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2013年7月 3日
前回の「七夕と笹の関係」の続きです^^;
前回、述べた通り、日本の七夕には、必ずセットで笹が出てきます。
中国の七夕に、笹は出てきませんので、何かしらの日本特有の理由があるはずです。
そう考えて、まずは「七夕と笹とが、いつ結びついたのか?」を考えたいと思いますが、、、
オールアバウトの記事によると、
七夕に笹竹を立てる習慣が広まったのは、室町時代からだそうです。
しかし、管理人は断言しますが・・・
七夕と笹が結びついたのは、それよりも、はるか前、、、
少なくとも古墳時代までは遡れます。
なぜなら、記紀において、確実に七夕と笹とが、意識されているシーンがあるからです。
その問題のシーンは、記紀の衣通姫(そとおりひめ・そとおしのいらつめ)の伝説にあります。
この衣通姫は、絶世の美女と伝承される人物で、
大変に美しい女性であったため、その美しさが衣を通して輝くとされた人物です。
記紀の中で、絶世の美女とされていることや、
名前にオリヒメが含まれている事などを考慮すると、、、
この衣通姫には、七夕の織姫が相当に意識されています。
その衣通姫が、日本書紀で詠んだの歌の中に、小竹(ささ)が出てきます。
允恭天皇(仁徳天皇の第四皇子)が藤原宮の衣通姫の元に、密かに訪ねましたが、
その天皇が来た事を知らない衣通姫が、天皇を恋い慕って詠んだ歌。我(わ)が夫子(せこ)が 來(く)べき夕也(よひなり) 小竹(ささ)が根(ね)の
蜘蛛(くも)の行(おこな)ひ 今宵著(こよひしる)しも(今晩は、きっとあの人が来てくれるに違いない。
笹の根元で蜘蛛が巣を張っている、今夜はそれがはっきり見えるもの。)
この歌を聞いて、天皇は心を打たれて詠んだ歌。
ささらがた 錦(にしき)の紐(ひも)を 解(と)き放(さ)けて
数(あまた)は寝(ね)ずに 唯(ただ)一夜(ひとよ)のみ(ささら模様の錦の紐を解き放って、
さあ、幾夜もとは言わず、ただ一夜だけ共寝しよう。)
だから、"幾夜もとは言わず、ただ一夜だけ"、、、と歌に詠まれている訳ですね。
この思想が、上記の衣通姫と允恭天皇の和歌に反映されていると言う事は、
彼らが織姫と牽牛なのです。
したがって、この歌や記紀のストーリーを見れば、
衣通姫に七夕の織姫が仮託されている事は明白です。
そして、重要なことに、、、
その衣通姫の歌の中に、小竹が根(ささがね)というように、笹が出てきます。
また、允恭天皇の返歌にも"ささらがた(細形)"とわざわざササの音が出てくるので、
"ササ"が意識的に、歌に組み込まれていると見て、まず間違いないでしょう。
このように考えますと・・・
少なくとも允恭天皇の時代から、既に、七夕と笹とが結びついていたと考えられます。
ただ、この衣通姫は、存在自体が架空である可能性もあるため、
このストーリー自体が、記紀編纂時に創作されたものである可能性もあります。
そうすると、七夕と笹が結びついたのは、允恭天皇時代まで遡ることはできません。
しかしながら、管理人は、それでもやはり、少なくとも古墳時代には、
既に、七夕と笹とは結び付いていたのではないか?と思うのです。
それは何故かと言うと、衣通姫の歌には・・・
【小竹が根の蜘蛛】と言うように、なぜか蜘蛛が出てくるからです。
これは実に不思議なんですが・・・
七夕の織女が描かれたと思われる桜ヶ丘4号銅鐸(紀元前1世紀~紀元1世紀)には、
カセを持つ織女の真上に、やはり蜘蛛が出てくるのです。
衣通姫の歌に【小竹が根の蜘蛛】と言うように、蜘蛛が出てきたり、、、
桜ヶ丘4号銅鐸で、織姫の絵の上に蜘蛛が出てきたりします。
現代人から見れば、意味が分からないと思いますが・・・
実は、『荊楚歳時記』七月七日条には、
「七夕に庭中に並べた瓜の上に、蜘蛛が網をかければ願いごとが叶う前兆」
・・・という俗信がある事が、ハッキリ書かれているのです。
(参考サイト:蜘蛛の行ない)
ですので、七夕に蜘蛛が出てくるのは、その俗信のためであって、
銅鐸に織女と一緒に蜘蛛が描かれているのも、それ由来ではないかと思います。
また、銅鐸に織姫と蜘蛛があると言う事は、
紀元前後頃には、既に、そういう思想があったのではないか?と考えられるのです。
衣通姫の歌にある【小竹が根の蜘蛛】は、期限4世紀ころの允恭天皇の時代ですから、
その頃には、七夕と笹、蜘蛛は、結びついていた可能性が高いと思います。
(参考文献:七夕と相撲の古代史)
允恭天皇は、仁徳天皇(大鷦鷯命 おほさざきのみこと)の第四皇子です。
前回の記事「七夕と笹の関係」で述べたように、
中国では、カササギが、牽牛と織姫を再会させる橋を掛ける役割をします。
したがって、仁徳天皇の大鷦鷯命の名前に、鷦鷯(ササキ、サザキ)がありますが、
もしかすると、允恭天皇(牽牛)と衣通姫(織姫)とを、結びつける、
橋渡し的な意味もあったのかもしれません。
ですが、そういう七夕のロマンチックな面だけでなく、
そこに隠された、歴史的な意味合いについても考えて見ましょう。
允恭天皇の名前は、古事記では、男浅津間若子宿禰王(をあさつまわくごのすくねのみこと)、
日本書紀では、雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごのすくねのみこと)と言います。
実は、この名前には、非常におかしな点があって、、、
天皇であるのに"宿禰"という、皇族関係者らしからぬ名前になっています。
宿禰は、野見宿禰、葦田宿禰や武内宿禰のように、
大和朝廷初期(1世紀~4世紀ごろ)は、豪族の身分を表す
姓(かばね)として使われていたらしく、
管理人が思うに、允恭天皇は、元々は地方豪族の王だった可能性があります。
また、允恭天皇の名前の「浅津間」の由来については、
允恭天皇の母が、葛城襲津彦の女・磐之媛命なので、
葛城地方にある奈良県御所市朝妻から来ている名前だと思われます。
恐らく、允恭天皇の出身地も、その辺りにあったのでしょう。
ですが、幾ら地名とは言え、、、
男なのに、朝津間(朝妻)という女性っぽい名前は、おかしい気もします。
それが理由なのか分かりませんが、わざわざ允恭天皇の名前には、男を強調したいためか、
「男浅津間(雄朝津間)」というように、名前の前に男(雄)が置かれています。
そうすると、逆に、「女の朝妻もいるんじゃないか?」と考えてしまうのですが・・・
そう考えると、允恭天皇を牽牛と考えた時、衣通姫が織姫になりますから、
「衣通姫が女朝妻(雌朝妻)なのだろう」、、、と考えるのが普通です。
そう考えて、その衣通姫の出身地について調べみると、、、
日本書紀においては、衣通姫は、近江坂田の息長氏の娘として出てきます。
それで、その坂田の地を探って見ると・・・
やはり、近江坂田にも、朝妻の地名が見えるのです!
しかも、この近江坂田の朝妻筑摩地域は、「朝妻筑摩の七夕伝説を追え!」で述べたように、
天の川(息長川)を舞台とした七夕伝説までもが伴います。
▼天の川(滋賀県米原市)
奈良の葛城地方と近江坂田とに、こうした同じ地名が見えると言うのは、
実に興味深いとしか言いようがありませんね^^;
ですが、ちょっと待って下さい。
話は、そう単純ではないのです。
実は、良く見ますと・・・、
近江の朝妻筑摩の七夕伝説の牽牛と織姫は、允恭天皇と衣通姫ではないのです!
近江の朝妻筑摩の七夕伝説は、まったく別の人物が仮託されています。
<朝妻筑摩の七夕伝説>
- 牽牛・・・雄略天皇の第四皇子 星川皇子
- 織姫・・・仁賢天皇の第二皇女 朝嬬皇女
これは、いったい。。。どういう事でしょうか?
この辺が、記紀が一筋縄で解けない難しさがあるのです(--;
ですが・・・ヒントは、あります。
七夕には笹がセットで付いてきますが、、、それ以外に、必ず付けるものがありますよね?
そう、、、それこそが、五色の短冊です!
七夕の笹に必ずセットで付いてくる"五色の短冊"は何を示すのでしょうか?
今まで述べた通り、笹には、記紀の大きな意味が隠されていると考えられますから、
五色の短冊の由来にも、きっと、何かしら記紀の謎に対応する事実があるはずです。
未だかつて、日本人でだれも解けてない問題です。
管理人も、まだ、その全貌を解き明かせてないのですが、、、
その辺を、今後も、引き続き、検討・考察していきたいと思います^^;
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