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2013年7月 5日
前回、前々回と、七夕と笹の由来について記してきました。
その結果、分かって来た事は、七夕と笹とが結びつく由来については、
どうやら、近江(特に南部)で起きた出来事と密接に関わっているらしい・・・と言う事でした。
そして、その近江には、近江坂田の地に七夕伝説として残っているのですが・・・
こちらは、なぜか織姫と牽牛が、別の人物で仮託されていました。
<近江の朝妻筑摩の七夕伝説>
- 牽牛・・・雄略天皇の第四皇子 星川皇子
- 織姫・・・仁賢天皇の第二皇女 朝嬬皇女
この配役は非常に不可思議だと言わざるを得ません。
なぜ、日本書紀で牽牛と織姫が仮託されている允恭天皇と衣通姫ではないのでしょうか?
管理人が思うに、ここに古代史の謎が含まれているように思いますし、、、
この謎解きにあたっては、七夕の笹と一緒に出てくる
「五色の短冊」の意味や由来を謎解きする必要があるように思います。
それは、何故かと言うと、、、
この近江の朝妻筑摩の七夕伝説で、牽牛に割り当てられた「星川皇子」ですが、
日本書紀で、この星川皇子は、雄略天皇の死後に、政権を奪取するために内乱を起こしています。
その星川の乱(雄略天皇23年)の直前の、雄略天皇22年に、
なぜか、浦島太郎(瑞江浦島子)のストーリーが組み込まれているからです。
▼島児神社の浦島太郎像(京丹後市網野町浅茂川明神山382)
ここで、「は?浦島太郎と「七夕の五色の短冊」とに、何の関わりがあるんだ?」
・・・と思った方も多いと思います^^;
「浦島太郎」と言えば、京都の丹後半島の話です。
一方、今、ここでお話しているのは、近江坂田の朝妻筑摩の話です。
距離的にも、大きく離れていますし、一見、何ら関連性も無いように見えます。
しかしながら、、、実は、関係大アリなのです。
浦島太郎(瑞江浦島子)の出身地は、丹波の国の与謝郡管川村とされていますが・・・
この管川村のすぐ隣は、昔は「朝妻村」と呼ばれていました。
そう、、、
実は、ここに「米原市朝妻筑摩」「御所市朝妻」に続く、第三の朝妻があるんです!
朝妻村の概要より引用
朝妻村(伊根町)は、明治22年~昭和29年の与謝郡の自治体名で、
大原・新井・井室・六万部・泊・津母・峠・畑谷の8か村が合併して成立した。
大字は旧村名を継承し、8大字を編成した。昭和29年伊根町の一部となり、村制時の8大字は伊根町の大字に継承された。
遺称として、朝妻川や朝妻小学校、朝妻保育園、泊の松岩寺の山号は朝妻山がある。
取りあえず、この「朝妻」というキーワードだけ見ても、
近江坂田の七夕伝説と浦島太郎に、何かの関連性がありそうだとは思えないでしょうか?
浦島太郎(浦島子)のストーリーは、日本書紀の雄略天皇22年に書かれています。
そして、近江坂田の七夕伝説の牽牛になっている星川皇子の反乱は、
その翌年の雄略天皇23年に起った出来事です。
時期的にも、わずか1年違いですし、日本書紀の浦島伝説のすぐ後に、 星川皇子の反乱の記事が続いていることが分かります。
浦島子のストーリーは、日本書紀を見れば分かりますが、
雄略天皇の記述の本文の中で、本当に唐突に出てきます。
(参考:「日本書紀」の浦嶋子伝説)
「なんで、ここで、いきなり浦島子の話がでてくるの?」
と思わずには、いられないような形で、日本書紀の本文に組み込まれています。
何の脈絡も無く、浦島子の伝説が、突然出てくるのは、
その前後に、浦島太郎と関係ある事象があったと捉える方が自然です。
そう考えると、丹後と近江の朝妻の共通性なども考慮すると、、、
星川皇子の乱が、最も浦島子伝説と関わりが深いと考えられるのです。
さらに言えば、この近江の七夕伝説だけでなく、、、
浦島伝説にも、実は、七夕が深く関わっているのです。
皆さんは、浦島太郎の出来事って、いつ起きたかご存知でしょうか?
浦島太郎の伝説は、「日本書紀」「風土記」「万葉集」とあるんですが、
「日本書紀」には、雄略天皇22年(478年)の秋7月と書かれています。
最も古い文献と思われる風土記では、残念ながら、日付までは書かれていません。
万葉集は、春の日と書かれ、場所もなぜか大阪の住吉です。
(万葉集だけは、後世に作られた異文と捉えた方が良いでしょう)
その「浦島太郎の話が、いつ起きたか?」と言う事ですが、
管理人は、気になって丹後の浦島神社(宇良神社)でに行って確認しました^^;
▼浦島神社(宇良神社) (京都府与謝郡伊根町本庄浜141)
その結果、浦島神社(宇良神社)の社伝で分かったのは・・・
浦嶋神社(宇良神社)
鎮座地 京都府与謝郡伊根町本庄
祭神 浦島子(浦島太郎)
相殿神 月読命、祓戸大神浦嶋神社は延喜式神名帳所載によると『宇良神社』と記されている。
創祀年代は淳和天皇の天長二年(八二五)浦嶋子を筒川大明神として祀る。浦嶋子は日下部首等の祖先に当り、開化天皇の後裔氏族である。
その大祖は月讀命の子孫で当地の領主である。浦嶋子は人皇二十一代 雄略天皇の御宇二十二年(四七八)七月七日に
美婦に誘われ常世の国に行き、その後三百有余年を経て、
五十三代淳和天皇の天長二年(八二五)に帰って来た。常世の国に住んでいた年数は三百四十七年間で、
淳和天皇はこの話を聞いて浦嶋子を筒川大明神と名付け、
小野篁は勅使として、勅宣をのべたうえ小野篁は勅使とし宮殿を御造営された。この神社に伝わる浦嶋物語は起源が最も古く、
八世紀初期にできた丹後風土記、更に日本書記・万葉集などに記載されている。又、古代より浦嶋神社に対して崇敬の念は厚く誠に顕著なものがある。
※淳和天皇の天長二年(八二五)に帰って来たというのは、「水鏡」書かれていますが、 日本書紀、風土記、万葉集の成立年代が、この西暦825年よりもはるか前なので、 これは、帰還時の年代は、あまり意識しなくても良いように思います
そう、上記の通り、浦島太郎の伝説は、
西暦四七八年の七月七日に起きた出来事なのです。
ですので、浦島太郎も、近江坂田の七夕伝説も、
同じ七夕とというキーワードで結びついているのです。
そして、そのように考えて、浦島太郎の元のストーリーをよくご覧下さい。
丹後の国風土記の浦島子伝説には、はっきりこう書かれています。
<丹後国風土記の浦嶋子伝説>
長谷の朝倉の宮に天の下をお治めになった天皇(雄略天皇)の御世に、
嶋子はひとり小船に乗って海の真っただ中に浮かんで釣りをしたが、
三日三晩たっても一匹の魚さえとることができず、ただ五色の亀をとることができた。心中不思議な思いで船の中に置いてそのまま寝てしまうと、たちまちに亀は婦人となった。 その顔かたちの美しさはたとえようがなかった。
七夕の笹には、必ず、「五色の短冊」をつけますが、、、
この"五色"の由来が何処から来たかと言えば・・・
管理人は、この浦島太郎が海で獲った「五色の亀」に由来すると考えます。
▼敦賀市の常宮神社の亀の手水舎
(日本海側には龍の代わりに亀が使われている神社が多い)
と言う事で、七夕行事における笹と五色の短冊は、、、
七夕において、「笹」と「浦島太郎」を結びつけて考えろ!
・・・と言う暗示が含まれているっぽいです。
実際の出来事としては、「七夕伝説を持つ近江坂田」と「浦島伝説を持つ丹後半島」に、
同じ朝妻の地名が見えることから、その時代ににおいて、
近江坂田⇒丹後に何かしらの人の移動を伴う事件があった・・・と思われます。
そして、そのセンで考えていくと、、、浮かび上がる一つの事件があるのですが、
それこそが、雄略天皇による市部押磐皇子の謀殺事件なのです。
▼市辺押磐皇子の陵墓 (東近江市 市辺(いちのべ)町)
意外に思われるかもしれませんが、、、
この事件こそが、浦島伝説の真相を解く鍵になっています。
まぁ、具体的な解釈や説明は、ここではまだ控えておきたいと思います。
管理人もきちんと説明したいので、また別記事を設けて、改めて書こうと思います^^;
最後に、七夕の短冊について触れておきたいと思いますが、、、
現在は、笹に短冊(細長く切った薄い木や紙の小片)が一般的に使われています。
しかし、古代では、五色の糸が使われていました。
ですので、五色には、意味があると思うのですが、
短冊自体には、深い意味は無いかもしれません。
意味があるとすれば、「短冊」の前に使われていた、「糸」の方だと思います。
この糸ですが、一般的には・・
「七夕に女性が機織が上手になることを願って笹竹に飾る五色の糸」
・・・と解釈されています。
しかし、それだけではなく、糸には、他にも意味がある可能性があります。
と言うのも、天皇系図には、2代綏靖天皇や、継体・持統天皇のように、
特に系図上で重要な天皇に、糸編の漢字を持つ天皇が散見されます。
もしかしたら、元々の「五色の糸」には、天皇の系譜に関わる、
何かしらの意味が付託されていた可能性も無きにしも非ずだと思います。
今回は、七夕の「五色の短冊」の由来について、謎解きをしましたが、、、
それと「浦島太郎の五色の亀」との関連性や、
五色の亀が、具体的に、何を示しているのかも十分に説明しきれていません。
ですので、次回は、神道の奥義を駆使して、
この五色亀の由来や、浦島太郎に隠された思想についても、解説したいと思います。
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※結局は、日本人がいつも神棚に祀る「お米・水・塩」の3つを確保することが、人間が生きる上で重要な訳です^^