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2013年12月27日
先日、「古今伝授の記事」で、伊勢物語には七ヶの秘事があると述べました。
現在、管理人は、伊勢物語について、研究しているところですが、
今回は、伊勢物語の謎を検証する上で、まず、その構造を把握してみたいと思います。
(今回は、謎とき・・・のための準備記事です)
伊勢物語の作者は、一般的に、在原業平(在五中将)と言われています。
在五とは、「在原氏の第五子である業平」を指しており、
源氏物語でも、伊勢物語の事を『在五が物語』と呼んでいる箇所が見られます。
ただ、伊勢物語の作者が在原業平というのは、決して確定的なものではありません。
底本によっては、一部歌人伊勢が補筆していますし、紀貫之が書いたと言う説もあります。
しかし、物語全体を通して、在原業平がモデルになっている事だけは確かです。
在原業平と言うと、百人一首でもおなじみですよね。
▼百人一首17番 在原業平
「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
(現代語訳)
様々な不思議なことが起こっていた神代の昔でさえも、こんなことは聞いたことがない。
龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは。
この「ちはやぶる・・・」の和歌は、末次由紀さんのマンガでも有名ですので、
百人一首の中で、今、最もホットな句かもしれませんね^^;
ま、それはさておき、、、
伊勢物語は、学校の授業でも「かきつばた」の和歌の部分を習ったりしますが、、、
実は、物語全体を通しても、伊勢物語は、かなり技巧を凝らしている事が伺えるのです。
「かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。
「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」
今回は、伊勢物語の謎の解読のために、まず、その構造などを簡単にを見て行きます。
(構造把握とともに、管理人が気づいた点などを、整理します)
まず、伊勢物語の初段から見て行きましょうか。
物語と始めと終わりは、最も注目される部分で、多くの暗示は初段に見られます。
<伊勢物語 初段>
昔、男、初冠して平城の京、春日の里にしるよしして、狩にいにけり。
その里にいとなまめいたる女はらから住みけり。
この男かいまみてけり。おもほえず、古里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。
男の着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。
その男、忍摺りの狩衣をなむ着たりける。春日野の 若紫の すり衣
しのぶの乱れ かぎり知られずとなむ、をひつぎていひやりける。
ついで、おもしろきことともや思ひけむ。みちのくの しのぶもじずり 誰ゆゑに
乱れそめにし われならなくにといふ歌の心ばへなり。
昔人は、かく、いちはやきみやびをなむしける。
<現代語訳>昔、ある男が元服して、奈良の都の春日の里に所領地があったので、狩に出かけた。
その里には、大変に美しい姉妹が住んでいたが、この男は、その姿をのぞき見してしまった。 思いもかけず、さびれた古都には似合わない美人だったので、うっとり見とれてしまった。男は、着ていた狩衣の裾を切り取って、それに歌を書いておくった。
その男は、しのぶずりの狩衣を着ていたのだった。春日野の若紫のような美しいあなた方の姿に、
この狩衣のしのぶの模様のように、私の心は千々に乱れていますと、大人ぶって詠みおくったのだった。
しのぶ摺りの狩衣を着ていたのでが、洒落た趣向とでも思ったのだろうか。陸奥のしのぶもじ摺りの乱れ模様のように
つれないあなたのせいで、私の心は、千々に乱れることになったのですという(昔の)歌の趣向を踏まえたものだ。
昔の人は、このように即興で、激しい風雅のふるまいをしたものだった。
まず、ぱっと上記で気づくのが、
「みちのくの しのぶもじずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」
・・・という百人一首14番の河原左大臣(源融 みなもとのとおる)の和歌があることです。
源融(みなもとのとおる)と言うと、分かり難いかも知れませんが、
実はこの方、紫式部『源氏物語』の主人公の光源氏です。(実在モデルの一人)
実在の源融は、陸奥の塩竃の風景を愛し、これを自宅(六条河原院)の庭に模して、
わざわざ毎日難波津から潮水を運ばせ、塩を焼いたというエピソードがあるなど、
なかなか風流で、一風、変わった人物です。
(※能の『融(とおる)』を参照)
ただ、源氏物語は、平安時代中期に成立しているので、
伊勢物語の方が成立は古いです。
なので、伊勢物語で、わざわざ、源融(みなもとのとおる)の和歌を、
初段に持ってくる必要性は何なのか?というのが、管理人的には疑問です。
それと、この初段の和歌に良く注目して下さい。
下記の説明を見れば、分かりますが、、、この和歌は、福島県と関係が深いのです。
「みちのくの しのぶもじずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」
【陸奥(みちのく)】・・・現在の東北地方の太平洋側にあたる東半分を指します。
【しのぶもぢずり】・・・
「もぢずり」とは、現在の福島県信夫地方で作られていた、
乱れ模様の摺り衣(すりごろも)のこと。
摺り衣は忍草(しのぶぐさ)の汁を、模様のある石の上にかぶせた
布に擦りつけて染める方法で「しのぶずり」などとも言われます。
この「しのぶ」は、産地の信夫とも、忍草のことだとも言われます。
ここまでが序詞で、後の「乱れそめにし」にかかります。【誰ゆゑに】・・・誰のせいでそうなったのか、という意味です。
【乱れそめにし】・・・乱れはじめてしまった、という意味。
「そめ」は「初め」の意味とともに、「染め」にも引っかけられています。
「乱れ」と「染め」は「もぢずり」の縁語です。【われならなくに】
「私のせいではないのに」という意味で、
暗に「あなたのせいよ」という意を秘めています。
上記語句説明は『ちょっと差がつく百人一首講座』河原左大臣(14番)より引用
単純に、現代語の説明から、その意味を単純にピックアップして繋げていくと、、、
陸奥(みちのく)の福島県信夫地方は、乱れはじめてしまった。
誰のせいで? 私のせいではない、あなたのせいよ
なんて言う意味にも、見えてきたりします。
もしかして、これは、現在の福島の状況を、言い表しているのではないか?
・・・と、何やら奇妙な感覚に陥るので、不思議ですね。
まぁ、これは、現時点で、管理人の強制付会である可能性大なので、
ここでは、これ以上追及しないことにします。
まぁ、この話は置いといて、今度は、伊勢物語の作中で、
「昔、男ありけり」で知られる男が辿った、行動ルートを考えてみましょう。
以下、原文を上げながら解説していきますが、
原文を一緒に提示するため、文章がとても長くなります。
したがって、原文部分は、適当に読み飛ばして下さい。
まず、伊勢物語の初段においては、男は①奈良の京、春日の里に居ますが、
第二段では、奈良の京(平城京)から、②現在の京(平安京)に移っています。
時期は、弥生一日とあり、新暦なら3月末辺りの時期です。
<伊勢物語 初段>
昔、男、初冠して平城の京、春日の里にしるよしして、狩にいにけり。
(中略)昔人は、かく、いちはやきみやびをなむしける。
<伊勢物語 第二段>
昔、男ありけり。ならの京は離れ、この京は人の家まださだまらざりける時に、西の京に女ありけり。
(中略)時はやよひのついたち、雨そほふるにやりける。
その後、第六段で男は女性と結ばれるのですが、、、
③摂津国三島郡の芥川で、その女性を鬼に食われてしまいます。
「鬼に食われた」とは「女性を奪われた」という比喩表現だと注釈がありますが、
なぜ、鬼に食われたと表現する必要があったのか、、、謎です。
その後、(女を奪われて)男は京に居づらくなったためか、男は東国に行く事を決意します。
ただし、東国に行くのも、目的地がこの時点ではっきりせず、
さらに言えば、東国へ行く理由も(京に居づらくなったためとは書いていますが)いまいちはっきりしません。
物語作者には、何か、男を東国へ行かせたい隠れた理由があるのかもしれませんが、
現時点において、そういう理由も一切謎のままです。
とにもかくにも、第七段では、東国に下る途中の
④伊勢・尾張の国境の海岸の場面が出て来ます。
<伊勢物語 第七段>
京にありわびて東にいきけるに、伊勢・尾張のあはひの海づらを行くに、
以後は、ずっと、第十五段まで、東国へ下るルートに入ります。
ただし、ここで良くわからないのですが、
第八段では、いきなり⑤信濃の国、浅間の嶽まで飛んでいます。
また、第八段で描かれた浅間山は、なぜか噴煙を上げているようです。
(前後の段から類推すると、浅間山の煙の時期は、3月末~6月末の間らしい)
<伊勢物語 第八段>
京や住み憂かりけむ、あづまのかたにゆきて住み所もとむとて、
ともとする人、ひとりふたりしてゆきけり。
信濃の国、浅間の嶽に、けぶりの立つを見て、
信濃なる 浅間の嶽にたつ煙 をちこち人の 見やはとがめぬ
その後、不思議な事に、男はルートを逆戻り(?)したのか、
第九段では、男は、⑥三河国の八橋に居ます。
(浅間山の段は何だったのでしょうか?)
<伊勢物語 第九段 前半>
むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、
「京にはあらじ。あづまの方に住むべき国もとめに」とて往きけり。
もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくてまどひいきけり。三河の国八橋 といふ所にいたりぬ。
そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、
橋を八つわたせるによりてなむ八橋といひける。その沢のほとりの木のかげにおり居て、餉くひけり。
その沢に、燕子花いとおもしろく咲たり。それを見て、ある人のいはく、
「かきつばたといふ五文字を句のかみにすゐて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。唐衣 きつゝ馴にし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人餉のうへに涙おとしてほとびにけり。
その後、第九段中盤で、男は⑦駿河国の宇津の山に着きます。
(静岡市宇津ノ谷と藤枝市岡部町岡部とにまたがる山)
<伊勢物語 第九段 中盤>
行き行きて、駿河の国に至りぬ。
宇津の山に至りて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、
つた・かへでは茂り、もの心細く、すずろなる目を見ることと思ふに、修行者会ひたり。
「かかる道は、いかでかいまする。」と言ふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文(ふみ)書きてつく。
駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむその山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ね上げたらむほどして、
なりは塩尻のやうになむありける。
ここで、富士山を見ていますが、この時点で、五月の晦日(つごもり)(旧暦五月末)です。
新暦に直すと、おおよそ6月下旬に該当します。
6月下旬に富士山に雪が降る、、、これは、珍しくは無い事象のようです。
しかしながら、「時知らぬ山」と書かれるほど、当時としても時期外れの雪だったようです。
ちなみに、時期外れの雪と言えば、、、以前紹介した、
「東海道五十三次の蒲原の雪」もそうだったので、関連が気になるところです。
さらに、男は、富士山を横目に、⑧関東の武蔵の国と下総の国に行き着きます。
隅田川が出てくることから、現在の東京スカイツリー近辺まで来ているようです。
<伊勢物語 第九段 終盤>
なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる河あり。
それを隅田川と言ふ。その川のほとりに群れゐて、思ひやれば
限りなく遠くも来にけるかな、とわびあへるに、渡しもり、
「はや舟に乗れ、日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、皆人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。
さるをりしも、白き鳥の、はしと足と赤き、
しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず。
渡し守に問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。
また、この場面での、上記の和歌の現代語訳は、下記になります。
「都という名を負っているのならば、さぁ、尋てみようではないか、都鳥に。
私の想う人は、いったいこの世に、まだ生きているのか、いないのかと」
ここで管理人は思うのですが・・・
普通の感覚なら、自分が想う人が、元気かどうか?を尋ねるのが普通だと思うのです。
しかし、この歌は違います。
自分が想う人が、生きているのか?亡くなっているのか?を尋ねています。
しかも、この歌を読んでから、舟の一行が、こぞって泣いたとあります。
船に乗っていた人は、皆、同じ境遇だったのでしょうか。
この伊勢物語で、男は東国に下っていますが、東くだりの理由が明確でない事と、
都にいる自分の想う人の安否を気づかうこの場面とは、何か関係があるような・・・
管理人には、何かそんな感じがしてならないのです。
続いて、伊勢物語 第十段です。
ここで、男は、⑨武蔵国入間郡、三芳野の里(埼玉県入間郡坂戸町)まで来ています。
また、伊勢物語 第十二段・十三段も、武蔵野に居ることが分かりますが、
十三段で「武蔵なる男」と書かれているので、武蔵野に暫く滞在していた形跡が伺えます。
<伊勢物語 第十段>
むかし、男、武蔵の国まで惑ひありきけり。さて、その国にある女を、よばひけり。
父は異人にあはせむと言ひけるを、母なむ貴なる人に心つけたりける。
父はなお人にて、母なむ藤原なりける。さてなむ、貴なる人にと思ひける。この婿がねによみておこせたりける。
みよし野の たのむの 雁も ひたぶるに 君がかたにぞ よると鳴くなる
住むところなむ、入間の郡、みよし野の里なりける。
婿がね、返し、 わが方に よると鳴くなる みよし野の たのむの雁を いつか忘れむ
となむ。人の国にても、なほ、かかることなむやまざりける。
そして、最終的に、男は、第十四段・十五段において、
⑩陸奥の栗原(宮城県栗原市)や福島県信夫地方まで、行きついている事が分かります。
<伊勢物語 第十四段>
むかし、男、みちの国にすずろに行きいたりにけり。そこなる女、京の人はめづらかにや覚えけむ、せちに思へる心なむありける。
なかなかに 恋に死なずは 桑子にぞ なるべかりける 玉の緒ばかり
さて、かの女、歌さへぞひなびたりける。さすがにあはれとや思ひけむ、行きて寝にけり。
夜ふかく出でにければ、女、夜も明けば きつにはめなで くたかけの まだきに鳴きて せなをやりつる
といへるに、男、京へなむまかるとて、栗原の あねはの松の 人ならば 都のつとに いざといはましを
といへりければ、よろこぼひて、「思ひけらし」とぞいひをりける。
<伊勢物語 第十五段>
むかし、みちの国にて、なでふことなき人の妻(め)に通ひけるに、
あやしうさやうにてあるべき女ともあらずに見えければ、しのぶ山 忍びて通ふ 道もがな 人の心の おくも見るべく
女、かぎりなくめでたしと思へど、
さるさがなきえびす心を見てはいかがはせむは。
それで、実は、この第十五段以降は、
男の過去の回想シーン(もしくは、別の男の話)ばかりとなり、
男の足取りは、ここでプッツリ途切れてしまうのです。
つまり、最後に男が居たのは、「福島県信夫地方」となり、
これは、伊勢物語の初段の、、、「みちのくのしのぶ」に合致してくるのです。
<スタート地点:奈良の京、春日の里>
「春日野の 若紫の すり衣 しのぶの乱れ かぎり知られず」
<ゴール地点:みちのくのしのぶ>
「みちのくの しのぶもじずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」
このように、物語の構造的に考えると、
伊勢物語の初段は、出発点と終着点を計算して書かれている事がわかります。
また、始点の春日野と終点の信夫山を結ぶと、(多少誤差がありますが)そのライン上に、浅間山がくるのも、ちょっと不思議です。(誤差があるので、偶然かもしれません)
ただし、ここで、もう一つ重大な事があるのですが、、、
実は、この第十五段の福島県信夫で、プッツリ途絶えた男の足取りは、
ちょうど百段後の、第百十五段から、男がまた再び現れるのです。
(恐らく、百段後(10×10)という数の節目を計算に入れて作られています)
しかも、今度再登場した男は老人で、かなり時間が経過した形で描かれています。
どうやら、「第一段~第十五段までは、男が若いころ」を示し、
「第百十五段、第百十六段、第百二十五段は老いた男」を示しているようです。
(伊勢物語は、章ごとに独立した構成ですが、時間経過を考慮した作りにもなっています)
第百十五段では、陸奥に居た老いた男が、今度は逆に「都へ還る」と言いだし、
女がはなむけとして、都島(宮城県東松島市宮戸?宮城県塩竈市杉ノ入裏?)で、
酒宴を催したことが書かれています。
多分、男と女は、夫婦となって、この都島に長い間住んでいた様子です。
<伊勢物語 第百十五段>
むかし、みちの国にて、おとこ女すみけり。
おとこ、「宮こへいなん」といふ。この女いと悲しうて、馬のはなむけをだにせむとて、
おきのゐて、都島といふ所にて、酒飲ませてよめる。をきのゐて身を焼くよりも悲しきは宮こしまべの別れなりけり
そして、意味が判然としないのですが、、、
第百十六段では、「なにもかも、皆、うまくいくようになりました。」と書いてあり、
万事の物事が好転したことを、示唆する部分があります。
<伊勢物語 第百十六段>
むかし、おとこ、すゞろにみちの国までまどひいにけり。
京に、思ふ人にいひやる。浪間より見ゆる小島の浜びさし久しくなりぬ君にあひ見で
「何事も、みなよくなりにけり」となんいひやりける。
一体、何がどう良くなったのか?まるっきり謎です。
そして、伊勢物語は、第百二十五段の男の死を持って終わります。
しかも、唐突に亡くなります。
<伊勢物語 第百二十五段>
むかし、おとこ、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、
つゐにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふ今日とは 思はざりしを
以上が、伊勢物語の、東くだりをした男の行動ルートです。
実在の在原業平が、塩竃の地まで行ったかどうかと言われれば、多分、行ってないと思います。
逆に、塩竃を愛したのは、冒頭で紹介した、河原左大臣(光源氏)です。
(京都には、それにちなんだ地名(京都府京都市下京区塩竈町)があるくらいです)
この辺のつながりが、妙に、あり過ぎて、伊勢物語を、不可解なものにしています。
在原業平は、いったい何を伝えたかったのでしょうか。
管理人の試行錯誤は、まだまだ続きます。。。
古典の中には、「奥の細道」などにも見られるように、
塩竃や松島を旅の目標地に設定しているものが多く見受けられます。ヤマトタケルの東征も、この塩竃近辺まででした。(竹水門まで)
古来、日本の領地の北端が、この多賀城辺りにあったためとも言われていますが、
何かそれだけではないような気がしないでもありません。
続き:⇒ 伊勢物語に隠された謎の暗号「ちはやふる」
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