実に、多くの謎が解けてくるのです。
例えば、イザナギ命と聞いて、思い浮かんでくるのが下記のフレーズです。
『日本書紀』
【原文】「構幽宮於淡路之洲」
【訳文】「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」
※古事記記載の"淡海(近江)多賀"の解釈については、別途後述します
上記の通り、日本書紀にはイザナギ命は淡路島に幽宮(かくりのみや)を作ったとあります。
(幽宮とは、「仕事を終え隠居をした宮」を意味します)
この日本書紀の記述を考慮すれば、鐸(サナギ)の神であるイザナギが淡路島周辺に住み、
その地から、古い銅鐸や多くの銅鐸が出土するのは、至極当然の事ではないでしょうか?
さらに、国産み神話において、順序的に淡路島が最初に産まれ、その後、四国と続くのも、
鐸(サナギ)の神が、最初にこの淡路や阿波周辺に拠点を築いたことを暗示していると思います。
<国産みの順序>
- ①淡道之穂之狭別島⇒淡路島
- ②伊予之二名島⇒四国
愛比売⇒伊予国
飯依比古⇒讃岐国
大宜都比売⇒阿波国
建依別⇒土佐国- ③隠伎之三子島⇒隠岐島(別名は天之忍許呂別)
- ④筑紫島⇒九州
白日別⇒筑紫国
豊日別⇒豊国
建日向日豊久士比泥別⇒肥国
建日別⇒熊曽国- ⑤伊伎島⇒壱岐島(別名は天比登都柱)
- ⑥津島⇒対馬(別名は天之狭手依比売)
- ⑦佐度島⇒佐渡島
- ⑧大倭豊秋津島⇒本州(別名は天御虚空豊秋津根別)
このように考えますと、、、
イザナギ・イザナミ両神は、当初、この淡路に降臨した可能性が高いと考えます。
(だからこそ、日本全国の中でも、最古の形式の銅鐸が、この地で出土するのは当然です)
<銅鐸に関連のある地名>
阿波に佐那河内村があったり、阿波の隣が讃岐国と呼ばれるように、
佐那、佐那伎(草薙?)、佐那具、佐波、散去、散岐、讃岐、佐鳴、猿投などの、
サナ・サヌの付く地名は、銅鐸と関わりのある地名だと考えられます。
そして、イザナギ・イザナミがこの淡路に降臨していると言う事は、
原初の信仰の中心地も、この淡路や阿波周辺にあった可能性が高く、
伊勢という地名が残る阿波市伊勢の地に、原始の伊勢神宮があった可能性が高いのです。
なお、余談ですが、土佐の物部村(現在の香美市)で独自発展した陰陽道に「いざなぎ流」がありますが、これも、この地に残る古いイザナギ命の伝承に根ざしている可能性もあると思います。
さらに、上記以外に、徳島県吉野川市には、物部氏の祖を祀る「伊加加志神社」が見られるなど、イザナギ伝承に、物部氏の影響も見て取ることが出来ます。
さて、先ほど述べたように、日本書紀ではイザナギ命が淡路島に幽宮を作っています。
すなわち、イザナギ命は、この淡路で亡くなったと考えて良いと思います。
しかしながら、古事記には、こうも書いています。
『古事記』
「伊邪那岐大神は淡海(近江)の多賀に坐すなり」
多くの方は、「淡路島の多賀にある伊弉諾神宮」と「近江の多賀大社」の両方に、
イザナギ命が鎮座していることの意味までは深く考えて無いと思います^^;
しかしながら、管理人は、ここに重大な意味が含まれていると考えます。
▼伊弉諾神宮(兵庫県淡路市多賀740)
▼多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町多賀604)
まず、日本書紀でイザナギが、わざわざ、淡路島に"幽宮"を作ったと書いているように、
淡路島のイザナギは、一度、この地で亡くなっているようにも思います。
事実、記紀ではイザナギ命は、一度、黄泉の国に行っています。
黄泉の国=死者の国ですが、イザナギ命は、禊を経て再び現世に戻って来ています。
そして、その戻って来た先が、「近江の多賀」だとは考えられないでしょうか?
この事は、イザナギ命が、鐸(サナギ)の神である事に注意して、
「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」への中心地の変遷過程を見れば分かります。
上図のように、阿波⇒近江へと中心地が移動しているのが分かるのではないでしょうか。
「見る銅鐸」が、特に、滋賀県野洲市の大岩山において大量出土しているように、
阿波にあった銅鐸文化圏の勢力は、後に近江南部に移動したと思います。
また、近江に銅鐸中心地が移動した頃には、砂鉄を使ったタタラ製鉄が行われ始め、
銅鐸の重要性が徐々に薄くなったと考えられます。
元々銅鐸の意味は、葦原の根の部分に生成される褐鉄鉱の集合体である
高師小僧の生育を願って始められた祭祀です。(参考サイト)その褐鉄鉱を使った製鉄が、砂鉄を使ったタタラ製鉄に切り替わって行くとともに、
銅鐸の重要性は薄まり、「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」に変化していったのです。
ところで、阿波⇒近江へと銅鐸祭祀の中心地が移動したことと
関連があるかどうか分からないのですが・・・
興味深いのは、イザナギ・イザナミの国産みで、
阿波の国の名前が、大宜都比売(オオゲツヒメ)になっている事です。
古事記において、大宜都比売は、後にスサノオに殺されている食物神ですので、
これは、阿波の地がスサノオ(出雲勢力)によって攻撃を受け奪われたことを暗示していないでしょうか。
※ただし『日本書紀』では同様の話がツクヨミがウケモチを斬り殺す話として出てくる
事実、阿波地方には「名方郡(現在の徳島市の大部分と、名西郡と名東郡)」という、出雲系の建御名方神が治めたと思われる地名が残っています。
またその建御名方神も、大国主の国譲りの場面で信濃の地まで追いやられており、
阿波の地の勢力が、幾度か押し出される形で、東に移動した事は十分考えられます。
最後に、「阿波の伊勢」から「近江の伊勢」へと移ったと管理人が考える理由ですが、
実は、昨今、近江にも「伊勢」があることが分かってきています。
まだ一般には広く知られていないのですが、昨今、滋賀県守山市伊勢町に、
紀元2~3世紀頃に栄えた大規模環濠集落の跡(伊勢遺跡)が発掘されています。
(邪馬台国の卑弥呼の時代と、ほぼ同時期です)
詳しい事は後日述べますが、この伊勢遺跡は、現在の伊勢神宮と同じ掘立柱構造を持ち、
式年遷宮をしたと思われるような跡まで残ってい、今までには例を見ないような遺跡です。
伊勢遺跡については、また、詳しく触れたいと思いますが、
詳細を知りたい方は、「邪馬台国近江説」をご覧ください。
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