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2013年4月 4日
これまで、徐福の一連のシリーズを考察しましたが、
徐福の渡来には稲作が大きく関わって来ています。
この稲作というのは、日本の記紀においても、重要なキーワードになっています。
それで、今回+αとして、「稲作」について、もう少し掘り下げて考えてみます。
まずは、記紀における下記の場面を、よーくご覧下さい。
古事記 天岩戸(あまのいわと)
そこで、ハヤスサノヲ命が、アマテラス大神に言うには、
「私の心が清らかだったので、私の生んだ子は媛御子でした。
これによっていえば当然私の勝ちです」と言い、
勝った勢いのままアマテラス大神の耕す田の畔を壊し、
その溝を埋め、また、新穀を召し上がる御殿に屎を撒き散らした。このようなことをしてもアマテラス大神がとがめずに言うには、
「屎のようなものは酒に酔って吐き散らしのでしょう。
また、田の畔を壊し溝を埋めたのは土地をもったいないと思ってそうしたのでしょう」と、
良いように言い直したものの、なおその乱暴な仕業は止みません。アマテラス大神が神聖な機織場で神様の衣を織らしていた時、
その機屋の屋根に穴を開け、天の斑馬(あめのふちむま)の皮を
逆さに剥ぎ取って落とし入れたので、天の機織女(あめのはたおりめ)が見て驚き、
梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまいました。
古事記 五穀の起源
(追放された須佐之男命は、地上に降りる途中で、)
食物を大氣都比賣神(おほげつひめのかみ)に乞うた。すると大氣都比賣は、鼻や口、また尻から、
種種のおいしい食べ物を取り出すと、種種の料理を作り供えて献上した。その時、須佐之男命はその様子を立ち窺っていたが、
穢れた品を献上したのだと思い、ただちにその大宜津比賣神を殺した。すると、殺された神の身から(いろいろな作物が)生まれた。
頭には蚕が生まれ、二つの目には稲の種が生まれ、二つの耳には粟が生まれ、
鼻には小豆が生まれ、陰部には麦が生まれ、尻には大豆が生まれた。というわけで、(大氣都比賣神の)御母神である
神産巣日命(かみむすひのみこと)がこれらを取り、種とした。
古事記でも日本書紀でも、天照の織女がスサノオによって殺される場面は、
"田んぼ"や"新嘗"が出ていますし、さらに、スサノオが大氣都比賣神を殺す場面では、
しっかり"稲の種"と書かれており、これらの話は、日本の稲作の到来後の話です。
ですが、今まで見てきたとおり、実際の日本の稲作の到来は、紀元前2~3世紀に
中国の長江付近から、徐福の到来とともに日本に来ている可能性が大です。
【画像は「DNAが語る稲作文明―起源と展開 (NHKブックス)」より引用】
つまり、記紀の神話部分についても、それほど大昔の太古の話ではなく、
稲作が日本に伝わって以降に作られたストーリーである可能性が非常に高いです。
ただし、ここで神話に出てくる高天原を、地上には無い文字通り"天にある国"だと捉え、
「"天の国"での稲作の到来と"地上"での稲作の到来の時期は違う!」
・・・と考える方も居ます。しかし、管理人的には、稲作はどう考えても天上のものではなく地上のものです。
天上で稲作が行われていた、、、と考えるのは、無理があると思います。また、高天原を日本以外の国外に設定するという考えもありますが、
※イザナギ・イザナミの国産みは明らかに、日本の内容であるのに対して、 その子供の天照大神やスサノオの代で、国外の話として設定するのでは道理に合いません
そう考えると、他の神話部分とで不整合が出てきます。
以上のように考えて、天孫降臨の場面を振り返ってみましょう。
古事記によると、日本に稲穂をもたらしたのは、
天照大神が天孫降臨に際して、孫のニニギノミコトに稲穂を渡して、
これで豊葦原の国を開拓して暮らしをたてなさいと神勅されているのが始まりです。
そして、『古事記』では、「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるだけ)」に、
『日本書紀』では、「日向襲之高千穗峯」あるいは「筑紫日向高千穗」に降臨しています。
ここでは、ニニギ命は、稲穂を持って九州に降り立っていますが、
一方、徐福も、九州に上陸し稲作を伝えたと考えられます。
どちらも九州に稲作をもたらした、という点では、同じです。
したがって、管理人は、ニニギ命の降臨に徐福のもたらした稲作のイメージも仮託されていると考えます。
なお、徐福のもたらした稲作は、日本にとってかなり重要な出来事だったのだと考えれられます。
だからこそ、記紀においても、稲穂を持った神をイメージさせているのだと考えます。
ここで、ニニギ命の正式名称を考えて見ましょう。
正式名称は、下記の通りです。
天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命
アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギのミコト
この名前の意味するところは、下記の通りです。
- (天にぎし国にぎし)・・・天地が豊かに賑う
- (天津日高)・・・・・・・天津神
- (日子)・・・・・・・・・男性神
- (穂のににぎ)・・・・・・稲穂が豊かに実ること
ニニギ命は、天照大神から 稲穂を授けられて九州に降臨していますが、
まさに、その通り、九州に稲作(ジャポニカ米)が伝わりました。
しかし、実は、この稲作の到来の話は、
徐福の最初の渡航地の京都の丹後半島でも、同じように読みとることが出来ます。
それは、何処から分かるかと言うと・・・下記です。
上記のように、しっかり、地名で残っていますよね。
「伊根=稲」として。
これは単なるダジャレではなく、『丹哥府志(たんかふし)』に、
与謝郡の伊根の浦のことを、"与謝稲浦"としている記述が見えますので、
元々、伊根という地名には稲の意味が付託されている事は明らかです。
<注釈>
ただし、この伊根の地名は、「丹後旧事記」で「稲別尊」が
伊根の浦から貢物を納めた下記記述に由来するという意見もあります。稲別尊 一本に伊根和気尊とあり
同書(順国志)に伊根の浦より貢を奉る。しかし、上記に、伊根の地名が稲別尊の名前に由来するとは一言も書いてませんし、
それ以前から伊根の地名があった可能性の方が高いと管理人は考えます。
(その理由は、後述する籠神社の元祭神、豊受大神の存在があるからです)
また、海部氏の神社で与謝郡にある籠神社の祭神は、
現在は、海部氏の祖である彦火明命ですが、
雄略天皇の御代に、伊勢に遷されるまでは、豊受大神が籠神社の祭神でした。
豊受大神は"受"に示されるように、保食(ウケモチ)の神ですが、
その実態は、「稲の霊(みたま)」です。
『延喜式』には、豊受大神について、下記のように書いてあります。
「これ稲の霊(みたま)なり。世にウカノミタマという。」
▼豊受大神(=倉稲魂尊(ウカノミタマ))
豊受大神は、まさに稲の霊であり、その象徴であるウカノミタマも稲穂を持ってます。
このように、籠神社の海部氏が元々祀っていた豊受大神も稲の神(食物の神)であり、
そういう意味でも、稲穂を持って九州に降臨したニニギ命とは、
稲というキーワードで繋がっている訳です^^
でも、ここで、疑問点が浮かび上がってくるのです。
系図でいくと、ニニギ命とニギハヤヒ命は、同じ天孫の兄弟です。
そして、海部氏の系図で始祖になっている天火明命は、ニギハヤヒ命と同一とされています。
ところが、徐福の最初の上陸した伊根町や丹後地方は、
豊受大神などをはじめとした保食神を祀る神社は多く見られますが、
ニギハヤヒ命の名前を祭っている神社はあまり見られません。
むしろ、河内方面でニギハヤヒ命の伝承が多く見られます。
これは、一体、どういう事なのでしょうか?
前回記事で、徐福が九州に残した物部氏の集団が、後に近畿に移住した話をしました。
その話の中で、管理人は、この集団の近畿移住を「神武の東征」の可能性と
結びつけて考えようとしましたが、敢えてその結論は出さずに、
ぼかした書き方にしていました^^;
それは、何故かと言うと・・・
実は、この近畿へ移住した集団の正体が、
(神武天皇の集団ではなく)ニギハヤヒ命の集団である可能性が高いためです。
「先代旧事本紀」の天孫本紀には、下記のように書かれています。
<先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀>
天神の御祖神は、天璽瑞宝(あまつしるしのみずたから)十種を饒速日尊にお授けになった。
そうしてこの尊は、天神の御祖先神のご命令で、天の磐船に乗り、
河内国の川上の哮峰(いかるがのみね)に天降った。さらに、大倭(やまと)国の鳥見(とみ)の白庭山へ遷った。
天降ったときの随従の装いについては、天神本紀に明らかにしてある。
いわゆる、天の磐船に乗り、大虚空(おおぞら)をかけめぐり、この地をめぐり見て天降られ、
"虚空(そら)見つ日本(やまと)の国"といわれるのは、このことである。饒速日尊は長髓彦(ながすねひこ)の妹の御炊屋姫(みかしきやひめ)を娶り妃として、
宇摩志麻治命(うましまちのみこと)をお生みになった。
上記のように、ニギハヤヒ命は、河内国の川上の哮ヶ峯(哮峰)に降り立ってます。
ニギハヤヒが降り立ったとされる約2000年前までは、
縄文海進の影響で、現在よりも約4mほど海の標高が高くなっています。
それを考慮したのが下記の図です。
▼河内方面の地図(海面標高+4m)
上図の通り、古大阪湾が大阪平野のかなり内陸まで入り込んでいますが、
哮ヶ峯は、枚方市辺りで淀川に接続される天の川を上っていった所にあります。
現在の大阪府交野市私市9丁目には、磐船神社があり、
この近辺で、ニギハヤヒ命は河内に上陸したものと考えられます。
▼磐船神社拝殿と「天の磐船」(御神体)
ここで、もう一度、先代旧事本紀の記述を見ると、下記のように書いてあります。
ニギハヤヒ命が、哮峰に天下りする直前の場面です。
<先代旧事本紀 巻第三 天神本紀>五部の造が供領(とものみやつこ)となり、
天物部(あまのもののべ)を率いて天降りお仕えした。二田造。大庭造。舎人造。勇蘇造。坂戸造。
天物部ら二十五部の人が、同じく兵杖を帯びて天降り、お仕えした。
二田物部。当麻物部。芹田物部。鳥見物部。
横田物部。嶋戸物部。浮田物部。巷宜物部。
足田物部。須尺物部。田尻物部。赤間物部。
久米物部。狭竹物部。大豆物部。肩野物部。
羽束物部。尋津物部。布都留物部。住跡物部。
讃岐三野物部。相槻物部。筑紫聞物部。播麻物部。筑紫贄田物部。船長が同じく、梶をとる人たちを率いて、天降りお仕えした。
船長・跡部首(あとべのおびと)らの祖 天津羽原(あまつはばら)。
梶取・阿刀造(あとのみやつこ)らの祖 天津麻良(あまつまら)。
船子・倭鍛師(やまとのかぬち)らの祖 天津真浦(あまつまうら)。
笠縫らの祖 天津麻占(あまつまうら)。
曽曽笠縫(そそかさぬい)らの祖 天都赤麻良(あまつあかまら)。
為奈部(いなべ)らの祖 天津赤星(あまつあかぼし)。饒速日尊は、天神の御祖神のご命令で、天の磐船にのり、
河内国の河上の哮峯(いかるがみね)に天降られた。
さらに、大倭国の鳥見の白庭山にお遷りになった。
上記のように、ニギハヤヒの命が、多くの物部氏とともに、
河内の国に天下りしているのが良く分かると思います。
前回、管理人は、、、
「北九州から大和方面に、徐福が残した物部氏集団が移住している」
可能性について触れました。
また、北九州から大和へ地名の転移が見られるのは、
物部氏集団の移動の影響であるとも述べました。
筑前高田⇒大和高田、笠置山⇒笠置山、御笠山⇒三笠山、小田⇒織田、
平群郷⇒平群郡、三輪⇒三輪、雲梯⇒雲梯、朝倉⇒朝倉(桜井)、
三井⇒三井、浮羽町⇒音羽山、鳥屋山⇒鳥見山、鷹取山⇒高取山などなど・・・
それで、先のような先代旧事本紀の記述を見る限り、
九州から大和に移住した集団は、ニギハヤヒ命の一団である可能性が高いと思います。
ニギハヤヒの率いた物部氏集団の中には、久米物部、筑紫聞物部、筑紫贄田物部など、
九州と縁の深い物部氏の名前も見られるのも、その可能性が高い事を物語っています。
さて、先ほど、北九州から大和に入植した集団は、
ニギハヤヒ命の一団である可能性が高いと述べました。
では、そうなってくると、改めて問題になるのが、神武天皇の存在です。
いったい、神武天皇とは何者なんでしょうか?
実は、その謎解きのヒントが、籠神社の海部氏の持つ秘伝に書かれています。
そして、深く探れば、邪馬台国の秘密や卑弥呼の秘密までが分かります。
しかし、基本的に、そこまで書くと、本来のテーマから逸脱してしまいます。
なので、管理人は、この先あまり深入りしたく無い気分です^^;
しかし、気になる方もいらっしゃるでしょうし、、、
もう一回だけ、続編を書こうと思います。
・・・と言う事で、次回は邪馬台国や卑弥呼に迫るとともに、
神武天皇の秘密についても、探っていこうと思います。
最初に、記紀の編纂を命じた天武天皇は、大海人皇子(おおあまのおうじ)であり、
和風諡号で、天渟中原瀛真人天皇と言うように、
徐福が求めた三神山(蓬莱・方丈・瀛州)の瀛州が、その名に含まれています。
▼天武天皇
※宮中の相撲の儀式を整備・復活させたのもこの人です
彼は、幼少期に凡海氏(海部一族の伴造)から教育を受けており、
壬申の乱でも、海部氏と同族の尾張氏から、資金面でバックアップを受けています。
こういった事から、天武天皇は、物部氏系の影響が濃い天皇だと言えます。
しかし、その後、物部氏に変わって台頭した藤原氏によって、
記紀は、最初天武天皇が意図したものとは、大きくかけ離れたものになりました。
(この辺が、記紀の内容が混乱している一つの要因ではないかと考えます)
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