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2013年8月 8日
前々回の「丹後国加佐郡の由来と吉備鴨別」の記事に置いて、
近江野洲の御上神社を取り上げました。
▼御上神社(滋賀県野洲市)
この近江野洲の地は、日本の古代史的にも非常に重要な地です。
と言うのも、管理人が考えるに・・・
邪馬台国の祭祀は、近江野洲地域(三上山周辺)で行われた可能性が非常に高い!
・・・と考えるからです。
記紀には、神功皇后(息長帯比売命)が、卑弥呼に見立てられている節もありますし、
その息長氏は、古事記に「近淡海之御上祝以伊都玖、天之御影神之女、息長水依比賣」
・・・とあり、息長氏も元々は、近江野洲地域(三上山周辺)出身の氏族です。
野洲にある大岩山には、銅鐸が大量に見つかっており、
古代の(製鉄)祭祀の中心地が、この野洲地域にあったことを伺わせます。
しかも、この銅鐸の年代は、邪馬台国の卑弥呼の時代とほぼ同時期のものなのです。
▼下記は、野洲で一気にまとめて出土してきた銅鐸
こういうところから、近江野洲は、非常に重要な土地なんですが・・・
邪馬台国の議論は、(これも興味深い話題なのではありますが)
今回お話する事とは、直接は関係無いので、一先ず置いておきます。
今回の話は、時代的には、"卑弥呼の時代よりも、もっと前"の話になります。
さて、「前回記事」で述べた通り、
海部氏の祖先の一人に、笠水彦命(うけみずひこみこと)がいます。
笠水彦命は、海部氏の「勘注系図」を見る限り、
近江野洲の御上神社で祭祀を行う神官だった可能性が高いです。
▼海部氏系図の概略(勘注系図)
笠水彦命(四世孫)
母豊水富命、亦名井比鹿也
神渟名川天皇【綏靖】御宇、
以天御蔭之鏡爲神寶、以奉仕矣、
此命娶笠水女命、亦名與志美別、
生笠津彦命矣、(笠訓宇介、)
御蔭之神事、今俗稱葵神事
笠水彦命は、母は豊水富命、またの名は井比鹿なり。
綏靖天皇の時代に、天御蔭之鏡を神宝と為して、もって奉仕する。この命が、笠水女命(またの名を與志美別)を娶り、
笠津彦命を産んだ。(笠はウケとよむ)御蔭の神事を、今、俗に葵神事と称す。
笠水彦命が近江野洲の御上神社と関係があると考えられるのは、上記の記述以外にも、
笠水彦の父親の倭宿禰命の勘注系図に、下記のように、
彌加宜(みかげ)社 祭神は天御蔭命・・・と書いてあることからも伺えます。
神武天皇の時代に、参りおもむき、祖神から伝わる
天津瑞神宝(=息津鏡・邊津鏡)を献じ、もって奉仕する。
(彌加宜(みかげ)社 祭神は天御蔭命(あめのみかげのみこと)
丹波道主王(たんばのみちのうしおう)が祭り給うところなり)
さらに、笠水彦命が、近江野洲の御上神社に居た事を示す傍証として、
これまで、出自などが一切不明だった笠水女命(與志美別)の存在があります。
笠水彦命の妻は、笠水女命、またの名を與志美別(よしみわけ)と言います。
この與志美ですが、管理人が考えるに、恐らく、御上神社にほど近い、
守山市吉身(吉水郷)を指している可能性が非常に高いと思います。
と言うのも、笠水彦命・笠水女命に共通する笠水(うけみず)という名前は、
豊宇気大神の宇気(受)とも関連する、宇気水(うけみず)の意味だと思われます。
宇気水(うけみず)とは、すなわち、神に供える水と考えられ、
食物神である豊受大神に奉仕するためには、まずは、清い水が重視されたと考えられます。
つまり、神に供える水を奉仕する神官・巫女だったからこそ、
笠水彦命・笠水女命という名前が、宛てられたのではないでしょうか?
祭祀に水が重視された事は、その母の代からも伺えます。
笠水彦命の母に、豊水富命(またの名を井氷鹿・井光)がいますが、彼女は、
神武天皇の前に現れた時、「泉の中から出てきた」と書かれています。
そこから更に行かれると、尾のある人が泉の中から出てきた。
その泉の水はきらきらと光っていた。そこで、「お前は誰だ」とお尋ねになったところ、
「私は国神、名は井氷鹿(いひか)である」と答えた。
上記のように、海部氏の氏族、神官の家系は、水を非常に重視していたようです。
ひるがえって、この守山市吉身を考えてみましょう。
古くは当地を吉水郷と言い、ゲンジホタル(守山ホタル)が非常に多く、
湧水の豊かな土地だったようです。
吉水郷は、その名の通り、吉(よい)水の意味があります。
この事は、大和朝廷にもよく知られていたようで、日本書紀の持統天皇7年条に、
吉水郷に、かつて存在した益須(やす)寺の醴泉(こさけのいずみ)の記事が出てきます。
<『日本書紀』持統天皇七年十一月条>
己亥に、沙門法員・善往・真義等を遣して、試に近江国の益須郡の醴泉を飲服ましめたまふ。<『日本書紀』持統天皇八年三月条>
己亥に、詔して曰はく、 「粤に七年の歳次癸巳を以て、醴泉、近江国の益須郡の都賀山に涌く。
諸の疾病人、益須寺に停宿りて、療め差ゆる者衆し。故に水田四町・布六十端入れよ。益須郡の今年の調役・雑徭原し除めよ。
国司の頭より目に至るまでに、位一階進めしむ。其の初めて醴泉を験する者葛野羽衝・百済土羅羅女に、
人ごとに二匹・布十端・鍬十口賜ふ」とのたまふ。
朝廷に、病気療養に効くとされ、さらに恩賞を賜るほど、吉水郷の水は有名でした。
(守山市吉身の隣に、泉町があり、そこが都賀山の醴泉と思われます)
吉野にいた持統天皇が、わざわざ近江にまで、部下を遣わして水を貰い受ける程です。
これは、単なる名水というだけでなく、"何らかの霊験"を求めての事だったのでしょう。
それはつまり、三上山からの湧水という、神の霊験を求めてのことだったのではないでしょうか。
以上の事を考慮すると、、、
守山市吉身(吉水郷)は、神に奉仕する笠水(うけみず)を採取するのに最適な地で、
笠水女命の與志美別も、吉水郷出身だった可能性が高いです。
したがって、夫である笠水彦命も、この地に居た可能性が非常に高いのです。
しかし、今現在、笠水彦命や笠水女命や、その二人の子供である笠津彦命の痕跡は、
近江野洲には見えず、主に彼らは、丹波方面で祭られています。
舞鶴市公文名にある笠水神社の祭神が、
丹後海部氏の祖神である笠水彦神、笠水姫神舞鶴市松尾にある青葉神社の祭神が、
丹後国造海部氏の祖・笠津彦(うけつひこ)と笠津姫(うけつひめ)
これは、何故なのでしょうか?
先ほどの問いに関して調べてみると、どうやら、
海部氏は6世孫の建田勢命の時代辺りで、近江野洲から丹波に移動したようです。
▼海部氏系図の概略(勘注系図)
勘注系図には、第7代孝霊天皇の時代において、6世孫の建田勢命は
丹波の宰(みこともち)として、山城国久世郡水主村に移動したことが書かれています。
<『勘注系図』丹波國造海部直等氏本記より引用>
「大日本根子彦太瓊【孝霊】天皇御宇、
於丹波國丹波郷、爲宰以奉仕、然后移坐于山背國久世郡水主村、
故亦云山背直等祖也、后更復移坐于大和國
恐らく、第7代孝霊天皇の時代に海部氏の先祖の本系は、近江野洲から丹波に移動し、
その代わりに、海部氏は、御上神社に第9代開化天皇の時代辺りまで、
神に仕える斎宮(巫女)を、御上神社に送り出すようになったのだと思います。
第9代開化天皇の妃に、竹野姫が見えるのはそのためで、
恐らく、この人物は、丹後から派遣されて御上神社の巫女となり、
そのまま、開化天皇の妃になったのではないかと思われます。
▼竹野神社・斎宮神社(京都府京丹後市丹後町宮249)
※ここで、海部氏の巫女が養育され、中央に送り出されたと考えられます
ですので、この第9代開化天皇の時代の頃までは、
海部氏と近江野洲の御上神社の繋がりは深かったのだと推測します。
<参考>
御上神社の神官である御上祝は、野洲郡一帯を治めていた安国造の一族で、
安国造の祖は、水穂真若王(近淡海の安直の祖)です。水穂真若王と、丹波比古多多須美知能宇斯王とは、
開化天皇を父、息長水依姫を母とする同母の兄弟です。丹波比古多多須美知能宇斯王は、海部氏系図の8世孫の
倭得玉彦命(川上眞若命、川上麻須)の妹、あるいは娘の川上摩須郎女を娶り、
海部氏一族に婿入りしたと考えられます。したがって、「海部氏」と「近淡海の安直」は兄弟氏族的な関係です。
ただし、変化が訪れたのは、第10代祟神天皇・第11代垂仁天皇辺りで、
この時代から、天皇や皇族に「イリヒコ」「イリヒメ」など「イリ」のつく名称をもつ
大和の勢力を中心とする三輪王朝(イリ王朝)へと変化していきます。
そして、この三輪王朝(イリ王朝)の頃に、中央と結び付きを深めたのが、、、
今まで述べてきた、吉備氏の勢力なんです。
そして、吉備鴨別の笠氏と御上神社との関係を調べるのにも、
この三輪王朝(イリ王朝)からの時代を、精査する必要があるのです!
今回は、記事が長くなりましたので、この辺で。
次回は、イリ王朝のうち、垂仁天皇の名前に隠されている二つの日本を示したいと思います。
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