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2015年2月17日
以前の続きで、、、『野馬台詩』についての謎解きをします。
漢文は、管理人も不慣れなもので、解読は非常に難しいです。
なので、かなり時間がかかってますが、、、ご容赦を^^;
前回までの記事は、下記をご覧下さい。
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では、前回の前半の続きで、、、『野馬台詩(やまたいし)の預言の中身』を精査していきましょう。
まずは、もう一度、一通り、テキストや読み下し文、一般的解釈を載せます。
▼野馬台詩(野馬臺詩)
▼野馬台詩の読み方(東がスタート地点です)
※赤字は韻です。五言古詩は偶数句の底に韻が入る
東海姫氏國(東海姫氏の国)
百世代天工(百世天工に代る)
右司爲輔翼(右司輔翼と為り)
衡主建元功(衡主元功を建つ)
初興治法事(初めに治法の事を興し)
終成祭祖宗(終に祖宗の祭りを成す)
本枝周天壤(本枝天壌に周く)
君臣定始終(君臣始終を定む)
谷填田孫走(谷填りて田孫走り)
魚膾生羽翔(魚膾羽を生じて翔ぶ)
葛後干戈動(葛後干戈動き)
中微子孫昌(中微にして子孫昌なり)
白龍游失水(白龍遊びて水を失い)
窘急寄故城(窘急故城に寄る)
黄鷄代人食(黄鶏人に代わりて食み)
黑鼠喰牛腸(黒鼠牛腸を喰らう)
丹水流盡後(丹水流れ尽きて後)
天命在三公(天命三公に在り)
百王流畢竭(百王の流れ畢り竭き)
猿犬稱英雄(猿犬英雄を称す)
星流飛野外(星流れて野外に飛び)
鐘鼓喧國中(鐘鼓国中に喧し)
靑丘與赤土(青丘と赤土と)
茫茫遂爲空(茫茫として遂に空と為らん)<日本語訳>
東海にある姫氏の国(日本?)では、
百世にわたって天に代わり(人の治める国になった)
左右の臣下が国政を補佐し、
宰相が功績を打ち立てた。
初めはよく法治の体制を整え、
後にはよく祖先を祀った。
天子と臣下は天地にあまねく、
君臣の秩序はよく定まった。
(しかし、)田が埋もれて貴人が逃げまどい、
なますに突然羽が生えて飛ぶ
(下克上の時代になった)
中頃に衰え、身分の低い者の子孫が栄え、
白龍は水を失い、
困り果て異民族の城に身を寄せた。
黄色い鶏が人に代わってものを食べ、
黒い鼠が牛の腸を喰らった。
王宮は衰退し、
天命は三公に移った。
百王の流れはついに尽きて、
猿や犬が英雄を称した。
流星が野外に飛び、
(戦いを告げる)鐘や鼓が国中に響いた。
大地は荒れ果て、
果てしない世界は無に帰した。
前回は、"野馬台詩の前半"だけ、その意味を解読していきましたが、、、
実は、前半部分は、ほとんどの研究者は、ほぼ同じような解釈になっています。
つまり、天皇の治世に始まり、藤原氏が後に栄える、、、という古代史と全く同じ展開です。
だから、さしてそれほど、前半部分は、解読も苦にならないのです^^;
・・・ところが、"野馬台詩の後半"になるにつれ、抽象的な語句が多くなってきて、
とたんに、その解釈の仕方が研究者によってバラバラになってくるのです^^;
・・・と言う訳で、管理人も、難解な後半に解読にチャレンジする訳ですが、、、
下記で述べる事は、あくまで、一つの解釈として捉えるようにして下さいm()m
(いつも言ってますが、、、あくまで、管理人の妄想による解釈です)
では、前回も述べた通り、この野馬台詩は、「二行が対になっている」ので、
後編も、二行ずつ見ていく事にします^^ノ
今度は、最初からじっくりと見ていきます。
白龍游失水(白龍遊びて水を失い)
窘急寄故城(窘急故城に寄る)
白龍は水を失い、
困り果て異民族の城に身を寄せた。
まずは、後半の最初に白龍という語句が出て来ました。
「游(あそ)ぶ」の部分は、部族の地を離れて外遊するとか、游泳して自由に泳ぐの意味です。
しかし、"白龍が水を失う"とは、どう言う事でしょうか?
ちなみに、まったくテーマは違うんですけど・・・
『千と千尋の神隠し』のハクも、そういや白龍でしたね^^;
【以下、当記事で表示する「千と千尋の神隠し」の画像は、
全て「千と千尋の神隠し」 (c) 2001 二馬力・GNDDTMに帰属します】
そして、、、奇しくも、『千と千尋の神隠し』のハクも水を失っていたりします
ハク、聞いて。お母さんから聞いたんで自分では覚えてなかったんだけど、
私、小さいとき川に落ちたことがあるの。
その川はもうマンションになって、埋められちゃったんだって・・・。
宮崎駿氏は、一体、何処から、ハクのモデルを持ってきたのでしょうかね。。。
ま、それはともかく、として、、、
野馬台詩の「白龍」という語句が示す、その意味が問題です。
普通に、これは五行で考えると、、、「白」は西方の色を示しています。
しかし、現代では、龍を西方に充てるというのは、あまり見かけられません。
・・・が、古代では、それがありました。
実は、五行思想の中に、"五龍"という思想もあります。
この五龍(五竜)とは、「青龍・赤龍・黄龍・白龍・黒龍」の五つで、五方龍とも言います。
古代の日本でも、『日本紀略
』の延喜二年(902年)に五龍祭が行われた記述が見られ、
天皇の勅命で、雨乞い目的として五龍祭を行ったことされています。
▼五龍祭が行われた神泉苑(京都市中京区御池通神泉苑町)
平安時代の11世紀-12世紀頃は、割とこの五龍の思想はメジャーだったようで、
天皇の勅命によって陰陽師が主導になって、雨乞いの五龍祭が行われたことが、藤原道長の「御堂関白記」など、色々な文献に書かれています。
記されています。
では、この雨乞いの五龍祭の儀式は、どのように行われたのでしょうか?
現代では、細部の式次第は分かりかねますが、、、五行で解けば、理論的には分かります。
陰陽師は、その場合どう考えたかというと・・・五行相生の理論を使ったと考えられます。
すなわち、水を生みだすためには、、、五行相生の「金生水」を利用するのです。
西方の「白(白龍)」は、属性としては「金」であり、、、
五行相生で考えれば、「金生水」ですから、、、金は、水を生みだす親な訳です。
※金生水: 金属の表面には凝結により水が生じる
したがって、水を生みだすためには、「白龍」手厚く祀る方法が取られていたはずです。
それで、「金は、水を生みだす親」ではありますが、、、
方角的に、何処で、水が生まれるか?というのも考えなければいけませんね。
中国の古文書「淮南子(えなんじ)」の天文訓にはこう書いてます。
水は申に生じ、子に旺んに、辰に死す。三辰は皆水なり。
はい。
水が生まれる場所は、申の方角です。
これを、もう一度、翻って、、、
五龍祭の行われた、神泉苑の場所と見比べてみて下さい。
いかがですか?
天皇のいる、京都御所から見て、南西のやや西寄り、申の方角にピッタリ合っていませんか?
と言う事で、白龍が水を生みだすためには、申の方角が重要な訳で、
そこで、五龍祭、、、特に、雨乞いの場合は「白龍」が祀られたのではないでしょうか。
陰陽寮や陰陽師の主導による五龍祭は、10-11世紀頃に、特に盛んだったそうです。
(鎌倉時代までは、五龍祭の行われた記録が残っているが、その後は廃れた模様)
そういう所までを、踏まえて考えるならば・・・
「白龍游失水(白龍遊びて水を失い)」と言う部分は、
天皇主導の五龍祭が行われなくなるほどまでに、天皇の力が弱まってしまった
・・・という事を指していると思われます。
▼白龍(時おり魚に化けて、地上の泉などで泳いでいることもある、、、とか)
そして、その次の文章は、「窘急寄故城(窘急故城に寄る)」です。
「窘急」とは、急迫する、差し迫って困る、、、という意味です。
そして、次の「故城」という語句ですが、この語句もまた問題です。
Wikipediaの記載の日本語訳では、「故城=異民族の城」と解釈されてしまっています。
しかし、「故城=異民族の城」はちょっとおかしい訳のように思います。
Wikipediaで"異民族の城"と訳されているのは、
多分、中国ウイグルの、「高昌故城」や「交河故城」が意識されているように思われます。
▼高昌故城(上)と交河故城(下)
▼唐から見れば、「高昌」は異民族
ですが、日本的に、「故城」を考えてみますと、
「故(ゆえ)ある城」ですから、、、古い天皇家に縁のある場所の意味だと思われます。
そう考えると、、、一つ浮かび上がるのは、(五龍祭が廃れた鎌倉時代の後の)
南北朝時代において、後醍醐天皇が逃げ込んだ「吉野」の地が、「故城」ではないでしょうか。
▼春の吉野
▼後醍醐天皇
「白龍遊びて水を失い 窘急故城に寄る」この部分は、天皇の祭祀も行われなくなり、
天皇が、旧地に逃げまどう、、、南北朝時代の戦乱期を言い表しているように思われます。
ちなみに、信州白馬に五竜岳という山がありますが、
これは、五龍祭とは関係ないようです。
(関係ないですが、五竜岳には武田菱があって面白いです)
では、後半部の二つ目の文章にいきましょう(^^;
(一文読解するのに、こんな調子なんで、読解にえらい時間掛かってます(汗)
黄鷄代人食(黄鶏人に代わりて食み)
黑鼠喰牛腸(黒鼠牛腸を喰らう)
黄色い鶏が人に代わってものを食べ、
黒い鼠が牛の腸を喰らった。
ここでは最初に、「黄鶏」と言う語句が出て来ました。
九州や近畿などでは、この「黄鶏」を「かしわ」とも呼ぶそうです。
そのため、「かしわ」は、磐鹿六雁命を祖とする膳部(かしわべ)の膳氏(高橋氏)に通じるか?
・・・とも疑ったんですが、、、
時代背景から考えると、、、
膳氏は、中世で政治的な力を発揮してないので、この可能性は少ないです。
そのため、「黄鶏」は、鶏に色が組み合わさっているので、また五行で考えます。
五行で「黄」を考えますと、、、「黄色=中央の土色」です。
五行の五畜(木=犬、火=羊、土=牛、金=鶏、水=猪)からすると、
本来は、鶏は、金畜で考えるべきでしょう。
この金畜である鶏が「人」に代わって食べると言う事ですが、、、、
ここでの「人」とは、野馬台詩の前半の下記の文章に出てきた、
「天に代わって、人王が治める」に、(暗に)対応していると思われます。
「百世代天工(百世天工に代る)」
百世にわたって天に代わり(人の治める国になった)
そう考えると、、、
「人」=人王=天皇を指しているのではないでしょうか。
つまり、、、
本来中央に位置するはずの「人(人王)」=天皇に取って代わった存在が、「黄鶏」です。
ただ、ここで、なぜ、金畜である「鶏」が出てきたのかを考えるべきです。
金が指し示す意味としては、金属であり、それは金=武器の意味にも通じます。
すなわち、武力を持って、天皇の位置する中央のポジションに取って代わった
・・・と言う事を、「黄鶏人に代わりて食み」の部分は、言い表していると思われます。
そして、これに対応する次の文章は、、、
「黑鼠喰牛腸(黒鼠牛腸を喰らう)」です。
この部分での注意点は、良く分からない「牛腸(ゴチョウ)」という言葉です。
これを、「牛の腸」と普通に捉えてしまうと、、、意味が分からなくてドツボにはまります。
実は、敦賀気比神宮には、この言葉の意味を知る上でのヒントがあります。
▼敦賀気比神宮
ここには特殊神事に「牛腸祭」なるものがあり、御田植祭(6月15日)の行われた、
翌日(6月16日)に、女人禁制で、9月の神幸祭で山車の順序を米くじで決める神事(牛腸祭)が行われています。
※新暦6月は、概ね旧暦5月で「午(ウマ)の月」であり、
この時期に「牛腸祭」をやっているので、牛(丑)の意味は薄いようにも見えます
したがって、どうやら、牛の腸と言う訳では無く、
「牛腸(ゴチョウ)」という文字だけで、何か別の意味を持っていたようなのです。
それで、もっと調べてみると、どうも、北陸や信州辺り(特に新潟)では、
「牛腸(ゴチョウ)」という苗字の付く人が多いようです。
さらに、調べると、柳田國男氏の「食物と心臓
」という本の中の
「牛餉(ゴショウ)と間食」という項目に、「牛腸(ゴチョウ)」の意味が書かれていました。
「午餉(ゴショウ)」の「餉(ショウ)」とは、「乾飯(かれいい)」を指し、
炊いた米を乾燥させたもので、携行食のことです。
(漢和辞典では、運ばれる食物の事を「餉」と言うと書かれてます)
▼乾飯(ほしい・ほしいい)おこわ
昔は、一般的に一日二食の生活で、昼ごはんは無かったのですが、
新たに家を建てる時など、力仕事のいる大工さんだけは、特別に昼食がありました。
家の家主の親類・知人から、食物や酒を送られ、大工さんをねぎらう風習があったのです。
この、野外で食べられた、ねぎらいの酒食を、「午餉(ゴショウ)」と言ったのです。
「朝餉(あさげ)」「昼餉(ひるげ)」「夕餉(ゆうげ)」とも書きますが、
昼時の午(ウマ)の刻に食べられた餉(ショウ)なので、「午餉(ゴショウ)」なのでしょう。
元々の、漢文では、「午餉(ゴショウ)」が正しいのですが、
それがいつの頃からか、ゴショウをゴチョウと訛らせて、大衆用語になったようです。
そして、漢字の当て字も、ゴチョウを、「牛腸」にしてしまったようです。
「午餉(ゴショウ)」⇒「牛腸(ゴチョウ)」※漢字が変わっている事に注意
こういう経緯で、いつの間にか、午(ウマ)が牛(ウシ)に変わったようです^^;
柳田國男はこう述べてます。
<柳田國男「食物と心臓」より引用>
」 ただし、牛の腸だけは、なにぶんにも受けられない。察するに、これもいったんゴチョウの語の意味が不明になった結果、一二の知ったかぶりがこんな文字を考え出して、反対をしえない無筆な人々を煙に捲いた名残であろうと思う。ヒルゲすなわち屋外の昼飯を午餉(ゴショウ)ということは正しい漢語であり、日本へも入って来て中世は相応に弘く用いられていた。
と言う事で、「牛腸(ゴチョウ)」とは、、、
昼時(午の刻)に食べる、家普請の大工が食べる酒食が正しい意味です。
だから、敦賀気比神宮の神事の「牛腸祭」も、家(神社)普請が関わる神事だったと思われます。「牛腸祭」が女人禁制なのは、本祭りの山車を引くのは男の仕事であり、それに関わるからでしょうか。
また、敦賀気比神宮の神事の「牛腸祭」が、わざわざ、本祭の3カ月も前の、6月16日(旧暦5月の午(ウマ)の月)に行われるのも、 元々が、午餉(ゴショウ)ならば、午(ウマ)の月に行われるのは道理ですね。
・・・と言う事で、えらい説明が長くなりましたが、、、
「黑鼠喰牛腸(黒鼠牛腸を喰らう)」とは、、、
黒い鼠が、本来、大工が食べるはずの「昼餉(ひるげ)」を盗んで食べる・・・と言う意味です。
当時は、一日二食なのですから、「昼餉(ひるげ)」は特別に用意された食事です。
それを事もあろうに、「黒鼠」が掠めて食べてしまうのですから、溜まったものではありません。
ですが、この「黒い鼠」も知らない人にとっては、意味が分からないですね^^;
この部分は、実は、故事になっています。
正しく書くと、、、「(頭の)黒い鼠」なのです。
<頭の黒い鼠(あたまのくろいねずみ)>主人の金品をくすねる使用人のこと。
また、盗んだのは身近にいる人間だろうとほのめかすときにも使う。鼠は食物などを盗むことから、泥棒の代名詞にもなっており、
屋根裏に住み着くことから、同じ家の住人をさす。頭の黒いとは、頭髪が黒いことから、人間のこと。
金や物がなくなった時、この家の人間が盗んだと暗にいうことば。
中世では、東寺の「主人を幸せにする白鼠の弥兵衛の物語」が有名ですけど・・・
この反対の意味で、黒鼠が使われたのかもしれませんね。
と言う事で、「黑鼠喰牛腸(黒鼠牛腸を喰らう)」とは、、、
同じ家の住人で、使用人であるはずの身分の者が、
家普請に招いた、大工が食べるはずの特別食の「昼餉(ひるげ)」を盗んで食べる
・・・と言う意味です。
ですから、下記の部分は・・・
黄鷄代人食(黄鶏人に代わりて食み)
黑鼠喰牛腸(黒鼠牛腸を喰らう)
黄色い鶏が人に代わってものを食べ、
黒い鼠が牛の腸を喰らった。
天皇家が追いやられ、武力で天皇に取って代わった武士の対等が言い表されており、
かつ、その台頭した武士も、同じ家の使用人によって、取って代わられる事象が述べられています。
日本の古代で言うならば、これは武力がモノをいった室町-戦国時代でしょうか。
同じ家の使用人が取って代わって、、、という事象は、何となく、下記でも見られますね。
「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、すわりしままに食うは徳川」
【「御代の若餅」 一猛斎芳虎画 (早稲田大学図書館所蔵)】
と言う事で、「黒鼠牛腸を喰らう」までで、
徳川が最後に、美味しい昼ごはんを掻っ攫っていった様子を表しているように思います。
ここまでで、下記の赤枠部分までの解読が終了しました。
まだ、先は長いですね^^;
後半は非常に難解なので、もう少し時間が掛かります^^;
▼最近↓古典研究のためにコレ買いました。凄く高かったです(TT
続き⇒蜘蛛の預言⑥~『野馬台詩』の文章を読み解く!(後半2)~
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