崇神天皇の時代に「伊勢の宮」は、何処にあったのか?:不況対策!個人でも有効な方法



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2013年9月 2日


崇神天皇の時代に「伊勢の宮」は、何処にあったのか?

今まで「七夕と笹の由来」のシリーズ記事として、真の歴史を探ってきました。

その結果、分かって来た事は、第九代の開化天皇の時代の頃までは、
近江野洲の御上神社(三上山)辺りで、国家の祭祀が行われていた可能性が高い! ・・・と言うモノでした。


まぁ、現代でいう伊勢神宮的な役割を、近江野洲の御上神社辺りが果たしていたのかもしれません。


海部氏の祖先、ニギハヤヒ4世孫の笠水彦命は、「海部氏勘注系図」から
(近江野洲の御上神社において)天御蔭之鏡を神宝として奉仕していたと考えられます。

その神事が御蔭神事であり、現代での京都加茂神社の葵祭がそれに該当します。


①古事記における伊勢神宮と豊鋤入姫命(豊鋤比賣命)

なお、第九代の開化天皇の時代の頃までは、「伊勢神宮」は存在していません。


古事記においての、「伊勢」という語句の初出は、
(神武天皇の和歌を除けば)第10代の崇神天皇の時代が始めてであり、
崇神天皇の時代に始めて、伊勢の大神宮が祀られたと古事記にあります。


<古事記 崇神天皇の条>
妹豊鋤比賣命、拜祭伊勢大神之宮

崇神天皇の妹、豊鋤比賣命は、伊勢大神の宮を拝き祭りき。


ですが、ここで考えないといけない事が一つあります。
それは、伊勢国に、天照大神が鎮座したのは、第11代垂仁天皇の時代だと言う事です。

第11代垂仁天皇の時代に、豊鋤入姫命から交代した倭姫命の巡幸によって、
始めて伊勢の地に天照大神の遷座地が決定し、そこで、伊勢神宮が創建されているのです。



【画像は「記紀解体―アラハバキ神と古代史の原像」より引用】



1.大和笠縫邑 2.丹波吉佐宮 3.大和伊豆加志本宮 4.紀伊奈久佐浜宮 5.吉備名方浜宮 6.大和弥和乃御室嶺上宮 7.大和宇多秋宮 8.大和宇多佐々波宮 9.伊賀隠市守宮 10.伊賀穴穂宮 11.伊賀敢都美恵宮 12.近江甲可日雲宮 13.近江坂田宮 14.美濃伊久良河宮 15.尾張中島宮 16.三河渥美宮 17.遠江浜名宮 18.伊勢野代宮 19.伊勢忍山宮 20.伊勢阿佐加藤方樋宮 21.伊勢飯野高宮 22.伊勢佐々牟江宮 23.伊勢伊蘇宮 24.伊勢瀧原宮 25.志摩多古志宮 26.志摩宇久良宮 27.伊勢宇治家田田上宮 28.伊勢奈尾之根宮 29.伊勢五十鈴川上宮(内宮)


※赤字の1‐6までは豊鋤入姫命が奉斎。6.以降は姪の倭姫命が奉斎。
豊鋤入姫命が奉斎していたのは、崇神天皇58年までと倭姫世記に書かれています。


このように、伊勢国に伊勢神宮が定められたのは、
第11代垂仁天皇時代の倭姫命の巡幸によってです。

豊鋤入姫命が天照大神を奉斎していたのは1‐6までなので、
豊鋤入姫命は、伊勢国にさえ、入ってさえいないのです。


しかしながら、古事記には、下記のように、
豊鋤比賣命が、伊勢大神の宮を祭った」と書かれています。


<古事記 崇神天皇の条>
妹豊鋤比賣命、拜祭伊勢大神之宮也

崇神天皇の妹、豊鋤比賣命は、伊勢大神の宮を拝き祭りき。


これは、何かしっくり来ない記述だとは思いませんか?


垂仁天皇の時代に、伊勢国に天照大神の宮である伊勢神宮が定められたはずなのに、
「豊鋤入姫命が伊勢大神の宮を祭った」とする古事記の記述は、一体何を示すのでしょうか?


②日本書記における伊勢神宮と豊鋤入姫命(豊鋤比賣命)

ここで、念のため、日本書紀の方も、確認して見ましょう。


日本書紀においての、「伊勢」という語句の初出は、
(神代と神武天皇の時代を除けば)、こちらも第10代の崇神天皇の時代が始めてです。

しかし、こちらは、人名として伊勢が出てきます。


<日本書紀 崇神天皇七年八月条>

秋八月癸卯朔己酉。倭迹速神淺茅原目妙姫。穗積臣遠祖大水口宿禰。伊勢麻績君。
三人共同夢而奏言。昨夜夢之。有一貴人。誨曰。以大田田根子命爲祭大物主大神之主。
亦以市磯長尾市爲祭倭大國魂神之主。必天下太平矣。


倭迹速神浅茅原目妙姫・穂積臣の遠祖大水口宿禰・伊勢麻積君、
三人、共に夢を同じくして、奏して言さく、

「昨夜夢みらく、一の貴人有りて、誨へて曰へらく、
『大田田根子命を以て、大物主大神を祭ふ主とし、亦、市磯長尾市を以て、
倭大国魂神を祭ふ主とせば、必ず天下太平ぎなむ』といへり」まうした

※倭迹速神浅茅原目妙姫=倭迹迹日百襲姫とされている


ですので、崇神天皇の時代には、間違いなく「伊勢」という言葉はあったようです。


ただし、日本書紀の方では、第10代の崇神天皇の条で、
伊勢」の語句が出てくるのは上記1箇所のみです。

日本書紀で次に「伊勢」が出てくるのは、第11代の垂仁天皇25年の条です。
ここに、天照大神の奉斎を、豊鋤入姫命から倭姫命へと、交代をした事が書かれています。


<日本書紀 垂仁天皇二五年三月条>

(垂仁天皇二五年)三月丁亥朔丙申。離天照大神於豊耜入姫命。託于倭姫命。
爰倭姫命求鎮坐大神之処。而詣莵田筱幡。筱此云佐佐。
更還之入近江国。東廻美濃、到伊勢国。時天照大神誨倭姫命曰。

是神風伊勢国。則常世之浪重浪帰国也。傍国可怜国也。欲居是国。
故随大神教。其祠立於伊勢国。因興斎宮于五十鈴川上。是謂磯宮。
則天照大神始自天降之処也。

一云。天皇以倭姫命為御杖。貢奉於天照大神。
是以倭姫命以天照大神。鎮坐於磯城厳橿之本而祠之。
然後随神誨。取丁巳年冬十月甲子。遷于伊勢国渡遇宮。



(垂仁天皇二五年の)三月の丁亥の朔丙申に、
天照大神を豊耜入姫命より離ちまつりて、倭姫命につけたまふ。

ここに倭姫命、大神を鎮め坐させむ処を求めて、莵田の筱幡(ささはた)にいたる。
筱、此をば佐佐(ささ)といふ。

さらにかへりて近江国に入りて、東、美濃を廻りて、伊勢国に到る。
時に天照大神、倭姫命にをしへて曰はく、
「 この神風の伊勢国は、常世の浪のしきなみ帰する国なり。
傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。この国に居をらむと欲ふ 」とのたまふ。

故、大神の教のまにまに、その祠を伊勢国に立てたまふ。
よりて斎宮を五十鈴の川上にたつ。これを磯宮(いそのみや)と謂ふ。
則ち天照大神の始めて天より降ります処なり。

一に云はく、天皇、倭姫命を以て御杖として、天照大神に貢奉りたまふ。
ここを以て、倭姫命、天照大神を以て、磯城の厳橿の本に鎮め坐せて祠る。
しかうして後に、神のをしへのまにまに、丁巳の年の冬十月の甲子を取りて、
伊勢国の渡遇宮(わたらひのみや)に遷しまつる。


上記のとおり、日本書紀の豊鋤入姫命から倭姫命へと交代は、垂仁天皇25年とされますが、
一方、倭姫世記では、崇神天皇58年と書かれているので、年代に食い違いが見られます。

どちらを信じるべきかは悩みますが、
時代的に、倭姫世記は、日本書紀よりも後の記録なので、
ここは日本書紀の記述を信じるのが妥当かもしれません。


ただし、日本書紀の記述を信じても、天照大神の巡幸図を考えると、
豊鋤入姫命から倭姫命に交代したのが6.大和弥和乃御室嶺上宮と考えられますので、
豊鋤入姫命は、伊勢国にさえ入っていないことになります。

あくまで、天照大神を奉じて、伊勢国に到ったのは、倭姫命なのです。


・・・

・・・


このようにして考えると、、、
古事記の「豊鋤入姫命が伊勢大神の宮を祭った」という記述は凄く違和感を覚えませんか?


この疑問に対して、考えられる事は、一つです。

すなわち、崇神天皇の時代までは、伊勢の大神の宮が、
現在の伊勢国(三重県)ではなく、別の場所にあった事を示唆するのではないでしょうか?

そして、日本書紀の崇神天皇条に、「伊勢麻績君」の人名が見える事から、
元々、伊勢大神の宮とは、「伊勢麻績君」と関係する神である可能性が非常に高いと思います。


伊勢麻績君は忌部氏か?

伊勢麻績君」とは、(いせのおみのきみ)と読みますが、
この人物は、ハッキリ言って、日本書紀に出てくるもののかなり謎の人物です。


しかし、ヒントはあります。

実は、忌部氏の子孫(忌部広成)が書いた『古語拾遺』に、下記のような記述があります。


古語拾遺より>

全ての大幣を造る者は神代の職に依るべきである。
斎部の官は供を作る諸氏を率いて例に准じ造り備えた。

そうであるなら、神祇官の神部を
中臣・斎部・猿女・鏡作・玉作・盾作・神服・倭文・麻績等の氏で有るべきである。
然るに今は中臣・斎部等の二三の氏ののみがあり、それ以外の氏は考選に預かる事はない。
神の裔の散り失せて、その裔が絶えようとしている。
忘れられたところの十目である。

古語拾遺より>

太玉神に諸々の部神(トモノカミ)を率いて和幣(ニギテ)を作らせ、

石凝姥神(イシコリドメノカミ)
[天糠戸命(アメノヌカドノミコト)の子で鏡作の遠祖である。]
に天香山(アメノカグヤマ)の銅を取り日像(ヒカタ)の鏡を鋳造させ、

長白羽神(ナガシロハノカミ)[伊勢の国の麻績(オミ)の先祖
今の世で衣服の事を白羽と言うのは この事が始まりである。]
に麻で青和幣(アオニギテ)[古くは爾伎弖]を作らせ、

天日鷲神に津咋見神(ツクイミノカミ)を使わせて穀木を植ささせて
白和幣(シロニギテ)を作らせ [是は木綿である。神の作物は一夜で茂る。]、
天羽槌雄神(アメノハツチヲノカミ)[倭文の遠祖である。]に文布を 織らせ、
天棚機姫神(アメノタナバタヒメノカミ)に神衣を織らせる。 所謂、和衣(ニギタエ)である。


上記を見る限り、麻績氏という麻を織る氏族が居たようで、
忌部広成の時代においては、麻績氏の拠点が伊勢国にあったようです。

下記のように、実際に、伊勢に「麻績」の言葉を含む神社も見られます。

▼神麻績機殿神社(三重県松阪市井口中町)

▼荒妙の奉織



この麻績氏ですが、麻を織ったり、青和幣(荒妙)の奉織をしていますが、
この職掌は、阿波忌部氏の職掌とそっくりです。

と言うよりも、麻績の先祖である長白羽神は、
(忌部氏の祖である)天太玉命の同族神とされていますので、
伊勢麻績君=阿波忌部氏だった可能性が、非常に高いです。


ここまで考えると、、、
「豊鋤入姫命が伊勢大神の宮を祭った」というのは、
阿波忌部氏の由来の神を祭ったと言う事を示しているのではないか?

・・・と考えられるのです。


<補足
先代旧事本紀に、
八坂彦命(やさかひこのみこと)、 伊勢神麻続連(いせのかむおみのむらじ)らの祖。
・・・とも書かれているため、「長白羽神=八坂彦命である」という説があります。

また、一説に、この八坂彦命の娘が、
諏訪神社の祭神の八坂刀売命(やさかとめ)であると言う説もあります。
(八坂刀売命は、建御名方命の后)


天長白羽神と古代の伊勢

ちなみに、古語拾遺では、
長白羽神(ナガシロハノカミ)が伊勢国の麻績の先祖であるとされていますが、、、

管理人が思うに、、、伊勢麻績君の拠点は、崇神天皇の時代においては、
伊勢国ではなく、近江国南部~北伊勢にかけて存在していたと考えます。


麻績君の"おみ、をうみ"は、近江(おうみ)に通じますし、
記紀でもう一か所だけ、「麻績」と言う言葉が出てきますが、
それは、日本書紀に継体天皇妃に、"息長真手王の娘 麻績娘子"として出てくるからです。

息長氏は近江の豪族であり、麻績娘子は、後に、継体天皇との間に、
佐佐宜郎女(ささげいらつめの=伊勢斎宮)を生んでいて、こちらも伊勢と関係があります。

こういう事から、麻績というのは、近江と関係が深そうです。


また、北伊勢地方については、伊勢麻績君の祖である麻績天長白羽神が、
北伊勢の土着神(天白信仰)として、現在も非常に多く祀られています。

参考:菰野町歴史小話


こう言う事から、伊勢麻績君は、近江南部~北伊勢地方に、拠点を持っていたと考えられます。


この時代に、崇神天皇の時代には、まだ「伊勢の国」が存在しなかった事を考えると、、、
この伊勢麻績君が居たと考えられる、上記地図の赤丸の範囲辺りに、
豊鋤比賣命が、伊勢大神の宮を祭った」という伊勢大神のヒントがあるように思えてなりません。


伊勢津彦と八風峠の由来

先ほど紹介した、参考サイト「菰野町歴史小話」をよく見ると、
近江と伊勢の境界にある八風峠に、伊勢津彦が祀られていたと書かれています。


実は、この伊勢津彦こそが、「伊勢」の言葉の語源になる神で、
神武天皇の東征の時に、忌部氏の祖である天日別命(あめのひわけのみこと)に攻められて、
伊勢を追われ、八風を巻き起こして東国へ逃散したと伝えられている神なのです。


上記の話の詳細は、下記の「伊勢国 風土記逸文 伊勢国の国号の由来」をご覧ください。


伊勢国 風土記逸文『国号の由来』>

伊勢の国の風土記にいう、――
そもそも伊勢の国は、天御中主尊の十二世の孫の天日別命が平定した所である。

天日別命は神倭磐余彦の天皇(神武天皇)が、あの西の宮(日向)から
この東の洲(くに)を征討された時、天皇に随って、紀伊の国熊野の村に着いた。

その時、金色の烏の導くままに、中州(なかつくに)に入って
菟田(うだ)の下県(しもつあがた)においでになった。

天皇は、大部(おおよも)の日臣の命に勅して
「逆賊、胆駒(生駒)の長髓(ながすね)を早く平定せよ」と仰られた。

※大伴氏の遠祖の日臣命(ひのおみのみこと)が、大来目(記では大久米命)を率いたとされる


また天日別命に勅して
「遥か天津の方に国がある、ただちにその国をたいらげよ」と仰せられて、
天皇の将軍としての徴の剣を賜った。

天日別命は、勅を奉じて東に入ること数百里であった。
その邑に神があって名を伊勢津彦といった。


天日別命は、「汝の国を天孫(神武天皇)に献上したらどうか」と問うた。
すると答えて
「私はこの国を占拠してから長いこと住んでいる。命令には従いかねる」といった。

天日別命は、兵を発してその神を殺そうと思った。

するとその時恐れて平伏して申し上げるには、
「私の国はことごとく天孫にたてまつりましょう。
私はもうここにいるようなことは致しますまい」といった。

天日別命は問うて、
「お前がこの国を去った時、何をもってそれを証拠だてるか」といった。

すると申し上げて言うには、
「私は、今夜、八風(大風)を起こし海水を吹き上げ、
波浪に乗って東の方にまいりましょう。
これがすなわち私が退却したという証拠です。」と。

天日別命は、兵を整備してその様子を窺っていると、
夜更けになって、大風が四方に起こり、大波をうち上げ、太陽のように光り輝いて
陸も海も昼のように明るくなり、ついに波に乗って東に去った。

古語に「神風の伊勢の国、常世の浪寄する国」というのは、
つまりこのことをいうのである。
(伊勢津彦の神は、近くの信濃の国に住ませた。)


天日別命は、この国を手なづけて天皇に復命した。

天皇は大層喜ばれ、詔して
「国の名は国つ神の名を取って伊勢と名づけるがよい」と仰せられ、
やがて、天日別命にその国の統治を任せ、宅地は大和の耳梨の村に賜った。

(ある本にはこういっている。
――天日別命は、勅命を受けて熊野の村から真っ直ぐ伊勢の国に入り、
荒ぶる神を殺し、服従しない者を罰し、山川の堺をたてて、村々を定め、
そうしてから後、橿原の宮に復命した)


ここで、少し、天日別命の系図について注釈しておきます。


天日別命(あめのひわけのみこと)

天日別命(あめのひわけのみこと)は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)の別名であり、
天日鷲命は、天太玉命に従った五神の一人で、阿波・安房忌部氏の祖とれる人物です。

天日別命の子供は、「安房国忌部家系」によると、
下記の3人がいるようです。

①大麻比古命(またの名を、津咋見命・津杭耳命)
②天白羽鳥命(またの名を、長白羽命)
③天羽雷雄命(またの名を、武羽槌命)


ここで注目したいのが、天日別命の第二子の天白羽鳥命で、
この人物こそが、北伊勢の天白信仰の元になっている天長白羽神なのです。


この天白信仰は、「竜神信仰―諏訪神のルーツをさぐる」によると、
長野県・静岡県を中心として多く見られるようです。(特に長野が多い)
ちなみに、名古屋の天白区(天白川)の由来も、この天白信仰から来ています。

そして、この「天白社」と「天白由来の地名」の分布を調べた三渡俊一郎氏によると、
滋賀に2、3例あるのを除き、天白の分布は、伊勢志摩伊東の東日本に限られるようです。


このような天白の分布が、近江~伊勢を境に、
きっぱり分かれている調査結果があることから考えると・・・
風土記逸文の「伊勢国の国号の由来」の話は、本当にあった史実と考えられますし、

また、「伊勢津彦が起こした八風(大風)」が起こっ場所だからこそ、
近江~伊勢を境に、八風峠という地名が存在するのではないだろうか?と思うのです。


しかし、管理人のこの推論に対し、「八風峠」の文献の初見は、記紀以外では、
鎌倉時代の正史である『吾妻鏡(東鑑)』で、そこでは「八峯山」と書かれていることから、
「八風峠」と命名されたのは、近世になってからだとする説もあったりするのです。
(参考サイト:八風の由来


正直言って、「八風峠の由来」の由来に関しては、
「伊勢国 風土記逸文の伊勢津彦」由来なのか、後の世の強制付会であるのかは、
議論の分かれるところです。

しかし、管理人は、先の滋賀以東に見られる天白信仰の存在の他にも、
幾つかの理由によって、「八風峠」は、伊勢津彦の由来の地名だと考えます。

その理由については、また今度^^;

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