聖徳太子は暗殺されていた!?(封印された日本史):不況対策!個人でも有効な方法



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2012年2月 2日


聖徳太子は暗殺されていた!?(封印された日本史)

何か書こうと思ったんですが、、、

最近、聖徳太子の「未来記」「未然記」の預言に触れる機会が多いので、
巷にまかり通っている『聖徳太子の嘘』について、、、触れていこうと思います。


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聖徳太子の謎を知れば、日本人にとって何が大切なのか?
それを、少しでも分かって頂けるのではないかと思います^^


さて、皆さんが知っている「聖徳太子」とはいかなる人物でしょうか?

旧一万円札にも出てきた人物なので、知名度はかなりあるはずですよね^^

聖徳太子(574年2月7日~622年4月8日)は、飛鳥時代の皇族・政治家であり、
用明天皇の第二皇子の厩戸皇子として生まれました。

Wikipediaの聖徳太子の解説を見ていきますと、こう書いてあります。


聖徳太子は、推古天皇のもと、摂政として蘇我馬子と協調して政治を行い、
国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、
冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った。

また、仏教を厚く信仰し興隆につとめた。


まぁ、このように古代飛鳥時代において、政治の中枢を握り、
日本の国家体制の礎を築いた人物であると言う事が分かりますね^^;


でもね。。。

実は、ここまでの、解説の中で、既に「嘘が二つ」含まれてしまっているんです。


お分かりになりますでしょうか?
(もし、分かれば、相当な歴史通です)

まず、一つ目の答えから解説していきましょう^^
嘘の一つ目は・・・


聖徳太子などという人物は、存在しない!

ええ、タイトル通りで、「聖徳太子」なる人物なんていないんです(笑

あなたは、「はぁ!?」って思うでしょうね^^;
でも、聖徳太子という人物は、その時代にはいないんです。。。


誤解するとダメなので、正確に言いますと、、、
その時代に聖徳太子のモデルとなる「厩戸皇子」なる人物はいますが、死後に聖徳太子という名が授けられたので、聖徳太子とは呼ばれていなかった。

これが正解なんですよ(笑


でも、今の教科書では、下記のような画像と一緒に、
さも、聖徳太子という人物が、そこに居たかのように扱われてしまっています。

でも、聖徳太子という呼び名は死後の呼び方なので、やや不自然と言えば不自然かもしれません。


でも、こう言うと、、、

死後でも生前でも、「聖徳太子」のモデルとなる人物はいたんだから、
「別にどっちでもいいじゃん!」って思う方もいるはずです^^;

でもね、、、、
実は、聖徳太子という名前には、日本の政治の根幹に関わってくる「重要な秘密」が隠されているんです。


ほとんどの方は、知らないのではないでしょうか?

実は、聖徳太子が、『暗殺』されている可能性が高いことを。。。


びっくりされたかもしれませんが、、、
聖徳太子の暗殺は、非常に可能性が高い事実です。


『この聖徳太子という名前が、後世になって、授けられた』ということは・・・
実は、聖徳太子が暗殺された事と決して無関係ではないのです。


また、このことは、冒頭で少し触れた「二つ目の嘘」とも、密接に絡んできており、
これを解いていくと、恐るべき日本という国家の実像が分かってきたりするんです^^;


まぁ、今回、じっくりその辺を、見ていきましょうか。


以後、本来は、厩戸皇子という呼び方がふさわしいのですが、
世間一般の通例に基づき、当記事では聖徳太子という呼び方で統一したいと思います

聖徳太子は暗殺されている!?

いきなり、聖徳太子が暗殺されている!と言うと、
「本当か?嘘だろう?」と疑う人が多いと思います^^;

でも、暗殺されている可能性が高いのは、事実です。


管理人が、聖徳太子が暗殺されたと言うのは、次の三つの根拠があるからです。


【①聖徳太子は妻との死亡時期が一日違いであること】

Wikipediaにはこう書いてあります。


推古天皇30年(622年)、斑鳩宮で倒れた厩戸皇子の回復を祈りながらの
厩戸皇子妃・膳大郎女が2月21日に没し、
その後を追うようにして翌22日、厩戸皇子は亡くなった。

聖徳太子と妻の死亡時期が、わずか1日違いなんです。
しかも、聖徳太子の母もその2ヶ月前に死亡しています。

・・・これ、不自然だとは思いませんか。


このように、立て続けに、死亡するのは、ほとんどあり得ないことで、
これは、聖徳太子と妻とが一緒に殺されたと言う事を、表しているのです。


次に二つ目の根拠です。

【②聖徳太子の鎮魂式が全くなされていないこと】

飛鳥時代の当時、天皇関係者などが亡くなると、一定の期間、
殯(モガリ)」と呼ばれる、鎮魂式というか鎮魂儀礼が催されるのが一般的でした。

推古天皇や欽明天皇にも、さらには、聖徳太子の弟(来目皇子)が亡くなった時でさえ、
「殯(モガリ)」が為された形跡があります。


でも、聖徳太子の死には、そのモガリの記録が一切ありません。
そして、モガリを行わずに、すぐに埋葬されてしまっているのです。。。

推古天皇の摂政だった人物ですから、モガリをして然るべき人物のはずなのに、
されていないのは、当時の常識からすれば、不自然極まりないことなんです。


ちなみに、聖徳太子以外で、このモガリが無かった天皇として、「崇峻天皇」が居ます。

実は、この「崇峻天皇」も、592年10月4日に「暗殺」されています。
(犯人は蘇我馬子とも言われています)


Wikipediaにも「崇峻天皇」の項目でこう書いてありますよね^^;


物部氏の没落によって欽明天皇以来の崇仏廃仏論争に決着が付き、
法興寺(飛鳥寺)や四天王寺などの、造寺事業を積極的に行った。

しかし、即位したあとでも政治の実権は常に馬子が握っており、
次第に不満を感じるようになった。

592年10月4日に、猪を献上する者があった。

天皇は笄刀を抜いてその猪の目を刺し、「いつかこの猪の首を斬るように、
自分が憎いと思っている者を斬りたいものだ」と発言。

そのことを聞きつけた馬子が
「天皇は自分を嫌っている」と警戒し、部下に暗殺命令を下した。

そして東国の調を進めると偽って天皇を儀式に臨席させ、
その席で東漢駒に暗殺をさせた。

臣下により天皇が殺害されたのは、確定している例では唯一である。

死亡した当日に葬ったことと、陵地・陵戸がないことは、他に例が無い。


いかがでしょうか?

殯(モガリ)も行わずに、まさに、すぐ葬ってしまっている事等、
崇峻天皇の暗殺~埋葬までの様子は、聖徳太子のケースとほとんど同じなのです。


以上が、二つ目の根拠ですが、最後に三つ目の根拠です。

【③聖徳太子の死後643年に、太子の子孫25人全員が蘇我入鹿に殺されていること】

一説には、山背大兄王は生き延びている(?)という説もありますが、
聖徳太子の子孫が殺されているというのは、事実だと思います。


下記の系図を見れば一目瞭然ですが、聖徳太子の血筋は、蘇我氏によって、
根絶やしにされているのが分かるはずです。


それで、以下に述べる部分を良く考えて見て欲しいのですが・・・
聖徳太子は蘇我蝦夷(入鹿の父)とともに、仏教を導入したと言われている人物でした。

要するに、蘇我氏の大切なパートナーと言われていたのが、聖徳太子であり、
その子孫を、全員殺害するというのは、幾らなんでも、恩人に対して非道な仕打ちです。

こんな事は、普通は出来ないはずなんです。


なので、この部分には、何処かに嘘が混じっていると言う事です。

実は、率直に言ってしまえば、聖徳太子は、蘇我氏のパートナーでも何でもなく、
蘇我氏にとって聖徳太子は、ただの政敵に過ぎなかったというのが、真実です。


だからこそ、聖徳太子は暗殺され、子孫も皆殺しの憂き目にあったのです。

血筋的にも、恐らく聖徳太子の系統は、蘇我氏ではなく物部氏の可能性が高いです。
系図上で、小姉君と言う女性がいますが、その人物がキーポイントです。

小姉君の"君"の尊称は、蘇我氏の娘としては、明らかに低すぎる身分の呼び方で、
恐らく、純粋な蘇我氏血統では無い人物である可能性が高いです。
(恐らく小姉君は物部氏血統です)

だからこそ、蘇我氏が(同族と言われている)聖徳太子の一族を惨殺するのに蘇我氏は躊躇しなかったと思われます。


こう考えると、素直に、納得できるのではないでしょうか?

以上の3つの理由から、聖徳太子が暗殺されている可能性は高い!
管理人は、こう考えています。


ちなみに、蘇我入鹿は後年645年の乙巳の変(大化改新)で殺害されています。

下記は、奈良県指定文化財となる「絹本著色多武峯縁起」に描かれた、
中大兄皇子らによる蘇我入鹿暗殺の場面です。

↓こちらは、蘇我入鹿の首塚です。

なぜ、蘇我入鹿が乙巳の変で殺されたのか?と理由を問われれば、
その背後関係に「聖徳太子の一族の惨殺事件」があったと言えます。

乙巳の変で首謀者の一人である「中臣鎌足」は、元々は物部氏の従者(配下)である中臣氏ですので、物部氏系の聖徳太子一族を殺された"かたき討ち"の面もあと思います。

聖徳太子の暗殺事件は、後の大化の改新にまで繋がっています。


聖徳太子は、仏教の祖ではない!

では、次に、聖徳太子が殺された理由について探っていきましょう。。。
この殺害理由を考えていかないと、日本の裏の歴史事情が掴めないのです^^;


聖徳太子を殺害した蘇我氏。
蘇我氏らが、聖徳太子を殺害したのには、理由がありました。

それは、結論を言ってしまえば、、、
聖徳太子自身、仏教導入に反対だったからです!


聖徳太子と言えば、日本仏教の祖と言われている人物ですが・・・
実は、聖徳太子は、仏教の祖どころか、仏教導入には反対だったんです。


こう言うと、寺社などの仏教関係者からは、
「そんなはずはない!」という反対意見が聞こえてきそうです^^;

でも、残念ながらこれは事実なんです。

「聖徳太子が日本の仏教の祖」というのは、、、
聖徳太子の死後に仏教徒によって、仏教を広めるための広告塔にされた結果である
・・・と言うのが本当のところです。


この事実を確認するために、
聖徳太子自身が作った文献「十七条憲法」をよく観察して見ましょう^^


三宝とは仏法僧ではなく、儒仏神である!

仏教関係者の方に言わせると、聖徳太子が仏教の祖であるという根拠は、
「十七条憲法」に示されていると、よく言います。

聖徳太子が制定したと言われる「十七条憲法」には、
第二番目の条項にこう書いてあります。


<十七条の憲法 原文>

二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。
則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。
人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。


<現代訳>
二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。
3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。

それは生命ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。
どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。

人ではなはだしくわるい者は少ない。
よく教えるならば正道にしたがうものだ。

ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、
何によってまがった心をただせるだろうか。

※赤字部分は、後述しますが、文書改竄されたものになっています


確かに、「十七条憲法」には、
「三宝を敬え」「三宝とは仏法僧である」とは、書かれています。


しかし、この部分は、実は、"とある人物"によって改竄された結果の言葉なんです。


正しくは、「仏教・儒教・神道」の三つを指して、三宝というのが正解です。


まず、その事は、十七条憲法の構成からも伺う事が出来ます。
多くの方が誤解していますが、十七条憲法は、一つの文書だけで構成されていません。

下記のように、十七条憲法は、5つの憲法で成り立っています。


  • 一般人のための十七条憲法(通蒙憲法)
  • 政治家のための十七条憲法(政家憲法)
  • 儒教徒のための十七条憲法(儒子憲法)
  • 仏教徒のための十七条憲法(釈氏憲法)
  • 神道家のための十七条憲法(神職憲法)

このように、聖徳太子は、仏教だけを特別視している訳ではなく、
儒教徒、仏教徒、神道家の三つを、分け隔てなく公平に見ている事が分かります。

まず、学校の歴史教科書は、単に十七条憲法としか教えていないので、
この辺からして、教え方が間違っている訳です。


次に、『先代旧事本紀大成経』の中にも、
しっかり、三法「儒仏神」であると明記されています。


篤く三法を敬え。三法とは儒・仏・神である。
すなわち、すべての民のよりどころ、すべての国の究極のよりどころである。

第70巻通蒙憲法第17條より

大事な所なので詳しく言いますが、ここでは、「三宝」ではなく「三法」とされています。
そして、三法とは、儒・仏・神であると、しっかり書かれているのです。


なんで、十七条憲法は、三法が三宝になってしまっていて、
さらに、三宝が仏法僧であると書かれてしまっているのでしょうか?


実は、この部分、8世紀の仏教僧であった「道慈」(下記)が、
その部分を、仏教徒の都合が良いよくなるように改竄してしまっているのです。


この道慈は、「日本書紀」の編纂にも関与しているのですが、その時に、
日本書紀と一緒に十七条憲法をも、書き替えてしまったのです。

この道慈は、当時、流行っていた儒教が大嫌いだったそうです。
しかも、仏教が至上主義であり、他は認めないというスタンスでもあったそうです。

それで、自身の信仰する仏教を三法で、儒教と同列にはしないくないという想いから、
三法⇒三宝に。儒仏神⇒仏法僧に変えてしまったらしいのです。

この事は、下記の中部大学の大山誠一教授の著が詳しいです。



以上のように、「十七条憲法の構成」と「先代旧事本紀の内容」を見れば、
特に、聖徳太子が特別、仏教を推進していた訳ではないと言う事が分かるのです。

聖徳太子は、どちらかと言えば、「神道派」であり、
当時、導入されていた「仏教」や「儒教」との闘争が、凄まじかったので、
それぞれが互いの宗教を敬うべし、、、と言う意味で、三法を説いた訳です。


「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の言葉も、
実は、「儒仏神」三つが互いに尊重して、仲良くするように・・・との教えなんです。


この事を、知らないと、日本の歴史、、、特に宗教史は語れません。


聖徳太子の名は、死後に怨霊を恐れた蘇我氏が贈った名前である!

さて、最初の「聖徳太子という人物は居なかった」という問題に移りますが・・・
聖徳太子という名前には、当時の「怨霊思想」が根付いています。


【人に殺されたり、不自然な死に方をすると、その人の祟りがある・・・】

これが、日本の古代では、これがまともに考えられていた時代です。


後世の平城京から長岡京に遷都したのも、怨霊思想が理由ですし、
さらに、時代が過ぎて平安時代にも、崇徳院の怨霊とかもありました。(下記)

実は、この崇徳院(崇徳天皇)にも、当てはまるのですが、
日本の皇室関係者で、""のつく天皇を調べて見て下さい。。。

聖徳太子、崇徳天皇、孝徳天皇、称徳天皇、文徳天皇、安徳天皇、順徳天皇・・・

聖徳太子もその中に含まれますが・・・
実は、名前に徳の付く皇室関係者は、全員不幸な死に方をしているのです!


  • 聖徳太子・・・暗殺の疑いが濃い
  • 崇徳天皇・・・讃岐へ配流され死亡
  • 孝徳天皇・・・臣下の大半に裏切られて死亡
  • 称徳天皇・・・(公式には天然痘とも言われるが)病気回復の祈祷が行われた史料無し
  • 文徳天皇・・・突然の病で急死(暗殺という噂も)
  • 安徳天皇・・・二位尼が、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた
  • 順徳天皇・・・佐渡へ配流となり、在島21年の後、佐渡で崩御した

聖徳太子の「徳」と言う字が、どういう理由を示すのか?
これで、お分かりいただけたでしょうか。

ハッキリ言ってしまえば、「徳」という字のつく貴人は、
死後に怨霊を恐れた後世の人物によって贈られた名前です。

聖徳太子の場合は、怨霊を恐れた蘇我氏によって、
死後に「聖徳太子」という名前を贈られた訳です。


見過ごしがちな名前一つにも、実は、こういうドラマがああります。
したがって、名前はとても重要なんです。


余談:法隆寺夢殿本尊 観音菩薩立像(救世観音)について

聖徳太子が営んだ斑鳩宮の跡に建てられた法隆寺東院には、夢殿があり、
堂内には、聖徳太子等身の像と伝える飛鳥時代の木像(救世観音像)があります。

しかし、明治期1884年年にアメリカ人美術家フェノロサが、寺の反対を押し切って
強引に内部調査を断行するまで、この仏像は白衣でぐるぐる巻きにされていたんです。

しかも、白衣を解いて見ると、頭部の背後から、太い釘が刺されていたんです。


なぜ、仏像にこのような処理がなされたのか?
これも暗殺された聖徳太子の怨霊封じの為であったとしか考えられないのです。


仏教派の蘇我氏によって、聖徳太子は仏教の祖に仕立て上げられた!

蘇我氏が、死後に「聖徳太子」という名前を送ったというのは、これまで説明しましたが、
それだけで、終わりではありません。

怨霊にたたられないためには、盛大に供養する事が必要です。


そのために、蘇我氏がどうしたかと言うと、、、
聖徳太子を「仏教の祖」として、長く、祀っていこう!という決断だったのです。

だからこそ、聖徳太子は、仏教の祖だと言われている訳です。


でもね。。。
聖徳太子は、本来は、神道派だったのです。

ちなみに、聖徳太子を無理やり仏教徒に変えたのは、蘇我氏も要因ではありますが、
その他に、その後の藤原不比等の編纂した日本書紀の影響も大きいです。

日本書紀で、国策として、仏教を国教として推進したのが、藤原不比等であり、
多くの方が、日本書紀で書かれた聖徳太子が仏教徒だと言う事を、真に受けています。


仏教が、日本でここまで躍進したのは、こういう歴史の改竄の影響した結果だ
・・・というのは否めません。

こういう裏歴史を知っておくと、より日本という国の真実が掴めるかもしれません。

PS.
まぁ、ここまで書くと、さも仏教が悪者のように聞こえますが、、、
仏教でも、「天台宗」と「真言宗」の【密教系】については、正道です^^;

特に、空海については、恐らく、仏教と神道の根っこの部分に共通する奥義に
気付いていたことが「三教指帰(さんごうしいき)」などの中で語られていますし、
恐らく、空海も聖徳太子と同じで、預言者と呼ばれる存在だったのだと思います。

(※ただし、聖徳太子の未来記には、鎌倉期1200年以降の仏教は、
良くないものとして記されていますので、仏教でも鎌倉期以降のものは注意しましょう)


聖徳太子の暗殺についての真相は、下記の2冊を、よくお読みになることをお勧めします。
中山市朗氏が、20年かけて自分の足で取材された成果が、下記に詰まっています。

聖徳太子の母の「穴穂部間人皇女」と、「京都府京丹後市丹後町間人(たいざ)」に隠された関係とか、かぐや姫のストーリーの意味とか、普通の人は・・・知らないだろうなぁ。。。




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