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2013年2月28日
「七夕の謎」についての第3回目の記事になります。
過去2回の記事は、下記をご覧ください。
ところで、管理人が、この七夕に固執しているのには、理由があります。
それは、記紀において織姫や牛の存在が裏テーマとして見え隠れしているだけでなく、
日本という国自体が、七夕を深く意識付けされるように仕組まれているからです。
例えば、相撲は、その典型的なものです。
実は、日本の国技の相撲は、古来、七夕に行われていた行事です。
七夕の昼に相撲を執り行い、夜に神道祭祀を行うのが古来の習慣だったのです。
相撲は神事が神事と言われるのも、そういう所以があります。
今回は、七夕の謎の3回目と言う事で、、、
この相撲の原型ともなったヤコブについて見ていきたいと思います。
最初に、言っておきますと、相撲の原型は、古代イスラエルにあります。
聖書には、下記のようにヤコブ(イスラエル)が、神と戦う場面があります。
創世記 32章25節~
ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。
ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、
格闘しているうちに腿の関節がはずれた。『もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから』とその人は言ったが、ヤコブは答えた。
『いいえ、祝福してくださるまで離しません。』『お前の名は何というのか』とその人が尋ね、
『ヤコブです』と答えると、その人は言った。『お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。
お前は神と人と戦って勝ったからだ。』『どうか、あなたのお名前を教えてください。』とヤコブが尋ねると、
『どうして、わたしの名を訪ねるのか』と言ってヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、わたしは顔と顔を合わせて神を見たのに、なお生きている。』と言って、
その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。」
上記の通り、相撲のはじまりは、ヤコブが神と戦ったことに由来します。
そして大事な事ですが・・・
イスラエルの名前は、この相撲という行事が発祥であった事が分かります。
まぁ、相撲に関しては、今回はこれ以上深くは触れません。
(また折に触れた時にでも、詳しく解説したいと思います);
管理人が今回、言いたい事は、別の所にあります^^
それは、イスラエルの発祥ともなったヤコブと七夕との関わりについてです。
相撲の原点であり、イスラエルの名前の由来にもなっているヤコブですが、、、
ヤコブは、七夕のルーツにもなったヨセフ・アセナテ夫婦の父親でもあります。
▼ヤコブ-ヨセフの家系図
それで前回で、エジプトの宰相だったヨセフが、
後にアメン神となって、神格化された事を述べましたが・・・
▼アメン神(テーベの神で牡牛が象徴化されている=牽牛のモデル)
実は、それ以外にも、父親のヤコブもまた、エジプトで神格化されているのです。
それで、そのヤコブが神格化されたと考えられるのが・・・
下記のクヌム神なのです。
▼クヌム神(ヤコブが象徴化された神!?)
しかし、いったい、なぜ、このクヌム神がヤコブだと言えるのでしょうか?
その秘密は、、、クヌム神の牡羊の顔に秘密が隠されています。
※なお、「ヤコブ=クヌム神」の説については、平御幸氏のサイトを参考にしています。
(当サイトで概要を述べますが、詳細は「第二部 エジプト編」をご参考下さい)
「ヤコブ=クヌム神」である事は、クヌム神の性格と聖書の記述を考慮すれば、
暗にそれと理解することが出来るようになっています。
そこで、まず、クヌム神の性格を、下記に書きだしてみます。
wikipediaなどを調べると、クヌム神は下記のような性格を持っている事が伺えます。
▼クヌム神(ヤコブが象徴化された神)
クヌムは、古代エジプトから伝えられている創造神の一人。
ナイル川を司る神ともされ、その起源はラーよりも古いとされる。フヌムとも。陶工の神で、ろくろ台の上で人間を作り出したと考えられた。
▼轆轤(ろくろ)で、人間を作るクヌム神
また、エレファンティネ(現在のアスワン)の守護神で、
そこより南方から来る洪水の管理をしているという。▼水を注ぎ出すクヌム神
ナイルの水源には普段、結界が張られており、水位が抑えられているのだが、
クヌム神がその結界を破ることによって水が溢れ出し、増水が発生すると信じられていた。
クヌムは人間を創造した神とされ、多産をつかさどるヘケトの配偶者とも言われる。▼クヌム神と対になるのは、多産のヘケト神
【画像はArchivo de la etiqueta: Hegetより】大ピラミッド建造で知られるクフ王の名前は、
クヌム・クフウイ(クフム神は我を守りたまうという意味)である。主に羊の頭をした人の姿で表される。
この羊は角が水平に伸びる種で中王国時代には絶滅してしまっている。
以上が、クヌム神の概要ですが・・・
まず、画像等でも分かる通り、クヌム神は、牡羊の神です。
しかし、元々は、エジプトにおいて、羊はほとんど居なかったと思われます。
聖書には、しっかりこう書かれています。
創世記 / 46章 33節~
もしパロがあなたがたを召して、『あなたがたの職業は何か』と言われたら、
『しもべらは幼い時から、ずっと家畜の牧者です。
われわれも、われわれの先祖もそうです』と言いなさい。
そうすればあなたがたはゴセンの地に住むことができましょう。
羊飼はすべて、エジプトびとの忌む者だからです」。
上記の記述のように、ヨセフがエジプトで宰相だった時代においては、
羊飼いは、エジプト人に忌避される存在だったのです。
だからこそ、エジプトにおいて羊が神になることは、普通ありえないことなのです。
しかし、クヌム神のように現実に羊が神になっている事を考えると、
それは、「外部の者が、エジプトに羊を持ち込んだ」と言う事を示唆している訳です。
クヌム神は「その起源はラーよりも古い」とされており、クヌム神の起源は相当古いです。
では、そんな古い時代に、エジプトの外部から、羊を持ち込んだ人々は、誰でしょうか?
もう、ほぼ、これで分かると思いますが、エジプトに羊を持ち込んだのは、
羊が多い中東方面からの人々でしかあり得ない訳です。
つまり、クヌム神という羊を象徴化して神に祀るのは、
羊飼いをを生業にしていたイスラエル人の可能性が高い訳です。
だとすると、クヌム神はイスラエルの長であるヤコブが、
モデルになっている可能性が高いとは考えられないでしょうか?
エジプトの古代の壁画には、牛などの家畜の壁画も残っています。
下記は、そうしたエジプトの家畜に関連する壁画等です。
そして、下記は、カイロ博物館にある家畜の模型です。
まぁ、幾つかの例外はありますが、上記の画像で分かるのは、
"ぶち"や"まだら"模様のある家畜が、非常に多く描かれている事が分かります。
これはいったい何故でしょうか?
平御幸氏の説によると、これらの家畜の模様が極端に"ぶち"や"まだら"が多いのは、
聖書の下記の記述が、深く関係してきているそうです。
創世記 / 30章 31節~
「何をお前に支払えばよいのか」とラバンが尋ねると、ヤコブは答えた。
「何もくださるには及びません。
ただこういう条件なら、もう一度あなたの群れを飼い、世話をいたしましょう。今日、わたしはあなたの群れを全部見回って、
その中から、ぶちとまだらの羊をすべてと羊の中で黒みがかったものをすべて、
それからまだらとぶちの山羊を取り出しておきますから、それをわたしの報酬にしてください。
▼クロードロラン作:ヤコブとラバンとその娘たちのいる風景
明日、あなたが来てわたしの報酬をよく調べれば、
わたしの正しいことは証明されるでしょう。山羊の中にぶちとまだらでないものや、羊の中に黒みがかっていないものがあったら、
わたしが盗んだものと見なして結構です。」ラバンは言った。「よろしい。お前の言うとおりにしよう。」
上記の通り、ヤコブは、エジプトに寄留前に、ラバンの元で使役させられていますが、
その際、ヤコブはラバンの下で使役した報酬として、多くの家畜を貰い受けています。
その際に、ヤコブが貰い受けたのは、"ぶち"と"まだら"と"黒みがかかっている"家畜です。
(ヘブライ語で「ラバン=白い」の意から、ラバンには白色の家畜のみが残ったと考えられる)
そして、聖書の記述を見る限り、これらの家畜は、エジプトの寄留の際に、
そのまま持ち込まれた可能性が、かなり高いです。
聖書の記述では、ヤコブ一家はゴセン(ゴシェン)に移住していますが、
ゴシェンは牧畜に適した地であり、わざわざ、そこにヤコブや兄弟を住まわせたのは、
家畜も一緒に持ち込んだから・・・と考える方がごく自然です。
創世記 / 46章
そうすればあなたがたはゴセンの地に住むことができましょう。
羊飼はすべて、エジプトびとの忌む者だからです」。※注釈 ゴシェンは「ラメセスの地」とも言われる。
ヤコブ一家のエジプト移住から、出エジプトまで、
イスラエル人が居住した下エジプトの一地方である。
居住と牧畜に適した地であった。
ちなみに、メンデルの法則で考えれば、白色の家畜を取り除けば、
その子供が、白色以外で生まれる可能性が、飛躍的に高まります。
このようにして考えると、エジプトの壁画で、"ぶち"や"まだら"、
"黒みがかかっている"の家畜が多いのは、ヤコブの影響が高いとは考えられないでしょうか?
さて、上記のような推論を元にして、もう一度、クヌム神の性格を考えて見て下さい。
クヌム神は、顔が浅黒くて、牡羊の姿です。
クヌム神の顔が浅黒いのは、まさに、エジプトに持ち込んだ羊の色が、
"ぶち"や"まだら"、"黒みがかかっている"羊ばかりであったことに
由来するのではないでしょうか。
このようにして考えると、「ヤコブ=クヌム神である可能性は非常に高い」と考えられるわけです。
ちなみに、クヌム神の他の性質も、クヌム神=ヤコブの傍証になっています。
轆轤(ろくろ)で、人間を作るクヌム神
⇒ イスラエル人の祖として、多くの人間の祖になった
水を注ぎ出すクヌム神(エレファンティネ(アスワン)の守護神)
⇒ エレファンティネにおいてクヌムが祀られていた。エレファンティネは象の語源。
古来、エレファンティネで象牙の取引が行われたが、ヤコブには象の象徴もあったらしい。
クヌム神と対になるのは、多産のヘケト神
⇒ レア・ラケル・ビルハ・ジルパと多くの子供に恵まれた
なお、それ以外にも、平説によると、
ヨセフが、紀元前1832年の己丑(つちのとうし)生まれで、
牡牛を象徴するアメン神になったのと同様に、、、
ヤコブは数で紀元前1922年の己未(つちのとひつじ)が生まれだったので、
牡羊を象徴するクヌム神になったというのもあるようです。
説明が長くなりましたが・・・
以上の理由により、「ヤコブ=クヌム神」であるという可能性は高いと思われます。
さて、ここまで見てきた方なら、「記紀に出てくる天の斑駒がなぜ、斑なのか?」
・・・この理由は、分かってくるのではないでしょうか。
すなわち、天の斑駒が、斑なのは、ヤコブがエジプトに連れてきた、
"ぶち"や"まだら"の家畜が、起源の可能性が高いと思われます。
しかし、注意しなければならない点があります。
それは、クヌム神=天の斑駒ではないと言う事です。
あくまでも、斑の由来が、ヤコブの家畜に起因すると言う事を述べているに過ぎません。
考えて見れば当たり前です。人類の祖であるヤコブ(クヌム神)を
天上から投げ落とすなんて、恐れ多くて出来ませんからね^^;
▼スサノオに天の斑駒(アメノフチゴマ)を投げ入れられて死ぬ織姫
【画:出雲井晶】
天の斑駒は、逆剥ぎにされて天上から投げ落とされてにされていますので、
あくまで"犠牲の象徴"で無くてはならないのです。
だとするならば、記紀神話の「天の斑駒」は、一体、何がモデルだったのでしょうか?
一つには、以前も言ったように、星座の「ペガスス座」がありますが、
管理人は、これは、七夕の時期を考慮して後世で付託されたものではないかと思っています。
古代エジプトに牽牛や織姫がモデルとなった人物が存在するように、
天の斑駒も、古代エジプトで、何かしら、モデルとなったモノがあるはずです。
それを解くヒントは、実は、前回の記事で紹介した、
七夕行事の「牛洗い」にあります。
日本の特に関西地方では、「七夕に河や池で牛を洗う牛洗い」の風習が残っています。
さすがに現代では、本物の牛は使われる事は少なくなってきたようですが、
今もなお、連綿と古来からの行事は続いています。
▼七夕行事の牛洗い(※下記では本物の牛は使われず、木牛で代用)
【上記の写真は、「ちばとぴ」より引用】
この風習は日本だけではなく、古来中国でも見られます。
中国最古の天文・星辰の記録「史記・天官書」や「準南子・説山訓」などには、
七夕の牽牛は祭祀の犠牲に関わるもので、河に牛を沈めて祀ったと書いてあります。
このような事から考慮すると、「牛洗いの牛は、本来、河の神に捧げた犠牲であった」
・・・と解釈することが出来ます。
一方、天の斑駒も、言わばこれも犠牲の象徴です。
したがって、「牛洗いの牛」と「天の斑駒」とでは、
牛と馬で違いはあるものの、同じように犠牲の性格を持っている事が分かります。
(この牛と馬の違いになった原因については後述します)
この「犠牲の性格を持つ家畜」という意味で、古代エジプトを調べると、
実は、一つだけ、そうした犠牲の性質が隠されている聖獣が居る事に気付きます。
それが、、、下記の聖獣アピスです。
▼聖牛アピス
[角の間に日輪をのせた雄牛]
古代エジプトの聖なる雄牛。
メンフィスの神であるプタハ神の聖獣として、プタハ神殿で飼われた。
力と生産の神。
「黒牛で眉間に四角の白い斑点があり、背にはワシの形をした模様が浮き出て、
尾は毛が二重に生え、下の裏に甲虫の様な形をした物がついている」
アピスが死ぬとファラオと同様(70日間)にミイラとした。上記説明文・画像は、「エジプトの神々」より引用
この聖牛アピスは、あくまで聖牛であって、神ではありません。
また、「黒牛で眉間に四角の白い斑点」とあるように、斑の性質も持っています。
その信仰は古く、古代エジプトの第一王朝時代からアピス信仰があったそうです。
(つまり、イスラエル人がエジプトに寄留する時代から存在していたと思われる)
それで、このアピスですが、ヘロドトスの説によれば、
実際に神々への捧げものとして殺されていたそうです。
そして、その内容が、、、実に、見事に「牛洗い」の儀式と似ているんです。。。
「ナイルストーリー」より抜粋
聖牛アピスと認められるには、全体で29のはっきりした特徴があり、
これらすべてをそなえた牡牛をエジプト全土から探し出すために、
特別の祭司が任命されたそうです。その特徴とは
身体は黒く、眉間に三角の(または四角のという説もあり)白い斑点があり、
背中に鷲の形をした模様があり、尾には2重の毛が生え、舌にはスカラベの
様な模様がついている、エトセトラ、エトセトラ・・・
いくらエジプト広しといえども、そんな牛、本当にいたんだろうか?そのため、ヘロドトスによると新しいアピスが発見されると、
全エジプトが歓喜し、すべての人が祭りの服装に身を包んだのだそうです。それだけ珍しい牛をやっと見つけることができたのですから、
その喜びは、大変大きなものだったことでしょう。で、ここから先、よくわからないのが古代エジプト人の心理です。
そんなにしてまで喜んだ、聖なるアピスが見つかった瞬間、
それまで「聖牛アピス」として祀られていた古いアピスは、
なんと儀式によってナイル川で溺死させられてしまうのだそうです。それだけ苦労して見つけたのですから取っておけばいいじゃないですか、
何もちょっと古くなったからって殺さなくてもいいと思うのですが、
古代エジプト人にとって、
聖牛アピスは1頭だけしかいてはいけないものだったようです。
いかがでしょうか。
このように、聖牛アピスの祭祀は、「牛洗い」の儀式とそっくりなのです。
これで、古代エジプトの聖牛アピスが元々、犠牲の性格を持っていた事が分かりますね。
また、「牛洗い」という古来エジプトの風習を日本人が行っていると言う事は・・・
暗に、日本人の祖先がエジプトに居たという事を物語っているとは思いませんか?
さて、今回の記事は、非常に長くなりましたが・・・
最後に、記紀において、なぜ犠牲の象徴が
「聖牛アピス」から「天の斑駒」のように、牛から馬へとへと転化したのか?
・・・これについて触れていこうと思います。
これは、あくまで管理人の推測に過ぎない訳ですが・・・
この牛から馬への転化は、日本人の祖の移動ルートが大きく関わっていると思われます。
北イスラエルがアッシリア捕囚で滅んだ後、日本人の祖の主力は、
シルクロード(赤ルート)を渡って、ユーラシア大陸を横断したと推測されます。
その途中に騎馬民族に合流し、馬を中心とした生活に身を置く事になり、
牛の犠牲の風習から、馬の犠牲の風習に取って変わったのではないかと考えます。
実際、紀元前5世紀の人物、ヘロドトスは「スキタイの馬に関する記述」において、
馬を、犠牲として捧げる風習について書き記しています。
「駒の話シリーズ 59:ヘロドトスとストラボンの馬」より抜粋
『歴史』のスキタイの馬に関する記述(すべて巻四)
62 スキタイの各地区の堆積の上に、古い鉄製の短剣がのせてあるが、
これがアレス(戦いを司る)の神体なのである。
スキタイ人はこの短剣に毎年家畜類や馬を犠牲に捧げる。71 王の遺骸の埋設についての記述。
墓中に広く空いている部分には、故王の側妾の一人を絞殺して葬り、
さらに酌小姓、料理番、馬丁、侍従、取次役、馬、
それに万般の品々から選び出した一部と黄金の盃も一緒に埋める。72 1年後の儀式の記述。
王に最も親しく仕えた侍従50人と最も優良な馬50頭を絞殺し、
臓腑を抜いて掃除した後もみがらを詰めて縫い合せる。
上記の通り、騎馬民族においては、王墓に見られる生贄の風習から見ても、
牛の犠牲よりも、馬の犠牲が中心であったことが分かります。
考古学者の故・江上波夫氏は、4世紀後半から5世紀に、
東北ユーラシア系の騎馬民族が日本列島に入り、大和地方の在来の王朝を支配して
大和朝廷を立てたとする騎馬民族征服王朝説を提唱していますが・・・
記紀における「天の斑駒に見られる馬の犠牲」は、
こうした騎馬民族の影響が、少なからずあるように感じます。
長くなったので、今回はここまでです。
今回、エジプト中心の謎解きでしたので、次回は日本の方に目を向けようと思います^^;
PS.今日の記事は、かなりディープな話題だったので、読者様がついてこれているか心配です。あと、こういう記事が、需要があるのかどうか半信半疑で書いてます(苦笑
続き⇒七夕の謎・君が代の謎(番外編)~新嘗祭と弥高の不思議な関係~
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