君が代の歌詞に隠された・・・預言?(その2):不況対策!個人でも有効な方法



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2012年12月29日


君が代の歌詞に隠された・・・預言?(その2)

なかなか時間取れなくて、記事が間延びしましたが・・・
前回の「君が代の歌詞に隠された・・・預言?(その1)」の続き・・・です。


前回、「君が代」に隠された預言(?)について述べました。

その中では、君が代の歌詞の中には、"代"という字が3つ使われており、
キリストの磔刑の場面の3本のT十字を示しているのでは?と言う事も紹介しました。

また、君が代に関しては、それ以外に、"さざれ石"が重要なキーワードになっており、
それが、琵琶湖から見て、伊吹山の真裏に"さざれ石公園"があることも解説しました。


▼さざれ石公園・・・岐阜県揖斐郡揖斐川町春日
(かなり山奥にあります。冬季は積雪のために、封鎖されている可能性があるので注意)

それで、実を言いますと・・・
このさざれ石公園は、非常に地形的にも重要な場所にあるのですが・・・

それについて解説する前に、
もう少し「君が代」のルーツについて詳しく触れていこうと思います。


君が代の国歌のルーツについて

実は、君が代の国歌のルーツとしては、諸説あります。

有名所としては、「福岡県の山誉め祭」をルーツとするものという説もありますが・・・

前回も述べた通り、一般的には、古今和歌集の巻七賀歌巻頭歌、
題しらず、読人しらずの歌が、君が代の始まりだとされています。



<さざれ石公園にある掲示板より>

「君が代」の基となった歌詞は、木地師の石位左衛門が、
この春日の地でさざれ石を見て詠んだものでした。

平安朝時代、文徳天皇(在位850‐858)の皇子惟喬親王(これたかしんのう)に仕えた
ひとりの木地師が、江州小椋郷(現在の滋賀県東近江市)の君ケ畑から
木地椀の良材を求め春日村に移り住み、江州の君ケ畑へ通う途中、
自然に凝固、苔むして巨巌となっている珍しい石の状態を見て、ありのまま、

「わが君は、千代に八千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔のむすまで」

(天皇の御代が千年も八千年もいついつまでも、さざれ石が大きな岩になって
それがさらに苔が生えるほどにまでに、長く長くずっと続きますように)と詠みました。

都では見かけぬ珍しい石であり、
秀ぐれた歌であるとして『古今和歌集』に採録されました。

しかし、その男は身分が低かったので、「読み人知らず」の歌と扱われましたが、 その後、朝廷から歌の上手さを認められ、石にちなんで 藤原朝臣石位左衛門(ふじわらあそんいしいざえもん)という名前を授けられました。
この歌が、上一句を替えて国家の原歌となりました。

参考: http://homepage1.nifty.com/fuufuyuuyuu/sub28/080518.htm


しかし、上記にも書いていますが、元々、「読み人知らず」の和歌を、
国歌にまで取り上げた理由は、少し不自然なような気がしませんか?


もし、管理人が普通に、国歌選定する立場だったとするならば、、、


スサノオの、「出雲八重垣の歌」とか・・・
(八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を)

ヤマトタケルの「大和は国のまほろばの歌」とか・・・
(倭は 國のまほろば たたなづく 青垣 山隱れる 倭しうるはし)


・・などなど、他に、色々と国歌の候補となるべき、和歌は沢山あったはずだと思うのです。
それなのに、なぜ、「君が代」の和歌が、国歌として選ばれたのでしょうか?

古今和歌集の中だけでも、総勢1111首もありますから、その中でも、
この君が代を、わざわざ国歌として取り挙げたのは、とても不思議な気がします。


また、国家の功労者が作った歌を押しのけてまで、
わざわざ、「読み人知らずの和歌」が国歌としているのは、
・・・何か、"別の狙い"があるとしか思えないのです。


そういう意味ことも考えて、
一度、明治時代における「君が代」の国歌の策定経緯に触れておきたいと思います。


明治時代における「君が代」の策定経緯について

取りあえず、君が代の元の和歌のルーツについては、前述の通りですが・・・
次に、"君が代の国歌としての策定経緯"についても調べてみましょう。


最終的に「君が代」を国歌策定したのは、明治政府です。
明治維新時における君が代の策定経緯としては、下記の通りです。


1869年(明治2年)に設立された薩摩バンド(薩摩藩軍楽隊)の隊員に対し、
イギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンが
国歌あるいは儀礼音楽を設けるべきと進言した。

それを受けた薩摩藩軍楽隊隊員の依頼を、当時の薩摩藩歩兵隊長である
大山弥助(後の大山巌、日本陸軍元帥)が受け大山の愛唱歌である
薩摩琵琶の「蓬莱山」より歌詞が採用された。


と言う事で、元々、薩摩琵琶の「蓬莱山」の歌詞がキーになっているようです。


と言う事で、薩摩琵琶の「蓬莱山」の歌詞を調べて見ました。


<薩摩琵琶 「蓬莱山」>

目出度やな 君が恵みは久方の 光り長閑き春の日に
不老門を立ち出でて 四方の景色を眺むるに
峰の小松に雛鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ

君が代は 千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで

命長らへて 雨塊を破らず 風枝を鳴らさじと云へば又 尭舜の御代も斯くやあらん
斯程治まる御代なれば 千草万木花咲き実り 五穀成熟して
上には 金殿楼閣甍を並べ 下には民の竈を厚うし

仁義正しき御代の春 蓬莱山とは是とかや
君が代の 千歳の松も常盤色 変らぬ御代のためしには
天長地久と 国も豊かに治りて 弓は袋に剣は箱に蔵め置く
諌鼓(かんこ)苔深うし 鳥も中々驚くやうぞなかりける


上記の通り、薩摩琵琶 「蓬莱山」の歌詞の中に、 君が代の和歌があるのが確認できます。

と言う事で、日本の国歌の君が代は、、、
「古今集」⇒「蓬莱山」⇒「君が代」
・・・こういう経緯を辿って、今日の君が代が制定されているようです。


ところで、、、
これは、ちょっと余談になってしまいますが、、、

その蓬莱山の歌詞を作詞したのは、島津忠良(日新斎)(1492~1568年)です。
戦国武将で有名な島津義久、島津義弘の祖父に当たる人です。

島津忠良の簡単な出自は、下記の通りなんですが・・・ちょっと気になる所があります。


<島津忠良の伊作家当主から相州家継承>

島津氏の分家・伊作家の出身。

父・善久が明応3年(1494年)に馬丁に撲殺され、
祖父・久逸も明応9年(1500年)、薩州家の内紛に関与し加世田で戦死したため、
母・常盤が一時的に伊作家当主となる。

この間、伊作家は周辺の諸豪族の攻撃に晒されるが、田布施の相州家当主・島津運久に
加勢を頼み、運久も承諾して都度兵を送り撃退していたと言う。

善久の死後、忠良は常盤の依頼で坊津一乗院の末寺・海蔵院の頼増和尚の元で
5歳から15歳まで教育を受けていた。

相州家の運久は以前より未亡人となった常盤に惚れ込み求婚を申し出ていたが、
忠良を養子とし伊作・相州両家の家督相続を条件に
母・常盤は文亀元年(1501年)、運久と再婚した。

永正3年(1506年)、忠良は元服し伊作家を継いだ。
永正9年(1512年)、運久は阿多城を攻略し亀ヶ城より移り、
かねてからの約束を守り相州家当主の座を忠良に譲った。

忠良は伊作・亀丸城より田布施・亀ヶ城に入城。
21歳で阿多・田布施・高橋・伊作を領す。
領主となった忠良は伊作の亀丸城、田布施の亀ヶ城とも良くまとめ、禅の修行に精進し
学門を修め、人道を守り領民には善政を施したのでその徳は領内外に高まった。


こうして見ると、島津忠良の出自には、
田布施(現在の加世田市金峰町)が大きく関わっているのが分かります。

ところが、不思議な事に、山口県にも「熊毛郡田布施町」という地名があるのです。

この山口県の田布施については、後の"明治天皇だと言われる大室寅之祐"のほか、
明治期にかけて、多くの歴代首相を生みだした土地です。

参考:謎に満ちた、山口県、鹿児島県の熊毛郡と田布施村


現在の、安倍総理の祖父である岸信介にしても、本籍が山口県田布施町ですし、
戦国時代の島津に始まる田布施の流れは、現在まで延々と繋がっているように見えます。


こうした経緯を見ると、君が代の策定経緯には、
鹿児島の田布施の相州家出身の島津忠良が関わっており、、、

また、明治から現在までの国歌権力も、また田布施が深くかかわっているのが分かります。

・・・

・・・

まぁ、これ以上述べると、「君が代」のテーマと離れてしまうので深入りは避けますが、
歴史的な経緯も踏まえると、君が代の策定にも、大きな力が働いているのだと感じさせられます。


しかし、島津忠良にしても、
なぜ、「君が代は 千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで」の句を、
「蓬莱山」の歌詞に入れたのかは、なお疑問が残ります。


明治時代の「君が代」の策定の影に、秦氏の影あり

さて、島津家と言えば、下記の家紋は有名だと思います。
通称:島津十字です。

多くの方は、ご存知かも知れませんが、
○は太陽、十は十字架、をそれぞれ表しています。

なぜこういう事を、敢えて言うかと言えば、、、
島津家は、元々が「惟宗氏」であり、「惟宗氏」のルーツは秦氏だからです。

秦氏は原始キリスト教徒ですが、そういう秦氏⇒惟宗氏⇒島津氏のルーツを知っていれば、
島津家の家紋が、元々、原始キリスト教徒を標榜するものであったことが分かります。


こういう事を考えると、、、

前回の記事で申し上げたように、3つの"代"(=十字架)が隠された、
君が代の和歌を、島津忠良が、わざわざ取り上げたのも、なんとなく分かる気がしませんか?


さらに、明治時代の君が代の選定について、もう一つ言っておきます。

作詞は、島津家の「蓬莱山」を経由した、古今集の和歌がルーツですが・・・
作曲の方にも、大きな秘密が隠されています。


実は、君が代の作曲に当たっては、少し紆余曲折が見られます。


君が代は、元々が、イギリス軍楽隊長フェントンが作曲し、
1870(明治3)年9月8日、東京の越中島で
薩摩・長州・土佐三藩の兵に対する天覧調練(天皇の観兵式)で、
薩摩藩の軍楽隊がこれを演奏したのが「君が代」演奏の起源とする。

しかし、この曲は、不人気で1876(明治9)年の
天長節(11月3日)で海軍での演奏は中止された。

その後、1880(明治13)年7月、軍楽曲にふさわしい曲として、
宮内省の林広守、傭い教師のドィツ人エッケルトらが編曲し直した。

それが、1880(明治1)年の天長節前の10月30日にはじめて演奏され、
現在の「君が代」が誕生したというわけである。

参考:http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20091106/1257470616


上記に出てくる、、宮内省雅楽課楽長の林広守という方が、
実は、君が代の、実質的な作曲者として言って良いと思います。


ところが、この林広守と言う方を、調べて見ると、Wikipediaにはこう書いてます。


天保2年(1831年)11月25日、大坂天王寺の楽人・林廣倫の三男として
摂津国東成郡(現:大阪府大阪市天王寺区伶人町)に生まれる。
後に同族の地下の楽人・林廣就の養子となる。

林家は元々飛鳥時代に活躍した秦河勝の三男の末裔であるとされ、
代々四天王寺に仕えて雅楽を演奏する家であった・・・


ええ、そうなんです。
実は、君が代の作詞も作曲も、秦氏によるものだった訳ですね^^;


秦氏は、原始キリスト教を携えて、日本に移り住んだ渡来人であり、
秦氏で有名なのが、聖徳太子を影でバッアップしたのが、秦河勝です。

※ただし、現在の、最新の情報では、聖徳太子は実在しなかった可能性が高く、
聖徳太子=秦河勝が同一人物の可能性が非常に高いと言われています

▼秦河勝

そして、聖徳太子(=秦河勝)は、"聖徳太子の未来記・未然記"などでも見られる通り、
日本の未来を示した、重大な預言書もを多く書き残してもいます。

そう考えると、そのような秦氏一族が選んだ、君が代の和歌は、
深い意図があって選ばれたと考えるのが当然であり、、、

君が代に隠されたもの、、、それは、預言ではないか?と思う訳です。



本来、さざれ石公園の地形の特殊性についてまでを、述べるつもりでしたが、、、
君が代の策定まで経緯を述べただけで、記事が長くなってしまいました(汗

続きは、「君が代の歌詞に隠された・・・預言?(その3)」にて、
書こうと思いますが、まぁ、気長にお待ちくださいませw ^^;



<最後に・・・>

今回の記事が、どうやら2012年の最後の記事になりそうですが、
当サイトともども、今年一年お世話になりましたm()m

当サイトの閲覧者様の皆さまにおかれましては、一年の御愛護を感謝致します。
今後も、頑張りますので、来年も宜しくお願いします^^



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