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2013年11月23日
日本の古代史を色々調べて検討していくと、、、
古代史研究者が誰も気付いてないのに、、、なぜか素人の私が気付くことがあります。
今回のお話する「イザナギの真実」は、そういった類の話のうちの一つです。
ところで、今回の記事は、下記の記事の延長線上にある話です。
まだ見てない方は、下記を事前に目を通しておいて下さい。
「竺紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」は阿波にあった!(解答編)
上記記事のポイントは、記紀にある「竺紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」は、
(通説で言われている所の宮崎ではなく)本当は阿波にあった!と言う事です。
これを踏まえまして、、、
さらに今回は、イザナギが禊をした後の行動ルートまで明らかにします!
イザナギは、"橘"の小門の阿波岐原で、禊をしていますが・・・
実は、この「橘」にこそ、イザナギの真実を隠す鍵が隠されていたのです。
「イザナギは、どういう足取りで、日本を移動したのか?」
今回の記事では、(記紀でも書いてない)その辺を、明確に理解する事が出来ます。
上記の通り、本当の「橘の小戸の阿波岐原」は、「阿南市橘町」にあります。
そこが、イザナギの禊をした本当の場所だと考えられます。
では、このイザナギの禊の結果、イザナギは何処に行ったのでしょうか?
元々、四国に居たイザナギは、次に、何処に向かったのか?
その答えは、、、実は、「出雲」だと考えられるのです。
実は、管理人自身、出雲国風土記を読んでいる途中に気付いたのですが、、、
出雲国風土記だけは、イザナギの漢字の書き方が違うのです。
※正確には、イザナギの他、アジスキタカヒコネなど5人の神の神名の書き方が、他と異なっています
『古事記』では伊邪那岐命、『日本書紀』では、伊弉諾神と書かれています。
風土記のイザナギの記述は、出雲国風土記以外では、
唯一、丹後国風土記逸文にのみでてきますが、そこでは伊射奈芸命と書かれています。
しかし、出雲国風土記だけは、イザナギの漢字がちょっと特殊なのです。
どう書かれているかと言うと、、、【伊弉奈枳(イザナキ)】です。
ここで、見慣れない漢字で「枳」という漢字が出てくるのですが、
これを説明する前に、、、まず、簡単に「奈」の意味から説明しておきす。
奈については、阿波国風土記逸文の奈佐の浦で、下記のように書いてます。
<阿波国風土記逸文 奈佐の浦>
阿波の国の風土記に言う、―奈佐の浦。
(奈佐というわけは、その浦の波の音は止む時もない。それで奈佐という。
海部(あま)は、波をば奈という。
上記の通り、奈とは波を意味します。
考えてみれば、丹後国風土記逸文でも、伊射奈芸命の名に、「奈」が使われています。
海部(あま)=海部氏だと考えれば、妙に納得できます。
次に肝心の、【伊弉奈枳(イザナキ)】の「枳」ですが、、、
「枳」は、「枳=からたち」を示します。
下記が、枳(からたち)です。
▼カラタチ(枳殻、枸橘)ミカン科カラタチ属の落葉低木
上記の植物、、、やたら、橘と似ていると思いませんか?
それもそのはず。
元々、橘とカラタチは同じ植物なのです。
下記が、橘です。
▼タチバナ(橘)ミカン科ミカン属の常緑小高木
どうして、カラタチとタチバナが、これほど差があるかと言うと、、、
それは育った環境が違うためです。
実は、イザナギの神話の中には、ある中国故事が、実に巧妙に隠されています。
古事記・日本書紀だけ見てもそれは分かりません。
風土記と対比させてみて、初めてそれが分かる仕組みになっています。
イザナギの神話に隠された中国故事とは、、、
「南橘北枳」です!
南橘北枳(なんきつほくき)人間は住む環境によって、よくなったり悪くなったりするということ。
▽中国江南こうなんで産する橘たちばなはたいへんな美味であるが、
淮水わいすい以北に植えると橘は枳からたちとなり、味が全く異なってしまう。
環境が変われば性質も変わってしまう、という意。
南橘北枳の中国故事が出来た詳しい由来については、下記を参考に。
橘化して枳となる(たちばなかしてからたちとなる)
出雲国風土記で、イザナギが、わざわざ【伊弉奈枳(イザナキ)】と書かれたのは、、、
それまで、四国(南)で橘だったイザナギが、出雲(北)に行って枳に変わった!
・・・これを意味している訳なんです。
日本の場合の位置関係で言えば、中国故事で言う淮水が瀬戸内海だと考えれば、
江北=出雲となり、それが枳です。江南=伊豫となり、それが橘です。
この見立ては、少し強引だと思われる方も居るかもしれません。
しかしながら、伊予国風土記逸文には、
上記の説を強調するかのように、なぜか「橘の島」の歌まで詠まれています。
<伊予国風土記逸文 神功皇后御歌>神功皇后御歌
橘の島にし居れば河遠み曝(さら)さず縫いし吾が下衣
(歌訳:橘の島にいると川が遠いので、水にさらすこともなく縫った、この下衣よ)此の歌、伊豫の國の風土記の如きは、息長足日女命の御歌なり。
※衣を作る時は、繊維を川にさらして強くします
風土記の中で、「橘」が出てくるのは、
(管理人がざっくり調べた限りでは)上記の部分と、あと一か所のみです。
(残り1箇所は常陸国風土記 多可奈の湖ですが、大した事は書いてない)
ですので、伊予国風土記で、橘が出てくるのは非常に意味があると思います。
先ほどの歌では、「橘の島」ですから、周りは当然海に囲まれている訳ですが、
なぜか、川が強調されているようにも見えるので不思議です。
以上の事から、出雲国風土記の【伊弉奈枳(イザナキ)】の名前になったのには、
「同じ人でも、住む場所が変わって、名前も変わった」と言う事実を、
簡潔に名の中に「枳」を含めて書く事で表現している訳なのです。
そして、この事は、つまり、、、
イザナギは、阿波の橘の小門の阿波岐原で禊を終えた後、出雲に移動した!
・・・と言う事も意味している訳なのです。
多分、上記の事柄は、日本で誰も気付いておらず、管理人が初めて指摘する事柄ですが、
こういう事に気付くと、記紀や風土記のそれぞれの役割が、見えてくるのではないでしょうか。
しかし、風土記や記紀を書いた人は、相当な知恵者です^^;
故事成語などを知らないと、本来の意味も分からないようになっているのですから。
<参考:出雲国風土記で、枳の漢字を持つ人物(神)>
ちなみに出雲国風土記では、下記の5名が名前に、枳の漢字を持っています。
- ①伊弉奈枳命(いざなぎ)
- ②阿遅須枳高日子命(あぢすきたかひこ)
- ③枳佐加比売命(きさかひめ)
- ④天津枳値可美高日子命(あまつきちかみたかひこ)
- ⑤阿波枳閇委奈佐比古命(あはきへわなさひこのみこと)
これらの人物(神)は、多分、伊豫の国から出雲に移動したか、
伊豫(阿波)と何かしら関わりのある人物(神)だと推測されます。ちなみに、「⑤阿波枳閇委奈佐比古命」については、既に当サイトで、
「奈具の社の天女は何処から来たか?和奈佐老父を追え!」の記事で、
その関係性を述べた通り、阿波出身の人物です。
ちなみに、「南橘北枳」の言葉が出てくるのは、
中国春秋時代(紀元前770年~紀元前403年)の文献、「晏子春秋」です。
『晏子春秋』(あんししゅんじゅう)は、中国春秋時代の斉において、
霊公 、荘公、景公の3代に仕え宰相となった、晏嬰に関する言行録をまとめたもの。『晏子春秋』の成書年代は、
戦国時代から秦朝末期の間(紀元前3世紀頃?)と見られている。
この「南橘北枳」の出典も考えると、イザナギの神話の成立年代まで分かります。
イザナギのストーリーに、「南橘北枳」の故事が隠されていると言う事は、
イザナギの話の成立年代は、少なくとも(神話時代のものではなく)紀元前3世紀以後の話である!
・・・と考えられます。
管理人の推測ですが、恐らく、下記で述べる補足の事も併せて考えると、
イザナギの神話の成立した年代は、紀元前1世紀~紀元2世紀以降の話だと思います。
<補足:タジマモリが持ち帰った非時香菓=橘>
垂仁天皇時代(紀元1~2世紀頃)に、タジマモリが持ち帰った、
不老不死をもたらす非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)は橘とされています。▼タチバナ(橘)ミカン科ミカン属の常緑小高木
この時、タジマモリは、わざわざ遠くの国に赴き、10年かかって橘を持ち帰っています。
つまり、それまで日本に橘は無かったと考えられるのです。
ところが、イザナギの神話には、当時、日本に無いはずの「橘」の記述があるのです。
これは、非常に、おかしいことだとは思いませんか?
この事から、イザナギの神話の中に出てくる「橘」は、後世において
(南橘北枳の意味を持たせるために)後付けされたものである可能性が高いのです。
ちなみに、イザナギが「伊豫の国(阿波)⇒出雲」に移動したと言うのは、
初期の銅鐸の発見場所とも、非常に明確に一致しています。
実は、讃岐や阿波では、銅鐸の草創期のもの(聞く銅鐸)が多く発見されていますが、
それと、ほぼ同じタイプの銅鐸(聞く銅鐸)が、出雲からも大量出土されています。
つまり、この銅鐸のもってしても、
何かしら人の移動が、阿波⇒出雲にあったと考えられるわけです。
そして、この移動は、イザナギに隠された「南橘北枳」の移動を裏付けるものです。
・・・と言う事で、イザナギは伊豫出身ですが、伊豫を追われて、
橘の小門の阿波岐原で禊をした後に、出雲に向かった可能性が高いのです。
これがイザナギに隠された中国故事と、イザナギの真実です。
以上、ちょっと難しかったかもしれませんが、お分かりになりましたでしょうか?^^;
そもそも、銅鐸のことを、鐸=サナギと呼びますが、
名前にサナギを含むイザナギは、サナギ(鐸)の神を表していると思われます。
(上記は福士幸次郎氏の説による)それを考えると、出雲は加茂岩倉遺跡で、銅鐸が日本最多の39口を出土しており、
これはサナギ(鐸)の神を祀る祭祀集団が移動した結果と考えられます。
実は、この話ですが続きがあります。
「南橘北枳」の故事ですが、、日本の慣用句でも、同じような言葉があります。
日本語で、「南橘北枳」と同等の意味を持つ言葉は、、、
「難波の葦は、伊勢の濱荻(はまおぎ)」です。
難波の葦は、伊勢の濱荻
難波で葦と呼ぶ草を伊勢では浜荻と呼ぶ。
物の名や、風俗・習慣などは、土地によって違うことのたとえ。▼ヨシまたはアシ(葦、芦、蘆、葭)
実は、上記の故事を意識したであろう、百人一首が、あります。
それが、下記の歌人「伊勢」の歌。
小倉百人一首 19番
難波潟 みじかき芦の ふしのまも あはでこの世を 過ぐしてよとや
上記の句で、「あはで」は、一般的には、「逢わないで」と解釈されていますが、
管理人は、隠された意味として「阿波で」という意味が含まれていると解釈してます。
管理人は、現在は三重県にある伊勢神宮は、元々は阿波にあったと考えていますが、
・・・さて、歌人「伊勢」は一体、この歌で何を示したかったのでしょうか?
ヒントは、"芦で暗示されている氏族"です。
続きは、また気が向いた時に・・・
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