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2011年12月28日
※最後まで見れば、日本の歴史の裏の姿が分かる・・・かも?
管理人のサイトでは、教科書には載ってないような、
一見トンデモの知識のように見えて、実は・・・という物事を多く紹介してます^^;
今回は、戦国時代の画で、ちょっと面白いモノを見つけたんで紹介しようと思います^^;
下記は、徳川美術館にある「長篠合戦図屏風」です。
(他に長篠合戦図屏風は現在、大阪城天守閣のものなど八つの存在が確認されています)
ご覧のように、この絵は、織田信長・徳川家康連合軍 vs 武田勝頼の軍勢が戦った絵です。
しかし、実は、この絵の中には、色々、教科書で習った日本史とは違う、
一般にはあまり知られてない事実が、幾つか含まれていたりするのです。
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例えば、、、
織田信長は、武田の騎馬軍団を相手にする上で、
【馬防策の中から「鉄砲の三段打ち」をすることで、騎馬軍団を食い止めた。】
・・・と言われています。
↓イメージとしてはこんな感じでしょうか。
ですが、屏風をよく見てみると・・・いかがでしょうか。
思いっきり、馬防柵の前で、鉄砲撃ってますね(笑
(まぁ、柵の内側から鉄砲を撃っている人も見えますが)
まぁ、教科書で教えている内容と、実際とでは、差異があると言う事ですね^^;
その他にも、この絵には、面白い特徴があります。
戦国大名の織田信長や徳川家康、そして、敵軍の武田軍にまで、
「日の丸の旗」を用いているのが、見られます。
どちらかと言うと、この頃の日本国旗は、今の日本の旗のように長方形ではなく、
正方形の中に赤い丸が使われていました。
また、織田・徳川・武田と全ての陣営で、日の丸が使われています。
要するに、大河ドラマで出てくるような、自軍の旗だけを振るような合戦ではなく、
"何らかの理由によって、"日の丸の旗も使っていたことが伺えるのです。。。
さて、戦国時代の合戦で、日の丸が使われた理由って何なのでしょうか?
ちなみに、朝廷の象徴である「錦の御旗」は赤地に金の日輪、銀の月輪です。
この図柄は、平安時代から使われておりますので、
長篠合戦で、日の丸が使われたのは、朝廷の意向などとは関係なさそうです。
一般的に考えると、日の丸が使われた一つの理由としては、
戦国武将は、源氏を祖にする人が多いから、、、というのも理由にあると思います。
そもそも、武士で初めて天下統一を成し遂げた源氏は「白地赤丸」の日の丸を使っています。
したがって、そんな先祖の御魂にあやかりたい・・・
それが戦国武将に、日の丸を使っている理由の一つなのかもしれません。
ただ、私が推測するに、日の丸が、長篠の合戦で使われたのには、
そういった源氏の祖先へのリスペクトという理由以外にも、
もっと別の意味もあるような気がします。
まるで、日の丸を示すことで、「自らが、正統だ・・・!」と訴えかけているような・・・
もしかしたら、日本という国を継ぐための、跡目争いとして、
どちらが正統かを示す、シンボルマークに日の丸が使われたのではないか?
管理人は、そんな気がしないでもありません。。。
さて、この「長篠合戦図屏風」には、日の丸以外にも、
両軍様々なマークが使用されていますが・・・
武将の旗にも、特徴的に示されており、
それらの武将の家紋類は、かなり正しく、書かれているようです。
例えば、柴田勝家の家紋は、「丸に二つ雁金」と言うのですが、
屏風の方の、勝家の陣旗には、丸なしの「二つ雁金」(下記)が描かれているそうです。
参考: 雁金の由来
あと、二つ雁金で口を閉じているのと開いているので二羽いますが、
多分、神社の狛犬と同じで、阿吽(陰と陽)を示しているのだと思います。
wikipediaによると、柴田氏は、重臣の割りに出自が良く分からない一族なんですが、
もしかすると、神社にまつわる系統なのかもしれませんね。
他にも、羽柴秀吉(豊臣秀吉)のマークも、この絵にはきちんと書かれています。
秀吉のトレードマークだった、ひょうたんマークがきちんと描かれていますよね。
で、このように、ほぼ正しく描かれており、「長篠合戦図屏風」に描かれた
日の丸や家紋などのマークには、十分、信憑性がある事が伺えると思います^^
こうした家紋類についての土台を踏まえて、最後の話に参ります。
さて、ここまで、「長篠合戦図屏風」の絵を見てきました。
しかしながら、実は、この「長篠合戦図屏風」の絵の中に、 何処の誰とも判別がつかない『得体の知れない集団』が混じっているのです。
その得体の知れない集団が、何処に記されているかと言うと、、、下記の部分です。
下の画像は、長篠の合戦布陣図3Dより
実は、合戦のさなかに、織田信長の本陣付近に、
得体の知れない集団が、混じっているのです。。。
そこで、長篠の合戦の絵の信長の本陣の絵を、拡大します。
(※下記の絵は、大阪城天守閣所蔵の「長篠合戦図屏風」です)
分かりますか。
馬に乗った織田信長のすぐ近くに、3人の謎の男の集団が居るんです。
さらに拡大します。
いかがでしょうか。
戦場に似つかわしいとは思えない、真っ白な装束です。
しかも、その背中には、紛れもない、「六芒星=通称:ダビデの星(下記)」があるのです。
こんな六芒星の家紋を持つ、武将なんて居ません。
ましてや、信長の本陣で、本人のすぐ隣に坐すほど厚遇される集団な訳です。
このことの重要性が分かりますか?
つまりは、信長は、この『得体の知れない集団』と行動を共に、武田軍と戦っていた・・・
そう言っても、過言では無いかもしれません。
実は、先日、下記のようなニュースがありました。
このように、織田信長の祖先は、福井の織田剣神社の神官だと言われており、
「剣」が指し示す通り、古くは、四国剣山の近くの阿波忌部氏がルーツだとされています。
実は、先ほど挙げた、下記のマークは、忌部氏など神道集団が使う象徴図形です。
その証拠に、伊勢神宮の参拝道路の灯籠にも、下記のように、ダビデの星が描かれています。
(※現在は、この灯籠は撤去されてしまいました)
昔紹介した、本伊勢である丹波の籠神社(このじんじゃ)の奥の院の真名井神社の碑にも、昔は、ダビデの星が刻まれてあったんです。
(※こちらも、今は、削られて、普通の巴紋になってしまいました)
要するに、何が言いたいのかと言いますと、、、
我々が知っている、戦国の合戦の様子などは、
教科書やTVの大河ドラマなどで洗脳されて刷り込まれた結果であると言う事です。
織田信長は、すぐ近くに、そうした神道集団を置くほど彼らに接近し、
彼らの協力を仰ぎながら、天下への覇道を進んでいったのではないでしょうか?
そして、もう一つ。
信長が暗殺された本能寺の変は、本当に、明智光秀の単なる裏切りなのでしょうか?
管理人が思い描いている真実の日本史は違います。
明智光秀が本能寺の変を起こす前、信長が、何をしたのかつぶさに見てみて下さい。
そこに、『得体の知れない神道集団』を激怒させるような事件が、眠っていませんでしょうか?
そして、その結果、明智光秀は、彼らに呼応して、信長を討った・・・
というのが、真実の歴史では無いでしょうか?
我々が、知っている日本史は、あくまで、『作られた表面上の日本史』です。
真実の歴史は、あなたの知っている歴史とは、違うかもしれませんよ?
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