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2011年12月16日
本日は、全国的に初雪が降ったところも多いようで・・・
今回は、それにちなんで最近知った、雪にまつわる不思議なお話を少々。。。(^^;
下記は、有名な浮世絵師である安藤広重(歌川広重)(1797~1858年)の
『東海道五十三次』の蒲原(かんばら)の宿を描いたものです。
蒲原宿は、現在の静岡県静岡市清水区で、東海道五十三次の15番目の宿場です。
静かなしんしんと雪の降る夜・・・
背中をかがめながら、笠をかけた人々が往来する。。。
そんな光景を描いたのが、この浮世絵です。
いやぁ、、、なんとも味がありますな^^
・・・
・・・
しかし、この浮世絵、、、、一つだけ不可解な事があるのです。
実は、この蒲原宿の絵が描かれた、天保3年(1832年)以前に、
この地方で、この絵のような豪雪は、降った事が無いのです。。。
いったい、どうして安藤広重は、蒲原をこんな雪のふる絵にしたのでしょうか?
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この疑問を解く上で、まずは、ここで安藤広重の作品をよく調べる必要があります。
下記で、安藤広重の作品の一覧が見れますが・・・
実は、東海道五十三次は、東京日本橋~京都までの五十三の宿を描いたものですが、
始まり(日本橋)と終わり(京都)の絵もあります。
要するに、全シリーズが、53枚+2枚=55枚で、成り立っているです。
ここでは、この東海道五十三次の絵は、全部で55枚あったというのを、覚えておいて下さい。
後々、この55が大きい意味をもちます。
次に、安藤広重の素性を調べてみます。
安藤広重は、寛政9年(1797年)江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、
その後、15歳の時に浮世絵師となります。
当初は、初代歌川豊国の門に入ろうとしたが、門生満員でことわられたため、
代わりに、歌川豊広に入門し、翌文化9年(1812年)に師と自分から一文字づつとって
歌川廣重の名を与えられることになります。
そんな彼は、家業の火消同心を辞め、絵師を専門の職業にして、
門下生を集めるくらいにまで、名声を集めることになります。
しかしながら・・・
天保3年(1832年)、安藤広重は、突如、一立齋(いちりゅうさい)と号を改めます。
つまり、図のように、突如、頭を剃髪して、出家したってことです。
・・・いったい、彼に、何があったのでしょうか。
管理人が推測するに、安藤広重の一つの契機として、
師匠であった"歌川 豊広"が1830年1月15日に亡くなっています。
もしかすると、それが、一つ出家の理由にあるのかもしれません。
(ただ、広重の出家までに、少しタイムラグがあるので、微妙ですが)
師匠であった歌川豊広が亡くなった後、安藤広重は、
浮世絵とはまた違った文人画家の"大岡雲峰"を二人目の師とします。
この大岡雲峰は、当時、かの谷文晁と並ぶほどの評価を得ていたそうですが、
その一方で、特殊な信仰・思想を持っていたそうです。
それが、"道教"の神仙思想です。
大岡雲峰は、不老不死や風水、陰陽道、呪術の知識も持っていたそうで、
「道教学者」としても知られていたそうです。
そんな道教思想が、弟子の安藤広重にも伝わり、
感化されて、安藤広重は、出家したのではないか?とも考えられるわけです。
ちなみに、ちょうど彼が出家した1832年において・・・
彼は、公用で東海道を上り、その翌年から、
「東海道五十三次」を発表することになるのです。。。
要するに、師匠から弟子に、道教思想が伝えられ、
その思想の影響もあり、東海道五十三次は描かれた・・・とも考えられるのかもしれません。
さて、この東海道五十三次は、江戸時代の元禄年間(1688~1703)から、
既に、"道中双六"としても遊ばれています。
道中双六は、東海道五十三次の絵を順次渦巻き形に描いた絵双六で、
江戸を振り出しに進み、京で上がりとする旅双六です。
安藤広重も、当然ながら、道中双六の存在は知っていたはずです。
そして、この道中双六の、元々のルーツは、絵双六(えすごろく)にあります。
その絵双六も、実は、元々、中国伝来の「浄土双六」が原型になっており、
「言国卿記」(1474年)には、その記載もあります。
で、この浄土双六なるものですが・・・・
元々は、現世から極楽浄土にたどりつくまでの道筋を示すもので、
賽を振って、良い目が出れば、極楽にいけると信じられていたものです。
※双六の起源は、元々、エジプト版双六のセネトまで遡り、不老不死とも関係があります
要するに、元々の浄土双六には、
不老不死の思想とも密接に関わっているってことですね^^;
さらに言えば、安藤広重が師匠の大岡雲峰も、
不老不死や風水、陰陽道、呪術の知識に長けた「道教学者」です。
そして、そんな道教の思想を、弟子の、安藤広重は学んでいる。。。
そこまでを考えて、改めて、東海道五十三次の見てみると・・・
下記の「蒲原の宿」の"謎の豪雪"も別の見方が出来るのです。。。
実は、道教で考えられている風水には、
以前、当方の日記で述べたように、"天円地方"の考え方があります。
天は丸く、地は四角であるという考え方です。
この地の四角は、東西南北で1セットです。
つまり、4が一つのサイクルを形成していると見て良いでしょう。
この"4"という数字を、まず、抑えておいて下さい。
さらに、中国では、易を占う時の考えとして、、、
本人の"誕生年月日"が、大きな意味を持ちます。
東海道五十三次の場合は、安藤広重が作者ですから、
安藤広重が生まれたのは、1797年です。
以上のことを、考慮して、、、
東海道五十三次を、双六風に、東京日本橋を1797年にスタートさせて、
一つ進むごとに、4年を加算して、宿を進めていくとどうなりますでしょうか?
最終地点の"55番目"京都の三条大橋までの年代は、下記のようになります。
- 日本橋 ・・・・・・ 1797
- 1. 品川宿 ・・・・・・ 1801
- 2. 川崎宿 ・・・・・・ 1805
- 3. 神奈川宿 ・・・・・・ 1809
- 4. 程ヶ谷宿 ・・・・・・ 1813
- 5. 戸塚宿 ・・・・・・ 1817
- 6. 藤沢宿 ・・・・・・ 1821
- 7. 平塚宿 ・・・・・・ 1825
- 8. 大磯宿 ・・・・・・ 1829
- 9. 小田原宿 ・・・・・・ 1833
- 10. 箱根宿 ・・・・・・ 1837
- 11. 三島宿 ・・・・・・ 1841
- 12. 沼津宿 ・・・・・・ 1845
- 13. 原宿 ・・・・・・ 1849
- 14. 吉原宿 ・・・・・・ 1853
- 15. 蒲原宿 ・・・・・・ 1857
- 16. 由比宿 ・・・・・・ 1861
- 17. 興津宿 ・・・・・・ 1865
- 18. 江尻宿 ・・・・・・ 1869
- 19. 府中宿 ・・・・・・ 1873
- 20. 鞠子宿 ・・・・・・ 1877
- 21. 岡部宿 ・・・・・・ 1881
- 22. 藤枝宿 ・・・・・・ 1885
- 23. 島田宿 ・・・・・・ 1889
- 24. 金谷宿 ・・・・・・ 1893
- 25. 日坂宿 ・・・・・・ 1897
- 26. 掛川宿 ・・・・・・ 1901
- 27. 袋井宿 ・・・・・・ 1905
- 28. 見付宿 ・・・・・・ 1909
- 29. 浜松宿 ・・・・・・ 1913
- 30. 舞坂宿 ・・・・・・ 1917
- 31. 新居宿 ・・・・・・ 1921
- 32. 白須賀宿 ・・・・・・ 1925
- 33. 二川宿 ・・・・・・ 1929
- 34. 吉田宿 ・・・・・・ 1933
- 35. 御油宿 ・・・・・・ 1937
- 36. 赤坂宿 ・・・・・・ 1941
- 37. 藤川宿 ・・・・・・ 1945
- 38. 岡崎宿 ・・・・・・ 1949
- 39. 池鯉鮒宿 ・・・・・・ 1953
- 40. 鳴海宿 ・・・・・・ 1957
- 41. 宮宿 ・・・・・・ 1961
- 42. 桑名宿 ・・・・・・ 1965
- 43. 四日市宿 ・・・・・・ 1969
- 44. 石薬師宿 ・・・・・・ 1973
- 45. 庄野宿 ・・・・・・ 1977
- 46. 亀山宿 ・・・・・・ 1981
- 47. 関宿 ・・・・・・ 1985
- 48. 坂下宿 ・・・・・・ 1989
- 49. 土山宿 ・・・・・・ 1993
- 50. 水口宿 ・・・・・・ 1997
- 51. 石部宿 ・・・・・・ 2001
- 52. 草津宿 ・・・・・・ 2005
- 53. 大津宿 ・・・・・・ 2009
- 三条大橋 ・・・・・・ 2013
おやおや・・・なんとまぁ、2013年になってしまうではないですか!
2013と言えば、マヤなど、色々な予言で、終末だと言われる頃合いと一致します。
これは、偶然でしょうか?
ちなみに、こう考えると、「もしかすると、画にも、何か意味合いがあるのか?」
・・・というのも考えられます。
そこで、例の「蒲原宿の雪の画」を見て見ましょう。
蒲原宿は、年代で言えば、1857年です。
15. 蒲原宿 ・・・・・・ 1857年
それで、冒頭でも述べたように、安藤広重が、この東海道五十三次の浮世絵を作った
1832年当時、この静岡県清水区地方で雪が降った記録はありません。
・・・ところが!1857年の前年の年、1856年。
実は、この地方では、非常に稀な出来事が起きていたのです。
調べてみると、この1854~58年あたりの安政年間は、非常に、災害の多い時期で、
なんと、1856年 に江戸では真夏に雪が降ったという史実があるのです。
さらに言えば、1857年の翌年は、安藤広重が亡くなった年でもあります。。。
妙な一致を感じさせる、東海道五十三次の蒲原宿の雪の絵・・・
もしかしたら、それは未来のことを描いたものだったのかもしれません。
・・・
・・・
ちなみに、2013年の京都の三条大橋の画はこんなのです。
でもって、三条大橋の似たような角度で撮った写真が下記です。
(三条大橋のスタバから撮ってますね^^)
上下の画を、よ~く見比べて見て下さい。
実は、浮世絵の方にだけ、、、
本来、無いはずの"赤い山"が背後に描かれているのが分かりますか?
この絵は、三条大橋から、比叡山方向を見た絵柄になっており、 方角的には、"東"です。
つまり、東にあって、比叡山より奥の赤い山・・・なのです。
こうくると、考えられるのは、もしかして、富士山???
そして、2013年を示す絵で、赤い山というのは、ひょっとして噴火を意味するものか―?
な~んて、考えも浮かぶ訳です(笑
まぁ、この絵の通り、2013年に富士山が噴火するのか?
それは、今後のお楽しみ。。。
この説を詳しく知りたい方は、下記をご参考ください^^
他の絵もセットで詳しい解説がされています。
<最後に注釈>
まぁ、少々おっかなビックリの絵画予言(?)ですが、、、
自分で言うのも何ですが、スタートの起点を1797年に設定したり、
一つの宿に4年サイクルにするなど、色々な所で、都合の良い解釈ばかりです。なので、ここで挙げている画だけで見ると、当たっているように見えるかもしれませんが・・・
他の年代と、その年の画では、変なところいっぱいあり、突っ込みどころが満載です。
したがって、「ヒロシゲ・コード」は、ただの偶然の産物だと思います^^;画も、単なる浮世絵ではつまらないので、広重が施した脚色でしょう。。。
ただ、冒頭で示した「蒲原(かんばら)」の豪雪の画は、
もしかしたら、「この絵は、漢波羅(カンバラ=カッバーラ)で解け!」
と言う暗示だったりするのか?と思った管理人は考え過ぎでしょうか。
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