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2013年12月25日
当サイトでは、神道研究の上で、記紀や風土記・万葉集などの原点を検証するだけでなく、、、
「土佐日記」や「伊勢物語」「奥の細道」など古典・古典文学(和歌)をも研究対象としています。
古典・古典文学と言うと、古臭いイメージで、
あまり役に立たないと考えておられる方が多いかもしれません。
管理人も数年前までそうでしたし、古典など、一切、読んだことはありませんでした。
ましてや、古典を買って自ら勉強しようなどとは夢にも思いませんでした。
しかしながら、日本の歴史を調べる上で記紀を研究していくと・・・
ある時、(記紀以外にも)「古典に何か隠されている!」という妙な感覚を持ったのです。
それは、特に、紀貫之の「土佐日記」を読んで、そう感じました。
紀貫之の「土佐日記」以降、色々と古典関係をも読み漁るようになったわけですが、、、
管理人が思うに、古典(和歌)の中に、何か預言が隠されていると言うか、、、
将来の日本と関係する"何か"が隠されているっぽいな、、、と感じるのです。
ただ、それは、管理人の単なる感覚的な話であって、
これまで何か具体的な証拠も、状況証拠さえも何もありませんでした。
しかしながら、最近、そうした管理人の感覚が、
決して的外れではないなと思う、一つのエピソードを知ることが出来ました。
それが、関ヶ原合戦時の際の細川藤孝のエピソードなんです。
細川 藤孝(ほそかわ ふじたか)(1534年6月3日―1610年10月6日)は、
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、歌人です。
藤原定家の歌道を受け継ぐ二条流の歌道伝承者三条西実枝から
古今伝授を受け、近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもあります。
▼細川藤孝(幽斎)
細川藤孝は、足利将軍家の連枝・三淵氏の生まれ。
奉公衆・三淵晴員の次男で、母は儒学・国学者の清原宣賢の娘・智慶院。細川藤孝は、三淵晴員の実兄の
和泉半国守護・細川元常の養子となったので、細川性を名乗っています。なお、細川藤孝の母方の父である清原宣賢は、
元々、吉田神社詞官神道家吉田兼倶の三男でしたが、
明経博士だった清原宗賢の養子として、清原性になっています。
細川藤孝は、初め13代将軍・足利義輝に仕え、
その死後は15代将軍・足利義昭の擁立に尽力しますが、
後に織田信長に従い、丹後宮津11万石の大名となりました。
しかしながら、そんな細川藤孝が窮地に陥ったのが、関ヶ原の合戦でした。
▼幽斎が籠った丹後田辺城(舞鶴城)
慶長5年(1600年)6月、息子の細川忠興が家康の会津(上杉景勝)征伐に
丹後から細川家の軍勢を引きつれて参加したため、丹後田辺城は、
石田三成らに与する西軍の軍勢1万5000人に包囲されてしまいます。
そして、細川藤孝は500人に満たない手勢で丹後田辺城を守り、籠城戦となったのです。
この籠城線は、兵力の差は隔絶し、援軍の見込みもなく、
7月19日から始まった攻城戦は、月末には落城寸前となりました。
まさに、細川藤孝は、絶体絶命のピンチに陥ったのですが・・・
この時に、、、非常に奇妙な出来事が起こったのです。
この、細川藤孝が、絶体絶命のピンチに陥った時、、、
実は、時の天皇であった後陽成天皇が、
わざわざ、細川藤孝を惜しみ、両軍に勅命を発して開城させているのです。
▼後陽成天皇
なぜ、わざわざ勅命を発してまで、藤孝を救ったのか?
その理由は、当時、細川藤孝は三条西実枝から、
歌道奥義である古今伝授(こきんでんじゅ)を唯一相伝された人物で、
弟子の八条宮智仁親王やその兄である後陽成天皇は、その古今伝授の断絶を恐れたため、
わざわざ勅命を発して、細川藤孝を救ったのだと言われています。
古今伝授とは?
古今伝受とは、勅撰和歌集である古今和歌集の解釈を、秘伝として師から弟子に伝えたもの。三条西家は代々一家で相伝していたが、三条西実枝はその子がまだ幼かったため、
後に子孫に伝授を行うという約束で細川幽斎に伝授を行った。
この時代、下々の争いごとには一切関知しないのが禁裏(天皇家)の鉄則でした。
戦国時代にあって、乱世と縁を絶つことが天皇家にとっての処世術だったのです。
しかし、わざわざ、その危険を冒してまで、一人の武将を救ったのです。
これが、いかに奇妙で異例な事か分かるのではないでしょうか?
そして、さらに、この時に、後陽成天皇は、こうも述べらたと伝えられています。
「幽斎討死せば、本朝の神道奥義、和歌の秘密、永く途絶えて神国の掟も空かるべき」
実は、上記の発言は、とても重大な意味を持っています。
古今伝授の断絶を恐れた天皇の発言として、
「和歌の秘密」が途絶える、、、というのはまだ分かります。
しかし、一緒に、「本朝の神道奥義」までもが途絶える、とまで述べています。
これは、一体、どういう事なのでしょうか?
これはつまり、、、古今伝授で相伝されている和歌の中にこそ、
「本朝の神道奥義」が隠されているという重大な示唆に他なりません。
逆にいえば、古今伝授として秘伝にされた和歌の中に、
「神国の掟―国家の命運・存亡」が掛かった「本朝の神道奥義」があったのです。
だからこそ、天皇は、わざわざ一人の武将の命を救うために、勅令を出したわけです。
そう考えると、、、
日本古来の和歌とは、一体、何なのでしょうか?
古今伝授で秘伝にされた和歌に、一体、何が隠されているのかと、
非常に気になりませんか?
しかし、「和歌の秘密、本朝の神道奥義」と言われても、、、
とっかかりさえ掴めず、一般人には、想像もつかない内容です。
が、実は、それを解くヒントがあったりします。
と言うのも、元禄14年(1701年)に刊行された
『和歌極秘伝』には、古今伝授の秘伝の内容が書かれているのです。
その古今伝授の秘伝の内容は、下記の通り。
- 歌のとまり字の口伝
- 詠歌制の詩口伝
- 百人一首五歌の口伝
- 同他流の口伝
- 伊勢物語七ヶの秘事
- つれづれぐさ三ヶの口伝
- 古今和歌集三鳥の口伝(※喚子鳥・百千鳥・稲負鳥)
- 同七首の秘歌
- 三木の口伝(※御賀玉木・河菜草・めどに削り花)
- 一首十躰
- 一首五躰
- 木綿袴の歌
考えてみれば、上記のうちの幾つか、、、
特に、百人一首や伊勢物語、徒然草、古今和歌集などは、学校で習います。
それらの古典が、なぜ義務教育の中で組み込まれているのは非常に謎でしたが、
その中に、古今伝授の秘伝―神道奥義が隠されていたとなると、、、
何か、国家的な意図を持って習わされていた可能性が大きいです。
(恐らく、神道を取りまとめる機関(八咫烏?)の意向、なのだろうとは思いますが)
本人が自覚するしないに関わらず、日本人は、知らぬ間に、
何か大事なことを学ばされているのかもしれません。
だからこそ、そういうメッセージを見逃さないようにしたいですし、
今後の時代に備えて、古典をもっと勉強するべきだと、管理人は思います。
あと、単なる管理人の直感ですが、古今伝授の秘伝の中でも、
「伊勢物語七ヶの秘事」が、今後、重要な鍵を握るように思います。
(※他が、"口伝"なのに対して、伊勢物語だけが"秘事"である事に注意)
(※また、伊勢物語・百人一首・徒然草で七五三の関係になっている事に注意)
伊勢物語では、管理人は、初段から
「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」
・・・と今の福島を暗示しているような箇所もあって、非常に気になるのですが、
管理人は、差し当たって、下記が気になります。
<伊勢物語 第八段>
むかし、男ありけり。
京や住み憂かりけむ、あづまのかたにゆきて住み所もとむとて、
ともとする人、ひとりふたりしてゆきけり。信濃の国、浅間の嶽に、けぶりの立つを見て、
信濃なる浅間の嶽にたつ煙
をちこち人の見やはとがめぬ
▼浅間山
<現代語訳>
昔、男がいた。
京には住みづらかった為であろうか、東国の方に行って
住む所を探すということで、友人一人二人と一緒にでかけて行った。信濃の国の浅間山の嶽に、煙が立つのを見て詠んだ歌。
信濃の浅間山の嶽に立ち昇る煙を
遠くや近くの人が見て、気に留めないことがあるだろうか
京都から東国に下る東海道のルート上に、浅間山はありません。
浅間山は東山道ですので、東海道からは見えないのではないでしょうか。
なのに、浅間山の嶽に立ち昇る煙とは・・・いったい。
また、浅間山の記録を見る限り、
浅間山は6世紀には噴火しているのですが、
在原業平の生きた9世紀には噴火記録が確認できません。
在原業平は、本当に、その時代に浅間山の煙を見たのでしょうか。
↓日本列島のプレートに対する浅間山の位置。(クリックで拡大)
なんて微妙な位置にあるのでしょうか。
そういえば、つい1週間前に、下記のニュースがありました。
2013年12月19日浅間山噴火に備え 長野と連携
さらに、下記のような地元住民のご指摘も。
2013/12/21:群馬県浅間山、通常真冬には冠雪で山頂も真っ白なのですが、
今年は中腹が白、山頂付近はかなり地熱のせいで雪が溶けてます。
既に、地元では、噴火の想定が練られているようではありますが、
富士山だけじゃなく、浅間山の噴火にも気をつけましょう。
(富士の麓の神社が、浅間神社というのも、なんとも不思議)
▼伊勢物語七ヶの秘事は、七夕や倭文(織物)が関係していると思うのですが・・・
その他、伊勢物語の第八十一段も気になりますが、これは今は知らなくて良い話か?
続き(?):⇒ 伊勢物語の暗示と男が辿った謎の行動ルート
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※結局は、日本人がいつも神棚に祀る「お米・水・塩」の3つを確保することが、人間が生きる上で重要な訳です^^