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2013年8月 1日
前回の記事では、「古事記の吉備の黒日売」と「日本書紀の吉備の兄媛」に、
それぞれ、「浦島説話」が割り当てられている事を示しました。
しかし、なぜ、吉備の二人の姫に「浦島説話」が語られているのでしょうか?
応神-仁徳天皇時代の吉備国に、何か浦島伝説に関わる大きな秘密が隠されている・・・
そう考え、今回は、その存在の実在性が高い「吉備の兄姫」の血筋の面から、
「吉備国と浦島太郎(浦嶋子)の関係」について、調べていきたいと思います。
今回の記事では、浦島太郎の名前に隠された、意外な事実を知る事が出来ます^^
なぜ、「浦嶋子」は、"浦"という名を持つのか?その辺を、スッキリ解明してみせます。
さて、仁徳天皇妃の黒日売の出自は吉備海部値であり、浦島説話らしい血統でしたが、
その一方で、「吉備の兄媛」は、吉備武彦命の娘とされます。
兄媛の方は、海部氏とは血統面では、全く関係がありません。
孝霊天皇の皇子に五十狭芹彦命(後の吉備津彦)がおり、その弟が稚武吉備津彦。
稚武吉備津彦の子が吉備武彦で、吉備武彦の子が吉備御友別(みともわけ)です。
この吉備御友別の妹が、「吉備の兄媛」です。
下記の系図で見ると、分かり易いでしょうか。
▼吉備氏の系図
ところで、実を言うと、上記の系図でも書いているのですが、
吉備氏のうち、始祖の吉備津彦と稚武彦命の兄弟は、桃太郎のモデルとされます。
いきなり、浦島太郎から、桃太郎に飛んじゃってすんません^^;
ここで、少し考えて見て下さい。
この桃太郎が、打ち倒した鬼の名前は、何でしょうか?
分かりますでしょうか。
・・・
・・・
答えは、、、何を隠そう、温羅(うら)なのです。。。
この桃太郎の伝承は、吉備津神社などに伝わっています。
▼吉備津神社(岡山県岡山市北区吉備津)
伝承によると、五十狭芹彦命(後の吉備津彦)と稚武彦命は、崇神天皇10年に、
四道将軍の一人として山陽道に派遣され、この派遣先の吉備国で、
温羅(うら)という名の鬼を征伐したとされています。
五十狭芹彦命は、鬼の温羅から吉備冠者(きびのかじゃ)の名前を貰い受けて、
五十狭芹彦命⇒吉備津彦命に、名前を変えています。
そして、吉備津彦らの子孫は、そのまま吉備国に残り、この地を支配したとされます。
吉備津神社には、北東(うしとら)の方角には、この成敗された鬼が祀られています。
吉備津神社の北東に、艮御崎神社という神社があり、
そこでは、温羅(うら)と温羅の弟・王丹(おに)が祀られているそうです。
このネーミングを見ると、鬼なんだなぁと感じますね^^;
(なんか中国人っぽい名前ですが、温羅は百済の王子だとの伝承があります)
ともかく、一目瞭然ですが、浦島太郎(浦島子)にも、うらの音がありますし、
吉備国で成敗された鬼の温羅も、うらという音を持ちます。
この事と、吉備黒日売が、浦島太郎の亀姫の和歌を詠んだ事をセットで考えると、
浦島太郎自体の秘密も、吉備国が深く関係していると感じざるを得ないのです。
しかし、浦島太郎と鬼の温羅との"うら"の音の一致は、
単なる偶然である可能性もありますので、引き続き、吉備氏を検証していきましょう。
さて、この温羅(うら)の拠点があったとされるのが、岡山県総社市のにある鬼城山です。
▼鬼城山(きのじょうざん)にある鬼ノ城(きのじょう)―朝鮮式山城
そして、この総社市の鬼城山のすぐ山を降りた麓にあるのが、総社市服部(はっとり)です。
この地名は、「応神天皇妃の兄姫の織部(はとりべ)」に由来するものと思われます。
日本書紀 応神天皇22年条には、下記のように書かれています。
<日本書紀 応神天皇22年条>
天皇、すなわち淡路より転じて、吉備にいでまして、小豆島に遊びたまふ。
庚寅の日に、また葉田葦守宮に移り居します。時に、御友別参赴り。すなわち其の兄弟子孫を以て膳手として饗奉る。
天皇(中略)、因りて吉備国を割きて、その子等に封さす。すなわち川嶋県を分ちて、長子稲速別に封さす。是、下道臣の始祖なり。
次に上道県を以て、中子仲彦に封さす。是、上道臣・香屋臣の始祖なり。
次に三野県を以て、弟彦に封さす。是、三野臣の始祖なり。
また、波区芸県を以て、御友別が弟、鴨別に封さす。是、笠臣の始祖なり。
即ち苑県を以て、兄浦凝別に封さす。是、苑臣の始祖なり。即ち織部(はとりべ)を以て、兄姫に賜う。
是を以て、其の子孫、今に吉備国に在り。是、其の縁なり。
上記の吉備氏の土地の区分を見ると、見事に、鬼城山を囲んだ配置なのが分かります。
服部のある地域の近くには、応神天皇を饗応した葉田葦守宮も近くにあり、
その辺りが、吉備氏勢力の中心地と考えて良さそうです。
それと、もう一つ、面白いのが、兄姫の兄の浦凝別(うらこりわけ)です。
▼吉備氏の系図
一目瞭然ではありますけど・・・
浦凝別にも、浦島子と同じ"浦"が名前に含まれています。
古代においては、景行天皇の時代に、熊襲健を征伐したヤマトヲグナが、
名前を貰い受けて、倭健(ヤマトタケル)になったように、
名前を貰い受ける事は、相手側を完全服属させる象徴でもあったようです。
余談ですが、日本書紀では、浦凝別の親の吉備武彦が、ヤマトタケルの東征に従軍していたり、 吉備武彦の娘がヤマトタケル妃なにもあり、吉備氏はヤマトタケルと相当関係が深いです。
なお、古事記の方では、御鋤友耳建日子(みすきともみみたけひこ)=御友別(?)がヤマトタケルの東征従軍していると書いてあります。
そう言う意味では、恐らく、鬼の温羅(うら)と浦(うら)は、恐らく同一で、
鬼の名前は、温羅=浦であったと考えられる訳です。
そう考えていくと、、、
浦島太郎の浦という字には、鬼が関係するのではなかろうか?
・・・と言う事が、おぼろげながら見えてくるのです。
ちなみに、浦島太郎の乙姫(亀姫)と吉備の黒日売の和歌には、
共通して「雲離れ」という文字が出てきます。
<A.丹後国 風土記逸文 浦島子の条 亀姫(乙姫)の和歌>
大和べに 風吹き上げて 雲離れ 退き居りともよ 吾を忘らすな
<B.古事記 仁徳天皇の条 吉備の黒日売の和歌>
大和へに 西風吹き上げて 雲離れ 退き居りとも 我忘れめや
上記の和歌で言う「雲」というのは、恐らく、久母=蜘蛛(土蜘蛛)のことだと思われます。
古来日本では、鬼のことを、"土蜘蛛"とも呼んだのですが、
その土蜘蛛の正体は、中央政府にまつろわぬ勢力(土着民や渡来人など)です。
記紀を見れば、備下道臣前津屋事件や吉備田狭の乱、星川皇子の乱など、
雄略紀以降から、吉備は、吉中央政府にまつろわぬ勢力として出て来る事が分かります。
雄略天皇の率いる大和勢力からすれば、吉備国は鬼だったと言えますし、
その雄略紀に、『浦島子』の名が見えることは、吉備との関係を暗示させるものです。
(参考:日本書紀の雄略紀)
しかし、一般的な認識では、
『浦島太郎』は丹後半島の説話とされ、吉備の話ではありません。
その辺は、また別途考えていかなければいけないのですが、、、
そのヒントになるのが、もう一人の吉備氏の兄弟である、鴨別です。
次回は、この「吉備の鴨別」に焦点を当てて、
吉備と丹後半島との関係について考察していきます。
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