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2017年8月10日
※過去記事を文章追加して、新たに書き直しました!
久しぶりのサイト記事追加になりますが、、、
これまで、続きが書けなかった『野馬台詩』の預言の謎解きを書きます。
なぜ、続きが書けなかったのかと言うと、、、
ある程度、時代が進まないと、解読できないということがあったからです^^;
これまで約1年間、続きを書いてなかったので、
多分、以前からの『野馬台詩』預言の謎解きを忘れてらっしゃる方が多いと思います。
そういう方は、過去記事を読んで流れを読みとって頂けると助かります^^;
前回までの記事は、下記をご覧下さい。
さて、、、
赤枠で囲まれた部分の文章の読み解きは、過去記事を見て頂くとして、、、
最後の1/4(赤枠で囲まれてない部分)は、未だ我々が体験してない未知のゾーンです。
つまり、下記の部分です。
百王流畢竭(百王の流れ畢(おわ)り竭(尽)き)
猿犬稱英雄(猿犬英雄を称す)
星流飛野外(星流れて野外に飛び)
鐘鼓喧國中(鐘鼓国中に喧し)
靑丘與赤土(青丘と赤土と)
茫茫遂爲空(茫茫として遂に空と為らん)
百王の流れはついに尽きて、
猿や犬が英雄を称した。 流星が野外に飛び、
(戦いを告げる)鐘や鼓が国中に響いた。
大地は荒れ果て、
果てしない世界は無に帰した。
まぁ、見て頂くと分かる通り、非常に厳しい時代を示す部分なのですが、、、
現在の時点で予測されうる、『野馬台詩』の残り1/4を解読していくことにします^^;
さて、、、後半1/4の部分は、まず百王というのが、鍵を握る訳ですが、
以前も述べたように、百王は、前半部の「百世天工に代る」の百に対応しています。
▼野馬台詩には、「百」が二つある
したがって、「百王」は、天皇家の血筋の意味である事は明らかです。
ただ、、、ここで注意しなければいけないのは、現在の天皇陛下は125代目である事です。
▼第125代天皇 今上天皇 明仁
なので、既に百代を越えてしまっています。
この点を、一体、どのように考えれば良いのでしょうか?
実は、これを考える上で、管理人に興味深い示唆を与えてくれた本がありました。
それは、下記の武智鉄二氏による野馬台詩研究の本です。
まぁ、約40年前に書かれた本なので、現代ではあまり参考にならない部分も多いですが、
一つ管理人に示唆を与えてくれたのは、、、
百王というのは、第二十六代の継体天皇から数えて百代ではないか?
・・・という氏の指摘でした。
継体天皇は、第二十六代天皇で、応神天皇5代の末裔とされている人物です。
ハッキリ言って、それまでの天皇家とは血縁も希薄な赤の他人と言っても良い人物です。
▼継体天皇の像
参考:Wikipedia 継体王朝(近江王朝)について
そんな天皇家とは縁もゆかりもない人物が、突如として天皇家を引き継ぎました。
しかし、この継体の皇統は、現在まで途切れる事無く現在も続くと考えられており、
継体天皇から数えた天皇家は、今上天皇で百代目です。
管理人は、この継体天皇から数えて百代という、武智氏の指摘に賛同します。
それは何故かというと、、、
『野馬台詩』とそれの元になる『吉備大臣入唐絵巻』のサブストーリーには、
継体天皇から百代をスタートさせると、ほめのかしている部分が散見されるからです。
▼吉備大臣入唐絵巻
吉備大臣の物語については、過去の記事を参考にして頂くとして、、、、
実は、吉備大臣の物語にこそ、百王の語句を読み解くポイントが隠されているのです。
その箇所とは、吉備大臣の物語において出てくる下記の3箇所です。
1.「野馬台詩」で、東海姫氏の国(周王朝の末裔)と書かれていること
2.「文選」を読めという難題を出されたこと
3.「野馬台詩」の解読に長谷観音(長谷寺)に祈っていること
では、次に、百王の意味を理解するために、それぞれのポイントを解説していきます^^;
管理人は、先に、下記の記事で、東海姫氏の「姫氏」とは、
古代中国の周王朝(紀元前1046年頃-紀元前256年)の王族を指すと述べました。
参考:蜘蛛の預言③~「東海姫氏の国」とは何処だ?~
そして、その姫氏の流れは、周王朝の太祖の長子で、
呉を起こした太伯(泰伯)にも受け継がれています。
そして、大事な事として、『梁書』(636)の諸夷伝の東夷の項には、下記の文章が有ります。
<『梁書』倭国伝>
倭者、自云太伯之後。俗皆文身。
去帶方萬二千餘里、大抵在會稽之東、相去絶遠。倭とは、自らは太伯の後裔だという。俗は皆、身体に刺青をする。
帯方郡から一万二千余里、おおよそ会稽郡の東に在り、互いに絶海の遠方である。
つまり、倭とは古代中国では、太伯の末裔の国、、、
要するに、呉の末裔の国と考えられていたようなのです。
そして、これをヒントにして、、、
吉備大臣の物語に出てくる「文選」を読んでみて下さい!
・・・と言っても「文選」は膨大な書物なので、全部は読めません(^^;
ですが、この「文選」の中でも、呉に関する部分だけをピックアップすると・・・
[文選巻第五 賦丙 京都下 呉都賦(左思))]が真っ先に出て来ます。
(全文は、漢語で分かり辛いですが、こちらをご覧ください)
それで、この文章には、太伯から始まる呉の流れが書かれているのですが、、、
実は、この文章の後半には、しっかりと継体の文字が出てくるのです!
(呉都賦の後半部分)
「其居則高門鼎貴,魁岸豪傑。虞魏之昆,顧陸之裔。
岐嶷繼體,老成奕世。
(その居は、すなわち高い位にあって、体躯が大きい豪傑である。
虞魏の子孫、顧陸(呉の四姓の顧氏・陸氏)の末裔である。
背が高く堂々とし、皇位を継ぎ、経験と年功を積んで、代々世を重ねる)
上記のように、予想もしなかった「継体」の文字が、
文選の呉について書かれた部分に示唆されているのです!!!
管理人は、ここに、東海姫氏と呉の始祖である太伯の血流、
さらに、継体との関係を疑わずにはいられません。
そして、こう考えると、、、
吉備大臣入唐絵巻のストーリー自体も、「野馬台詩」解読に深く関わっている可能性が高い!
・・・という結論に到る訳です。
そして、ここまでが、先に挙げた、
ポイントの1と2のヒントから読みとれる部分です。
・・・
・・・
では、最後にポイント3の、
なぜ、「野馬台詩」の解読のために、吉備大臣は長谷観音(長谷寺)に祈ったのか?
これについても考えていきます。
長谷寺は、奈良県桜井市の初瀬山の中腹に建てられているお寺です。
寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、
僧の道明が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に
三重塔を建立、続いて神亀4年(727年)、僧の徳道が東の丘(現在の本堂の地)に
本尊十一面観音像を祀って開山した、、、らしいです。
▼長谷寺
そして、下記が、その本尊の十一面観音像です。
吉備真備が『野馬台詩』の解読に祈った長谷観音とは、この観音様と言う事になります。
では、、、
この十一面観音像には、一体、どんな謂れがあるのでしょうか?
これを調べると興味深い事が分かってきました。
実は、この十一面観音像木は、、、継体天皇の出身地の霊木が使われているのです!
この辺の詳しい事柄は、下記のブログに詳しく書かれてあります。
長谷寺十一面観音像を造った霊木の地
上記ブログより引用させて頂きますと、、、
「高島地方の古代史話」より昭和46年発行より
第45代聖務天皇のころ、高島郡音羽庄三尾山の岳観世音付近に楠の大樹があった。
ある年大雨出水によりその大楠が根子そぎ洗い抜かれて、
音羽渓から音玉川(小田川)を流れて湖水に流出した。
大楠は流れて大津の浜に漂着した。そこでこの大楠を拾い上げて養老四年(720年)に大和に運び、観音像を二体彫んで
一体は大和国長谷寺のご本尊とし、一体を流出した地の音羽庄に持ってきて、
大和と同名の長谷寺を建立してご本尊としたと伝えられている。大和国の長谷寺の縁起絵巻にも長谷観音の御依木運搬を守護する
「三尾明神」が老翁の姿で描かれている。
長谷寺本尊の十一面観音の御衣木となった霊木は、
近江国高島郡三尾前、志賀郡大津浦、大和国高市郡八木里、
葛下郡当麻郷を経て長谷郷に来たと伝わる。
伝菅原道真筆「長谷寺縁起文」より
継体天皇の517年、近江国高島郡三尾前山の白蓮華谷に伏す
10余丈(30-60メートル)の楠が洪水で流れ出し、
志賀大津浦に69年、八木衢(ちまた)に30余年、葛下郡当麻郷に50余年、
城上郡長谷郷神河浦に39年とどまり、
720(養老4)年、徳道聖人が十一面観音像を造立したと記す。
このように、この長谷寺の創建には観音像が深く関わっており、
しかも、この観音像は、滋賀県高島郡三尾出身の継体天皇と繋がりがあるのです。
・・・
・・・
このように考えますと、、、
「野馬台詩」の百王の語句は、第二十六代の継体天皇から数えて百代ではないか?
・・・という冒頭の推測は、かなり的を得ているのではないでしょうか?
今現在、天皇陛下の退位問題が色々騒がれていますが・・・
継体から数えて100代目の第125代の今上天皇陛下の退位は、あと、1年弱に迫っています。
その時こそ、、、
『百王の流れはついに尽きて、猿や犬が英雄を称した。』
・・・この新しい時代が始まるのかもしれません。。。
⇒続き:蜘蛛の預言⑧~『野馬台詩』の文章を読み解く!(後半4)~
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