七夕と笹の由来⑩~丹後国加佐郡の由来と吉備鴨別~:不況対策!個人でも有効な方法



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2013年8月 3日


七夕と笹の由来⑩~丹後国加佐郡の由来と吉備鴨別~

今まで述べた記事で、浦島太郎と吉備との関係が、相当深い事が分かったと思います。


しかしながら、どうして、浦島太郎は、吉備ではなく丹後半島の話とされているのでしょうか?
その辺の謎を解くためには、吉備丹後の関係を知っておく必要があります。


今回は、応神天皇妃の兄姫の兄弟の
【きびのかもわけ】にスポットを当ててみます。


吉備鴨別と笠

吉備御友別の弟、兄姫の兄弟に吉備鴨別【きびのかもわけ】が居ます。

▼吉備氏の系図

吉備鴨別は、日本書紀で神功皇后の熊襲の土蜘蛛討伐の際、真っ先に派遣された人物です。
ここでは、吉備臣の祖、として、鴨別が出てきます。

また、応神天皇条では、吉備鴨別が、笠氏の祖と書かれています。


<日本書紀 神功皇后 摂政前紀 仲哀天皇九年条>

然して後に、吉備臣の祖、鴨別を遣して、熊襲国を撃たしむ。
未だ浹辰を経ずして自づからに服ひぬ。

且荷持田村(荷持 此をば能登利と云ふ。)に、羽白熊鷲といふ者有り。
其の為人、強く健し。亦身に翼有りて、能く飛びて高く翔る。
是を以て、皇命に従はず。毎に人民を略盜む。

戊子(十七日)に、皇后、熊鷲を撃たむと欲して、橿日宮より松峡宮に遷りたまふ。
時に飄風忽に起こりて、御笠堕風されぬ。故、時人、其の処を号けて御笠と曰ふ。

辛卯(二十日)に層増岐野に至りて、即ち兵を挙りて羽白熊鷲を撃ちて滅しつ。
左右に謂りて曰はく、「熊鷲を取り得つ。我が心則ち安し。」
故、其の処を号けてと曰ふ。

丙申(二十五日)に、転りまして山門県に至りて、則ち土蜘蛛田油津媛を誅ふ。
時に田油津媛が兄、夏羽、軍を興して迎へ来く。
然るに其の妹の誅されたることを聞きて逃げぬ。



<日本書紀 応神天皇22年条>

また、波区芸県を以て、御友別が弟、鴨別に封さす。是、笠臣の始祖なり。


上記で、御笠が風に吹かれて落ちたエピソードがあります。
これが、吉備鴨別が、後に笠氏となったエピソードでもあります。

この部分で、日本書紀では、神功皇后が熊襲国の土蜘蛛退治のために、筑前国の松峡宮
(福岡県朝倉郡筑前町栗田)に、遷った時のエピソードとして書かれています。

しかしながら、新撰姓氏録の方では、下記のように書かれています。


笠が吹き落されることは、姓氏録、右京皇別、
笠朝臣条の鴨別命の話に、吉備の出来事として書かれています。

応神天皇が吉備国に巡幸され、加佐米山(かさめやま)に登った時、
飄風が御笠を吹き放ちて、天皇、之を怪しとおぼしき。

鴨別命がもうさく「神祇、天皇に奉(つかへまつ)らむと欲す。
かれ、其の状(かたち)ならむ」という。

天皇、其の真偽を知らまく欲して、其の山を猟令(かりし)めけるに、
得たまふ所、甚だ多し。天皇大く悦びたまひ、名を賀佐(かさ)と賜ふ』


上記の通り、ここでは応神天皇が吉備国に巡幸した際のエピソードとして書かれています。
日本書紀で書かれているような「神功皇后と筑前国」とはちょっと違います。


いったい、どちらが正しいのでしょうか?


この"御笠"については、福岡市から大宰府に向かう途中の大野城市に、
御笠の森というのがあります。

上記は日本書紀に基づいた史蹟ではあります。
参考サイト1参考サイト2


しかしながら、新撰姓氏録に出てくる加佐米山(かさめやま)も、
確かに、岡山県の笠岡市笠岡に応神山(昔は、笠目山と呼んだらしい)として、存在します。


管理人自身は、吉備鴨別の領地(波区芸県)が、岡山県の浅口市・笠岡市辺りに該当する事や、 当地に加佐米山(かさめやま)が実在する事、笠岡市笠岡などの地名が在る事等から、
新撰姓氏録の応神天皇の伝承の方が、本来の伝承のようにも思います。


▼吉備氏の支配地域(クリックで拡大できます)


まぁ、以前の記事からも、応神天皇と吉備との結び付きが強いのが分かりますし、
吉備鴨別の笠姓の由来については、応神天皇の伝承の方が、本来の形なのでしょう。

日本書紀の神功皇后の御笠の伝承に関しては、何か別の意図が隠されていると思われますが、
現時点では、しばし保留にしておきます。


丹後国加佐郡と吉備鴨別

ところで、浦島太郎の伝承が残る丹後国には、昔、加佐郡(かさぐん)が存在していました。
加佐郡の地域は、現在の舞鶴市・福知山市大江町・宮津市由良地区あたりの地域です。

この加佐という地名は、藤原京から
「丙申年(※696年)七月旦波国加佐評(かさのこおり)」と読みとれる木簡が出土しています。


加佐評については、奈良県の法隆寺に伝来する法隆寺献納金銅仏(下記)にも、、、

▼法隆寺献納金銅仏 観音菩薩立像(165号)


辛亥年(※651年)七月十日記 笠評君 名□古臣
辛丑日 崩去辰時故児在布奈太利古臣又伯在建古臣二人志

・・・と書かれており、大化の改新(645年)頃から、既に笠評(かさのこおり)はあったようです。


ですが、こちらの笠評は、残念ながら、丹波国とは記されてはいません。

しかし、この観音菩薩に似た同様の像が、朝鮮半島にもあることや、
朝鮮半島との繋がり、当時仏像を作成する技術をもっていた事を考慮すると、
笠評は、丹波国加佐郡しかあり得ないと思うのです。

そう考えると、、、
古くは、丹後国加佐郡=笠郡だった!・・と言えるのです。


吉備鴨別は、笠氏の祖とされます。
一方、丹後国の加佐郡は、古くは笠郡であった可能性が高いです。

奇遇にも、ここに""という繋がりがあるのです。


そう考えると、もしかしたら、浦島太郎が、吉備国ではなく丹後国で語られる理由も、
この吉備鴨別(笠氏)が、関わっているためか?と考えるのですが・・・

その可能性を考えて、今度は、丹後国の加佐郡の由来を考えてみます。


丹後国の加佐郡の由来

加佐郡の地名の由来については、残念ながら一般的には不明です。

地名の由来などが本来書かれていたであろう「丹後国風土記」も、全文は今は現存しません。
(わずかに「丹後国風土記 逸文」を残すのみです)


しかしながら、「丹後国風土記 逸文」とは別に、「丹後風土記」の一部が、
京都の北白川家に伝わっており、その書物を「丹後風土記残欠」と言います。

その「丹後風土記残欠」に、実に興味深い事が書かれているのです。
(以下の丹後国風土記残欠の文章は、「丹後風土記残欠」のサイトから引用)


<「丹後風土記残欠」 伽佐郡

伽佐郡の字は本は笠郡の字を使っていた。
宇気乃己保利(うけのこほり)と読んだ。

宇気と読む所以は、昔、豊宇気大神、田造郷笶原(ヤブ)山に留まりまして、
人民たちはその恩頼(みたまのふゆ)を受けたからである。それで、宇気と云う。

笠は、また、伽佐と読む。よって、今、世に誤って、伽佐の己保利と云う也。


やはり、前項で指摘した通り、加佐は、もともと笠と書くのが正しいようです。

しかも、その笠は、宇気(ウケ)と呼んだそうで、
この笠(ウケ)は、豊宇気大神に由来する事が書かれています。


しかし、これだけでは、丹後の加佐郡と吉備鴨別の笠氏とが、まったく結びつきません。
したがって、まだまだ、探らないといけないようです。


青葉神社の笠津彦、笠津姫

調べてみると、丹後国には、加佐郡の語源となっている笠を名前に持つ神が居ます。
それが、笠津彦、笠津姫(うけつひこ・うけつひめ)です。

この笠津彦、笠津姫に関わる記述も、他の「丹後風土記残欠」に見られます。


<「丹後風土記残欠」 志楽郷

青葉山は、一つの山であり東西に二つの峯がある。名神(みょうしん)が在る。
共に、青葉の神と名付けている。

▼青葉山(福井県大飯郡高浜町、京都府舞鶴市)

その東に祭る神は、若狭彦の神、若狭姫の神、の二座。
その西に祭る神は、笠津彦の神、笠津姫の神、の二座である。

これが、若狭国と丹後国の境であり、
笠津彦神、笠津姫神は丹波国造、海部直たちの祖先である
二峯とも松柏が多い。秋にも色が変わらない。以下一行虫食い


上記の通り、「笠津彦神、笠津姫神は丹波国造、海部直たちの祖先である」
と書かれ、ここで、海部氏との繋がりが明らかになってきました。

この通り、海部氏の祖先には、笠津彦神、笠津姫神(うけつひこ・うけつひめ)が居たようです。
(※丹波国造も、初代は大倉岐命であり、海部氏(尾張氏)です)


笠津彦神、笠津姫神が、海部氏の祖先という事が分かりましたので、
今度は、海部氏の系図「勘注系図」の方で、笠津彦神・笠津姫神を調べてみましょう。


勘注系図で見た笠津彦神・笠津姫神のルーツ

それで、「勘注系図」の方で、笠津彦神・笠津姫神を調べてみると・・・
倭宿禰命の子供に、笠水彦命がおり、その子に笠津彦命が見えます。
(笠津姫神は、笠津彦命の妻のようです)

▼海部氏系図の概略(勘注系図)(※途中までは先代旧事本紀の尾張氏系図と同じ)


笠津彦命の親である笠水彦命については、
「丹後風土記残欠」の他の部分で言及があります。


<笠水 訓字宇介美都(笠水をウケミヅと訓む)>

一名、真名井、白雲山の北郊にあって、清いこと麗しい鏡の如し。
けだし、これは豊宇気大神が降臨した時に当たり、■■湧き出た霊泉である。

その深さ3尺あまり。その周囲は122歩。
日照りにも涸れず、長雨にも溢れず。いつも増減しない。
その味は甘露のようで、万病を癒す力がある。

傍に、祠が二つある。
東は、伊加里姫命、或いは豊水富神と称す。
西は、笠水神即ち、笠水彦命笠水姫命、の二神。
これは、即ち海部直たちの斎きまつる祖神である。
以下虫食い5行


ここで、笠水彦命以外に、気になる神が出てきました。

笠水姫命は、まぁ、笠水彦の対となる妻だと分かりますが、
問題は、伊加里姫命(いかりひめのみこと)またの名を豊水富神(とよみずほのかみ)です。

いったい、この神は、何者なのでしょうか?


実は、この伊加里姫命も、海部氏の「勘注系図」の方に出てきます。
この伊加里姫命の正体は、、、実は、倭宿禰命の母なのです。


<「勘注系図」>倭宿禰命から日本得魂命より引用)


<倭宿禰命(三世孫)>

亦名御蔭命、亦名天御蔭志楽別命、母伊加里姫命也

神日本磐余彦天皇【神武】御宇參赴、而獻從祖神傳
來天津瑞神寶(息津鏡・邊津鏡是也)以奉仕矣
(彌加宜社、祭神天御蔭命、丹波道主王之祭給所也)

此命遷坐於大和國之時、娶白雲別神女豊水富命、生笠水彦命、(笠水訓宇介美都、)


倭宿禰命は、またの名を御蔭命(みかげのみこと)、
またの名を、天御蔭志楽別命(あめのみかげしらくわけのみこと)、
母は、伊加里姫命なり。

神武天皇の時代に、参りおもむき、祖神から伝わる
天津瑞神宝(=息津鏡・邊津鏡)を献じ、もって奉仕する。
(彌加宜(みかげ)社 祭神は天御蔭命(あめのみかげのみこと)
丹波道主王(たんばのみちのうしおう)が祭り給うところなり)

この命が、大和の国に遷った時、白雲別神の娘の豊水富命(とよみずほのかみ)を娶り、
笠水彦命を産んだ。(笠水はウケミズとよむ)


上記の通り、伊加里姫命(豊水富神)は、笠水彦命の母親です。
要するに、笠水の祠が二つあると書かれていたのは、親子を祭っていた訳ですね。



「丹後風土記残欠」の笠水の条に書かれた「祠が二つ」は、、、
舞鶴市京田の伊加里姫神社、および、
舞鶴市公文名にある笠水神社を指していると思われる


伊加里姫命(豊水富神)が倭宿禰の母で在る事は分かりましたが、
先ほどの「勘注系図」では、笠水彦命は、大和国で生まれた事が書かれています。

とすると、笠のルーツは、大和の国にあるのでしょうか?
(最初、吉備鴨別の笠氏を調べていたのに、大和に飛んじゃいましたね^^;)


今度は、笠水彦命の母親で、倭宿禰命が大和で娶ったと言う、
豊水富命(とよみずほのかみ)を調べてみましょう。


豊水富命=井氷鹿だった!

海部氏「勘注系図」には、笠水彦命の出自も書かれてありますが・・・
実は、ここに、とんでもない記述があるんです。


笠水彦命(四世孫)
母豊水富命、亦名井比鹿也

神渟名川天皇【綏靖】御宇、
以天御蔭之鏡爲神寶、以奉仕矣、
此命娶笠水女命、亦名與志美別、
生笠津彦命矣、(笠訓宇介、)
御蔭之神事、今俗稱葵神事


笠水彦命は、母は豊水富命、またの名は井比鹿なり。
綏靖天皇の時代に、天御蔭之鏡を神宝と為して、もって奉仕する。

この命が、笠水女命(またの名を與志美別)を娶り、
笠津彦命を産んだ。(笠はウケとよむ)

御蔭の神事を、今、俗に葵神事と称す。


なんと!笠水彦命の母の豊水富命は、神武天皇が大和制圧の際に吉野で出会った、
井光(井氷鹿)であると書かれているのです。


井光(井氷鹿)を知らない人のために、
古事記と日本書紀の該当部分を、下記に抜き出して紹介します。


<古事記 神武天皇条>

そこで、夢の中での教示のとおりに、その八咫烏の後からお行きになると、
やがて吉野河の河口に着かれた。

(中略)

そこから更に行かれると、尾のある人が泉の中から出てきた。
その泉の水はきらきらと光っていた。

そこで、「お前は誰だ」とお尋ねになったところ、
「私は国神、名は井氷鹿(いひか)である」と答えた。
(これは吉野首らの祖先である)



<日本書紀 神武天皇条>

天皇は吉野のあたりを見たいと思われて、
宇陀の穿邑(うがちのむら)から軽装の兵を連れて巡行された。

吉野に着いたとき、人がいて井戸のなかからでてきた。
その人は身体が光って尻尾があった。

天皇は「お前は何者か」と問われた。
答えて「手前は国つ神で名は井光(いひか)といいます」と。
これは吉野の首部(おびと)らの先祖である。


上記のとおり、古事記では井氷鹿(ひか)日本書紀では井光(いひか)と書かれた人物が、
笠水彦命の母なのです。(「勘注系図」では、井比鹿)


この井氷鹿・井光(いひか)は、吉野の首部(おびと)らの先祖と書かれてあります。
そこで、新撰姓氏録の方でも、この氏族を調べてみましょう。


すると、「大和國 神別 吉野連」の項に、下記の通り書かれてあります。


<新撰姓氏録 大和國 神別 地祇 吉野連>
加彌比加尼之後也。謚神武天皇行幸吉野,到神瀨,遣人汲水。
使者還曰:「有光井女。」
天皇召問之:「汝誰人?」
答曰:「妾是自天降來白雲別神之女也,名曰豐御富。」
天皇即名水光姫,今吉野連所祭水光神是也。

加彌比加尼(かみひかね)の後裔と書かれ、
白雲別神(倭宿禰の別名の"しらくわけのみこと"か?)の女と書いてあります。
水光姫、水光神とも書いています。

こを見る限り、、、
恐らく、加弥比加尼(かみひかね)=井氷鹿・井光(いひか)なんだと思います。

それで、この加弥比加尼(かみひかね)なんですが、
実際に、加弥比加尼(かみひかね)の墓は、奈良県吉野郡川上村井光に存在します。


参考サイト加弥比加尼の墓


墓が存在していると言う事は、井氷鹿(井光)は、吉野で一生を終えたのでしょう。
・・・とすると、息子の笠水彦命に、""の名前を授けたヒントが、
この吉野の周辺にあるはずです。


・・・

・・・

しかし、色々調査して見ても、、、
残念ながら、吉野周辺で、めぼしい笠と言えば、衣笠山の笠くらいなのです。

しかも、吉野周辺で、笠水彦命に関する伝承は・・・探しても無い!
何より、笠水はウケミズと読まなくてはならないので、
衣笠山のキヌガサとは似ても似つかない。。。

当然、吉備鴨別の笠とも何ら繋がってこない。。。



ココに来て、目ぼしい手掛かりが亡くなってしまいました。。。


「ダメか・・・」



そう思った時、、、ふと、考えたのです。

もしかすると、笠水彦命は、笠水姫と一対の名になっているように、
特定の個人の名前を指すものでは無いのかもしれない。

伊吹山の神を、多々美比古命ではなく、伊吹大明神・夷服(いぶき)の岳の神と称するように、
笠水彦命も、何か、地名や象徴となるものを、反映している可能性がある。。。

笠水女命も、現に與志美別という別の名前を持っているではないか!と。



そう考えていくと、、、むしろ、笠水彦命の出生地ではなく、
笠水彦命が活動していた範囲を捜す方が、笠の由来を掴む事に繋がるのではなかろうか?


そう考えて、笠水彦命の活動地を探ると出てくるのが、、、下記の部分です。


笠水彦命(四世孫)
母豊水富命、亦名井比鹿也

神渟名川天皇【綏靖】御宇、
以天御蔭之鏡爲神寶、以奉仕矣、
此命娶笠水女命、亦名與志美別、
生笠津彦命矣、(笠訓宇介、)
御蔭之神事、今俗稱葵神事


笠水彦命は、母は豊水富命、またの名は井比鹿なり。
綏靖天皇の時代に、天御蔭之鏡を神宝と為して、もって奉仕する。

この命が、笠水女命(またの名を與志美別)を娶り、
笠津彦命を産んだ。(笠はウケとよむ)

御蔭の神事を、今、俗に葵神事と称す。


上記で、出てくる「天御蔭」というキーワードは、
親の倭宿禰の代からも、しきりに出てくるキーワードです。
(彌加宜社、祭神天御蔭命、丹波道主王之祭給所也)


しかも、何気に「天御蔭」に関する記述を見ると、、、
物凄いことが、幾つも書かれています。


  • 倭宿禰命の別名が、御蔭命(天御蔭志楽別命)であること
  • 御蔭の神事が、今でいう葵祭であること
  • 倭宿禰命は、彌加宜社で、祭神天御蔭命として丹波道主王によって祀られている

もしかすると、笠水彦命は、「天御蔭之鏡を神宝と為して奉仕する」と書かれているので、
笠水彦命は、「天御蔭命」を奉仕する、神官だったのではないだろうか?


そう考えると、浮かび上がってくる場所こそが・・・
天御蔭命が祀られている、滋賀県野洲市の御上神社なのです!

▼御上神社(滋賀県野洲市)


この御上神社は、第9代開化天皇の第3皇子「日子坐王」の妃の
息長水依比売」を排出した神社です。

この息長水依比売の子孫が、やがて、日本書紀で、
吉備鴨別とともに熊襲征伐をする神功皇后(息長帯比売命)に繋がります。


天皇家もそうですが、全ての糸の発端は、近江野洲市の御上神社(三上山)にあります。
「吉備鴨別の笠氏」と「海部氏の祖先である笠水彦命」を結ぶ手掛かりも、きっとこの野洲にあるはずです。

御上神社の神官である、御上祝(みかみのはふり)は、
野洲郡一帯を治めていた安国造(やすのくにのみやつこ)の一族です。
(そういう意味で、野洲の由来は安国造から来ています)


冒頭で述べた神功皇后の「御笠の伝承」には、
吉備鴨別の笠氏と、安という地名が、セットで出てきています。
(「熊鷲を取り得つ。我が心則ち安し。」故、其の処を号けてと曰ふ)

一方、天照とスサノオは、宇気比・誓約(ウケイ)の勝負をしたのも、天の安河での出来事です。
ここにも、ちゃんと、笠=宇気(ウケ)と安(野洲川)が出てきているのです。


日本の古代史の謎を解く、多くのヒントが、この近江の野洲にあります。
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