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2013年2月21日
今回から、暫く、一つのテーマに沿って記事を書きたいと思います。
管理人自身、最近、「古事記や日本書紀(記紀)」の謎解きをするようになっています^^
日本の古来の信仰がどんなものか?を解く上では、記紀を読み解くことが大事です。
そのために、最近は「先代旧事本紀」や「ホツマツタエ」などといった、
マニアックな定本にまで手を出すようになってしましました。
・・・どうやら、もう取り返しがつかない程、のめり込み過ぎてます^^;
ですが、そのおかげで、管理人自身、記紀が言わんとしている事が、
徐々に分かりかけてきたような気がします。
今回から、そうした記紀の謎について、徐々に紐解いていきたいと思います。
(そして、それは、今後の私たち日本人の宗教観を正すうえでも大事な事です)
さて、記紀を読みこんでいくと、どうしても目につくのが、
"女陰・陰部(ホト)が原因で死ぬ不自然な女性"の存在です。
▼スサノオに天の斑駒(アメノフチゴマ)を投げ入れられて死ぬ織姫
【画:出雲井晶】
<記紀において、不自然な死に方をする女性の一覧>
- イザナミノミコトが女陰(ほと)を焼かれて死ぬ
- 天照大神の服織女(はたおりめ)が梭で女陰(ほと)を衝いて死ぬ
- 倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)が箸で女陰をついて死ぬ(日本書紀のみ)
記紀では、少なくとも、上記3名の女性が、ホトを衝かれて死んでいますが、
これら、陰部を衝かれて死ぬ女性の記述は、何を暗示しているのでしょうか?
非常に難解なテーマで、これまで多くの人が、
はっきりとは謎を解き明かせていないテーマです。
これを、今回、管理人のような素人が恐縮ですが、その謎を説き明かしたいと思います(笑
ただし、管理人の知識では、到底、その全貌を解き明かす事は無理なので、、、
方々から古代史のエキスパートの論述などを引用を交えて、解説していきます。
ですので、以下で述べることは、管理人だけの知識の成果ではありませんので、悪しからず。
と言う事で、その謎解きを始めたいと思いますが・・・
最初にまるっきり違うところから、説明しないといけません。
今から述べる事は、、、最初から、核心的な部分です。
タイトルのそのまんまなんですが・・・
この謎解きをするのには、「音」が深く関わっています。
聖書においては、ヨハネの福音書で、こう書かれてあります。
ヨハネの福音書 第一章
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
言葉と言うのは、いわば、口から発する"音"です。
この言葉(音)には、命が宿り、その命は、「人の光」であると述べられています。
つまり、こう書けます。
言葉(音)=命=人の光
つまり、言葉(音)=人の光です。
今までの人生で、どんな言葉を発したのか?
それにより、それぞれ人の光というのは変わってくるのだと思います。
マタイの福音書には、こうも書いてます。
マタイによる福音書 12章 36節
あなたがたに言うが、審判の日には、
人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。
審判の日においては、神は、その言葉(音)を観られることになると思います。
それだけに、言葉(音)と言うのは大事なものなんです。
先ほどは、キリスト教での言葉、音の取り扱いについて見ました。
次に、仏教で、どういう扱いが為されているかを見ます。
その前に、カッバーラの生命の樹における対応として、
生命の樹は、左から順に、峻厳の柱、均衡の柱、慈悲の柱となりますが・・・
キリスト教で考えますと、三つの柱には、下記のように対応します。
<キリスト教の三神>
- 峻厳の柱=聖霊
- 均衡の柱=御父(ヤハウェ・エロヒム)
- 慈悲の柱=御子(ヤハウェ、イエス・キリスト)
一方、仏教の方でも、きちんと三神があり、
仏教では生命の樹の三柱に下記のように対応します。
<仏教の三神>
- 峻厳の柱=勢至菩薩(せいしぼさつ)
- 均衡の柱=阿弥陀如来(あみだにょらい)
- 慈悲の柱=観音菩薩(かんのんぼさつ)
上記のように、慈悲の柱=キリスト=観音菩薩 と、このように対応しています。
▼白衣観音図(狩野元信・画)
実際、仏教で、一般衆生の最も身近にいるのが、観音菩薩です。
しばしば、白衣(びゃくえ)を纏った、白衣観音としても描かれますが、
その姿は、キリストを彷彿させるものがあります。
それで、観音菩薩をwikiで調べるとこう書いてあります。
<観音菩薩について>
中央アジアで発見された古いサンスクリット語の『法華経』では、
「avalokitasvara」となっており、これに沿えばavalokita(観)+ svara(音)と解され、
また古訳では『光世音菩薩』の訳語もある。玄奘三蔵以降の新訳では観自在菩薩と訳している。
また衆生に総てを畏れざる無畏心を施す意で施無畏者、世を救済するので救世大士ともいう。
「観自在」とは、智慧をもって観照することにより自在の妙果を得たるを意味する。
まぁ、仏教において観音菩薩は世を救済しますが、
キリスト教で、世を救済するのはキリストです。
したがって、以上のように観音菩薩=キリストが投影されている事に成ります。
それで、重要な事ですが、仏教の観音菩薩の名称にも、
やっぱり、「音を観る」と書かれてあるのです。
神道の場合の「音」は、あまり表だっては出てきませんが・・・
例えば、伊勢神宮の内宮の本殿の隣にある、荒祭の宮で祀られている
セオリツヒメ(瀬織津姫)には、ちゃんと音があります。
ずばり、「織」の部分です。
織の字を漢字分解すると、、、糸+音+弋(くい)です。
このように音が、必ず入っているのです。
神道ではそれ以外にも、天照大御神の服織女がスサノオに殺される場面がありますが、
服織女の「織」にも、きちんと「音」が入っています。
こちらも、見逃せない部分です。
平御幸氏の説よりますと、人の名称にも、ちゃんと音は入っているそうです。
すなわち、、、
男(=音こ)
女(=音な)
男が訓読みで、女が音読みであって、音読み訓読みの"合わせ鏡"になっている事も重要です。
先ほど、「神は音を観る」、、、と言いましたけど、
こうして考えると、男も女も、それぞれ、音で表現されているのです。
このような話は、ほとんど、皆さん気付いてないでしょうが、
音は、非常に重要なのです。
(管理人が、528HZの音を紹介しているのも、そんな理由あったりなかったり(笑)
それで、なぜ、音の話をしたかと言うと、、、
最終的には、この音=ホト にも繋がるからなんです。
こういう音が大事であるという事を紹介したところで、、、
今度は、実際に記紀の記述で、音が出てくる場面を見てみましょう。
実は、記紀に音が出てくる場面で、意外なところに、オトが出てきます。
その部分は、女陰と関係無い所で出てきます。
それは、アメノワカヒコ(天若日子、天稚彦)が死んだ場面です。
このストーリーを知らない方にも、あらすじを、下記にまとめておきます。
葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天穂日命(あめのほひ)が
3年たっても戻って来ないので、次にアメノワカヒコが遣わされた。しかし、アメノワカヒコは大国主の娘下照姫命と結婚し、
葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。そこで天照大神と高皇産霊神は雉の鳴女を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。
すると、その声を聴いた天探女(あめのさぐめ)が、不吉な鳥だから射殺すようにと
アメノワカヒコに進め、彼は遣された時にタカミムスビから与えられた
弓矢(天羽々矢と天鹿児弓)で雉を射抜いた。その矢は高天原まで飛んで行った。
その為、タカミムスビは「アメノワカヒコに邪心があるならばこの矢に当たるように」と
誓約をして下界に落とすと、矢は寝所で寝ていた
アメノワカヒコの胸に刺さり、彼は死んでしまった。アメノワカヒコの死を嘆くシタテルヒメの泣き声が天まで届くと、
アメノワカヒコの父のアマツクニタマは下界に降りて葬儀のため喪屋を建て殯をした。
シタテルヒメの兄の味耜高彦根命も弔いに訪れたが、
彼がアメノワカヒコに大変よく似ていたため、アメノワカヒコの父と妻が
「アメノワカヒコは生きていた」と言って抱きついた。するとアヂスキタカヒコネは「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、
剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。
喪屋が飛ばされた先は美濃の藍見の喪山だという。
この場面において、古事記ではシタテルヒメが、次のような「歌」を詠んでいます。
<原文>
阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流
多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜
美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦 比古泥能迦微曾也。<現代語訳>
天(あま)なるや 弟棚機(おとたなばた)の
頸(うな)がせる 玉の御統(みすまる)、
御統に 孔玉(あなだま)はや。
み谷(たに) 二(ふた)わたらす
阿遅志貴高日子根(あぢしきたかひこね)の神そ。
実は、記紀において、「タナバタ」という語句が出てくるのは、上記一か所のみです。
(万葉集や倭姫世記などでは、タナバタは出てくる)
淤登多那婆多と書いて、オトタナバタです。
※注釈
前述の<現代語訳>では、弟棚機と書かれていますが、 この弟と言う文字は、平林章仁氏の著書によると、(兄棚機などが全く存在しないため)兄弟という意味での弟ではなく、「かわいい・美しい」という意味での接頭語であると氏は述べています。 (※管理人自身は、元々は弟ではなく、機織の時に響く"音"ではないかと思います)
このように、きちんと、"音"が出てきます。
しかも、七夕(棚機)とセットで。
ですので、「七夕と音」は、切っても切れない関係にある訳です。
以上の事から、天照大神の女陰(ホト)を杼で突いて死んだ服織姫も、
七夕・棚機と一緒に考える必要がある訳です。
<古事記の天の岩戸の直前の場面>
高天原で大暴れした須佐之男命が、機織り部屋の屋根を破り、
逆剥ぎにした天の斑馬を投げ入れたため、驚いた天の服織女(はたおりめ)が
驚いて杼でホトを突いて死んでしまった
ちなみに、以前、「アメノフチゴマの正体はペガスス座である」と書きましたが、
ペガスス座が逆剥ぎ状態に見えるのも、七夕の季節です。
【画像は、つるちゃんのプラネタリウムの画を、こちらで加工しています】
こういうところからも、「女陰(ホト)を衝いて死ぬ女性」を考察する上では、七夕や音を一緒に考える必要が出てくる訳です。
こうやって、「音」を強調して書きましたが・・・
今までの説明では、服織女が「杼(ヒ)」でホトを突いた理由などは、全く見えてきません
さらに、イザナミがホトを焼かれて死んだ理由も・・・
倭迹迹日百襲姫が箸で女陰をついて死んだ理由も分からないままです。
これらの謎を解くには、まだまだ、他にもパズルのピースが必要です。
謎を解く鍵は、ホトという音読みにあります。
また、七夕のルーツにも、そのヒントが隠されていそうです。
ですが、こうした記紀の謎や、七夕の謎を解くためには、
まるっきり違うところから、読み解いていく必要があります。
そして、その謎を解くためには、絶対に「聖書」が必要になってくるのです。
どうして、記紀や七夕という日本の故事に、聖書が関わってくるのでしょうか?
まぁ、これについては、また次回以降に・・・^^;
PS.次回は、なぜ、「天の斑馬(ふちこま)が"斑"模様である必要があるのか?」も知ることが出来ます^^
続き⇒七夕の謎② ~七夕のルーツは古代エジプトにあった!?~
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