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2015年5月 3日
少し間が空きましたが、、、
今回は、先日の『伊勢物語に隠された「七五三」と第125段で終わる意味①』の続編です。
「伊勢物語は、なぜ125段で(男の死をもって)唐突に終わるのか?」その疑問を、
伊勢物語に隠された「ちはやふる」の暗号との関係をも踏まえて、考察していきます。。。
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前回管理人は、伊勢物語に隠された「ちはやふる」の暗号は、、、
前半の句が合計数33となり、、、
さらに、後半の句の合計数324と合わせると、合計357になることを示しました。
そして、これは、神道でいう七五三を暗示しているのではないか?と類推しました。
- 第1段に「ちはや」
- 第2段に「ふる」
- 第6段に「神 夜も 聞かざりけり (神代も聞かず)」
- 第7段に「立つ」
- 第8段に「立つ」
- 第9段に「河」
句の前半:1+2+6+7+8+9=33
句の後半:9*(1+2+3+7+11+12)=9×36=324
- 第9段(9×1)に「唐(から)」
- 第18段(9×2)に「くれない」
- 第27段(9×3)に「水」
- 第63段(9×7)に「九九(=つくも)」
- 第99段(9×11)に「車=くる」
- 第108段(9×12)に「永遠(=とは)」
句の合計数:33+324=357
※第9段だけ、前半と後半か"かぶっている"ことに注意
まず、前半の句の合計数33は、大いに意味のある数字でして、、、
過去に、『百人一首の親子・兄弟関係に隠された数の秘密』の記事においても、
百人一首でも、この数字33が特殊である事は以前示した通りです。(下記参照)
百人一首の血縁関係の合計番号数を調べると、(21番まで番号の人物については)
合計数3や合計数33となる組み合わせで作られています。
●天智天皇(1番)と娘・持統天皇(2番)
1+2=3
●在原行平+在原業平の兄弟
16+17=33
16 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとしきかば今かへり来む 中納言行平
17 千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは 在原業平朝臣
●僧正遍昭+素性法師の親子
12+21=33
12 天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ 僧正遍昭
21 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな 素性法師
●陽成院と元良親王の親子
13+20=33
13 つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる 陽成院
20 わびぬれば今はた同じ難波なる 身をつくしても逢はむとぞ思ふ 元良親王
いかがでしょうか。
上記のように、21番以内の親子・兄弟は、3や33という数字が頻出するんです。
このように、藤原定家は33の数字を大事にしているように思われます。
ちなみに、百人一首の合計数33の組み合わせの中にも、
在原行平+在原業平の兄弟もしっかり入っている事は見逃せない所です
なぜ、伊勢物語や百人一首の双方で33の数字が関わっているのか?という事は、、、
個人的に、和歌の秘伝である古今伝授の流れが、関わって来ているように思います。
一般的に、古今伝授は、百人一首の作者の藤原定家の流れを汲む御子左家の和歌の秘伝です。
ただ、重要な事に、古今伝授の和歌の秘伝の中に、伊勢物語七ヶの秘事も含まれていましたよね。
(古典(和歌)に隠されている神道の奥義参照)
それを考慮すると、古今伝授の流れ(始祖)は、藤原定家の流れよりも、もっと前、、、
古くは、在原業平や紀貫之の時代(9世紀頃)から脈々と受け継がれてきたものなのではないでしょうか?
その一端が、33という聖数に現れているとは考えられないでしょうか。
<百人一首33番歌は、唯一"光"の文字を持つ>
33.紀 友則
久かたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
それで、伊勢物語の話に戻りますが、、、
合計数357は、神道でいう七五三を示しているのではないか?と類推しましたが、
この合計数357(七五三)になるためには、ある一つの条件が、関わってきます。
それは、、、
第9段において、上下の句を重複してカウントする必要がある!
・・・ということです。
下記のように、第9段だけ、上の句と下の句が重なっているのです。。。
- 第1段に「ちはや」
- 第2段に「ふる」
- 第6段に「神 夜も 聞かざりけり (神代も聞かず)」
- 第7段に「立つ」
- 第8段に「立つ」
- 第9段に「河」
句の前半:1+2+6+7+8+9=33
句の後半:9*(1+2+3+7+11+12)=9×36=324
- 第9段(9×1)に「唐(から)」
- 第18段(9×2)に「くれない」
- 第27段(9×3)に「水」
- 第63段(9×7)に「九九(=つくも)」
- 第99段(9×11)に「車=くる」
- 第108段(9×12)に「永遠(=とは)」
句の合計数:33+324=357
※第9段だけ、前半と後半か"かぶっている"ことに注意
当然ながら、ここで、疑問が浮かびます。
なぜ、第九段で、わざわざ、上下の句を重複させているのか?
(また、その後の下の句で、九の倍数の段で、暗号が仕組まれているのか?)
管理人は、個人的に思うのですが・・・
それはひとえに、第九段におけるククリを暗示しているのではないか?
・・・と思うのです。
何をくくっていたのか?
それは、、、伊勢物語の第九段の内容を見れば、おおよそ察しは付きます。。。
では今度は、伊勢物語の第九段を考察してみましょう。
この場面は、あなたもきっと一度は習ったであろう、あの有名な八橋です。
<『伊勢物語』第九段>
<第九段・①(八橋)>
むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、
「京にはあらじ。あづまの方に住むべき国もとめに」とて往きけり。もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。
道知れる人もなくてまどひいきけり。三河の国八橋 といふ所にいたりぬ。
そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、
橋を八つわたせるによりてなむ八橋といひける。▼花札5月札 かきつばたと八橋
(※大石天狗堂では、菖蒲ではなく杜若と解釈されてます)
その沢のほとりの木のかげにおり居て、餉くひけり。
その沢に、燕子花(かきつばた)いとおもしろく咲たり。それを見て、ある人のいはく、
「かきつばたといふ五文字を句のかみにすゐて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。唐衣
きつゝ馴にし:し
つましあれば
はるばる来ぬる
旅をしぞ思ふとよめりければ、みな人餉のうへに涙おとしてほとびにけり。
<第九段・②(宇津の山)>
行き行きて駿河の国にいたりぬ。
宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦かへでは茂り、
もの心ぼそく、すゞろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。「かゝる道はいかでかいまする」といふを見れば見し人なりけり。 京に、その人の御もとにとて、ふみかきてつく。
駿河なる宇津の山辺のうゝにも
夢にも人に逢はぬなりけり富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いとしろう降れり。
時しらぬ山は富士の嶺いつとてか
鹿の子まだらに雪の降るらむ(時節を知らない山は富士山だ。
今をいつと思ってか子鹿の背の白い模様のように、まだらに白く雪を降り積もらせているのだろう。▼駿河の国の富士山と愛鷹山(あしたかやま)
その山は、こゝにたとへば、
比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。
<第九段・③(角田河)>
なほゆきゆきて武蔵の国と下つ総の国との中に、いとおほきなる河あり。
それを角田河(すみだがわ)といふ。その河のほとりにむれゐて、思ひやれば、かぎりなく、遠くも来にけるかな、とわびあへるに、
渡守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ」といふに、乗りて渡らむとするに、
みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折りしも、白き鳥の嘴と脚とあかき、鴫のおほきさなる、水のうへに遊びつゝ魚をくふ。
京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。▼隅田川の渡し
渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、
名にしおはゞいざこと問はむ都鳥
わが思ふ人はありやなしやととよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。
伊勢物語の第9段は、かなり特殊な段でして、、、
八橋-宇津の山-隅田川と一つの段だけで、三つの場所が出ているのが分かります。
この第9段の3つのパートを詳細に分析すると、そこに示されているのは、、、
まずは、①八橋の場面では、男の東下りによる、妻との別離が示され、
続いて、②宇津の山の場面では、都の想い人に手紙(文)を託し、、、
さらに、③隅田川の渡しの場面では、妻を想う男が、示されている訳ですね。
要するに、第9段では、「男女の別離=男女の仲のククリが解けかかっている状態」が示されており、
男女の間にあるのは、(文に託した)お互いを想う絆だけが、残っている状態なのです。
こういう男女(陰陽)のククリを示すために、
在原業平は、わざわざ、第9段で上の句と下の句とを重複させたのかもしれません。
(※第9段の②宇津の山で、鹿の子の「まだらの白」、時節を知らぬ富士山の雪の「まだらの白」というように、白(=九十九)出はないことにも注意を要するか?)
ちなみに、古典でならったであろうかきつばたの和歌ですが、折り句になってます。
なお、冠の杜若(かきつはた)だけでなく、
沓も古橋・藻(ふるはしも)という八橋ならではの縁語で構成されてます。こういうのを沓冠と言いますが、、、
「冠と沓を残 して仙人になる」との神仙思想が古代にはあったので、
男は神仙世界に旅立ったと言う意味合いも、暗示させているのかもしれません。
それで、前項のような所まで分かってくると、、、
ふと思う訳ですよ。
あれ?伊勢物語には、もう一か所、ククリを示している箇所がなかったかな?と。。。
そう。。。それは、九九(=つくも)を示している第63段ですよね^^
ここも、まさしく、男女のククリを示している箇所です。
- 第1段に「ちはや」
- 第2段に「ふる」
- 第6段に「神 夜も 聞かざりけり (神代も聞かず)」
- 第7段に「立つ」
- 第8段に「立つ」
- 第9段に「河」
- 第9段(9×1)に「唐(から)」
- 第18段(9×2)に「くれない」
- 第27段(9×3)に「水」
- 第63段(9×7)に「九九(=つくも)」
- 第99段(9×11)に「車=くる」
- 第108段(9×12)に「永遠(=とは)」
この伊勢物語の第63段は、、、九十九(つくも)髪と呼ばれる段ですが、、、
実は、この第63段にしか見られない、特殊な現象が一つだけあるのです。。。
それは、、、伊勢物語で、初めて「男=在五中将(在原業平)」と特定される段なのです。
<『伊勢物語』第六十三段>
昔、世心(よごころ)つける女、いかで心なさけあらむ男にあひ得てしがなとおもへど、
言ひ出でむもたよりなさに、まことならぬ夢語りをす。子三人(みたり)を呼びてかたりけり。二人の子はなさけなくいらへてやみぬ。
三郎なりける子なむ、「よき御男ぞいでこむ」とあはするに、
この女気色(けしき)いとよし。「こと人はいとなさけなし。
いかでこの在五(ざいご)中将にあはせてしかな」
と思ふ心あり。狩(かり)しありけるにいきあひて、道にてむまの口をとりて、
「かうかうなむ思ふ」といひければ、あはれがりて来て寝にけり。さてのち、男見えざりければ、
女、男の家にいきてかいまみけるを、男ほのかに見て、百年(ももとせ)に 一年(ひととせ)たらぬ つくも髪 我を恋ふらし 面影に見ゆ
とて出でたつ気色を見て、むばらからたちにかかりて家に来てうちふせり。
男かの女のせしやうにしのびて立てりて見れば、女なげきて寝(ね)とて、さむしろに 衣かたしき こよひもや 恋しき人に あはでのみ寝む
とよみけるを、男あはれと思ひてその夜は寝にけり。
世の中の例として、思ふをば思ひ、思はぬをば思はぬものを、
この人は思ふをも思はぬをもけぢめ見せに心なむありける。上記の現代語訳は、こちらをご覧ください。
伊勢物語において、在五中将(=在原業平)の語句が出てくるのは、この第63段だけです。
ですから、そういう意味でも、非常に特殊ですし、、、
いったい、なぜ、作者の在原業平は、ここで、実名を出してきたのでしょうか?
そして、それを考えた時、、、
初めて、伊勢物語が合計125段で成り立っている意味が分かるのです。
伊勢物語は、合計125段で、唐突に男の死を持って終わります。
むかし、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、
つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを<現代語訳>
最後に行く道とは、かねがね聞いてはいたけれど
まさか昨日今日のこととは、思ってもいなかったよ
それで、この構造を考えてみると、、、
ちょうど、第63段の九十九(つくも)髪の段は、伊勢物語のど真ん中なんですね!
それを考えると、、、
伊勢物語が、第125段で、唐突に終わるのは、真ん中の第63段を浮かび上がらせるため!
・・・と言えるのではないでしょうか?
わざわざ、第63段にだけ、唯一、在五中将(=在原業平)が出てきているのは、
それだけ、この第63段に意味があることを、暗に示すものではないでしょうか。
この第63段に示されているのは、九十九(つくも)髪です。
白髪の老婆と交わった在五中将の話ですが、、、ここに隠された意味はなんでしょうか?
非常に気になるところですが、、、この考察の続きは、また今度^^;
・・・これを解くには、もう一つの花札の話をしないといけないかも知れません。
▼菊に盃(サカズキ)
花札をする時に、大体どのゲームでも
9月の菊に盃の札(本来はタネ札)はカス札に加えてもいい
・・・という不思議なルールがありますが、それは何故なのでしょうか?
(なぜ、この札だけ特殊なのでしょうか?)
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