>>当サイトの管理人は、こんなモノを買ってます(管理人のamazon購入履歴)
2015年2月23日
以前の続きで、、、『野馬台詩』についての謎解きをします。
漢文は、管理人も不慣れなもので、解読は非常に難しいです。
なので、かなり時間がかかってますが、、、ご容赦を^^;
前回までの記事は、下記をご覧下さい。
応援クリックして頂けますと、、、多分、更新スピードが一寸あがりますm(__)m
⇒ 人気ブログランキング
では、前回の前半の続きで、、、『野馬台詩(やまたいし)の中身』を精査していきましょう。
まずは、もう一度、一通り、テキストや読み下し文、一般的解釈を載せます。
▼野馬台詩(野馬臺詩)
▼野馬台詩の読み方(東がスタート地点です)
※赤字は韻です。五言古詩は偶数句の底に韻が入る
東海姫氏國(東海姫氏の国)
百世代天工(百世天工に代る)
右司爲輔翼(右司輔翼と為り)
衡主建元功(衡主元功を建つ)
初興治法事(初めに治法の事を興し)
終成祭祖宗(終に祖宗の祭りを成す)
本枝周天壤(本枝天壌に周く)
君臣定始終(君臣始終を定む)
谷填田孫走(谷填りて田孫走り)
魚膾生羽翔(魚膾羽を生じて翔ぶ)
葛後干戈動(葛後干戈動き)
中微子孫昌(中微にして子孫昌なり)
白龍游失水(白龍遊びて水を失い)
窘急寄故城(窘急故城に寄る)
黄鷄代人食(黄鶏人に代わりて食み)
黑鼠喰牛腸(黒鼠牛腸を喰らう)
丹水流盡後(丹水流れ尽きて後)
天命在三公(天命三公に在り)
百王流畢竭(百王の流れ畢り竭き)
猿犬稱英雄(猿犬英雄を称す)
星流飛野外(星流れて野外に飛び)
鐘鼓喧國中(鐘鼓国中に喧し)
靑丘與赤土(青丘と赤土と)
茫茫遂爲空(茫茫として遂に空と為らん)<日本語訳>
東海にある姫氏の国(日本?)では、
百世にわたって天に代わり(人の治める国になった)
左右の臣下が国政を補佐し、
宰相が功績を打ち立てた。
初めはよく法治の体制を整え、
後にはよく祖先を祀った。
天子と臣下は天地にあまねく、
君臣の秩序はよく定まった。
(しかし、)田が埋もれて貴人が逃げまどい、
なますに突然羽が生えて飛ぶ
(下克上の時代になった)
中頃に衰え、身分の低い者の子孫が栄え、
白龍は水を失い、
困り果て異民族の城に身を寄せた。
黄色い鶏が人に代わってものを食べ、
黒い鼠が牛の腸を喰らった。
王宮は衰退し、
天命は三公に移った。
百王の流れはついに尽きて、
猿や犬が英雄を称した。
流星が野外に飛び、
(戦いを告げる)鐘や鼓が国中に響いた。
大地は荒れ果て、
果てしない世界は無に帰した。
前回までで、日本の戦国時代を示すと考えられる、
「黒鼠牛腸を喰らう」まで解読し終えた訳ですが、、、
今回も、その続きを解読していきます^^
なお、くれぐれも言っておきますが・・・
ここで述べる解釈は、あくまで、管理人の妄想による解釈です。
なので、間違えてる可能性も多分にあります。
その辺を考慮して、「こういう解釈もあるよ・・・」程度に留めておいてくださいね^^;
では、今まで述べている通り、この野馬台詩は、「二行が対になっている」ので、
後編も、二行ずつ見ていく事にしようかと思いましたが・・・
この後半の半ばの文章では、、、読み方の上でも、注意が必要になってきます。
と言うのも、、、下記の連続する2箇所の部分を、ちょっと見比べてみて下さい。
丹水流盡後(丹水の流れ尽きて後)
天命在三公(天命三公に在り)
王宮は衰退し、
天命は三公に移った。
百王流畢竭(百王の流れ畢(おわ)り竭(尽)き)
猿犬稱英雄(猿犬英雄を称す)
百王の流れはついに尽きて、
猿や犬が英雄を称した。
上記の連続する部分では、「流」の字が、文章の同一の場所にあります。
さらに、「盡(尽):つきる」と「畢+ 竭(尽):おわりつきる」は、ほぼ同じ意味です。
また、「天命在三公(天命三公に在り)」も、「猿犬稱英雄(猿犬英雄を称す)」も、
同一の構文になっており、この箇所は、2文-2文の1対になっています。
※ちなみに、公(コウ)と雄(ユウ)は、韻になっています
と言う事で、下記の4文は、一つの流れで考えた方が良さそうではあります。
しかし!ここが重要なポイントなのですが・・・
「丹水流盡後 天命在三公」と「百王流畢竭 猿犬稱英雄」
この二つの文が、同一の事(歴史事象)を、繰り返し述べているとは限らないのです。
と言うのも、この短い野馬台詩の中に、2回も繰り返し同じ意味(歴史事象)を載せるか?
と考えたら、、、、そんな事は、ハッキリ言って文章の無駄だからです。
(それに、ここまでの箇所で、歴史の重複箇所は全くありませんので)
そういう書き手の思惑までをも、含めて考えると・・・
似ていても、別々の事象を言い表している可能性が高いのではないか?、、、と思うのです。
従って、「丹水」≠「百王」の可能性が高いと管理人は思っています。
・・・とまぁ、それを踏まえて、今回の中身を解読していきます^^;
まずは、それぞれの文章を見て行きましょう。
丹水流盡後(丹水の流れ尽きて後)
天命在三公(天命三公に在り)
百王流畢竭(百王の流れ畢り竭き)
猿犬稱英雄(猿犬英雄を称す)
王宮は衰退し、
天命は三公に移った。
百王の流れはついに尽きて、
猿や犬が英雄を称した。
上記において、「丹水の流れ」と「百王の流れ」の一対の文章がある訳ですが・・・
このうち、百王は、前半部の「百世天工に代る」の百に対応していると思われます。
▼野馬台詩には、「百」が二つある
したがって、「百王」は、天皇家の血筋の意味である事は明らかです。
ただし、、、「丹水」という言葉が分からない。。。
Wkipediaでは、この部分は「王宮は衰退し、」と訳されてますが、丹水=王宮なのでしょうか?
それもどういう経緯で訳されたか良く分からないので、
細かい所まで、この「丹水」の意味を精査していくことにしました。。。
この「丹水」を、中国古典で調べていくと、、、、
その用例の多くの場合は、中国神話の伝説的な五帝の一人堯(ぎょう)が丹水の浦で、
異民族(三苗部族)の討伐をした事が出て来ます。
▼堯(ぎょう)
しかし、この「丹水」の用例は、完全に川の固有名称ですので、、、
「野馬台詩」にある(百王に対応するような)「丹水」とは、少し異なると思われます。
それで、他の用例を探してみると、中国の古文書の「淮南子(えなんじ)」の地形訓で、
神泉の記述とともに、、、下記のように書かれてました。
<「淮南子(えなんじ)」の地形訓>
縣圃、涼風、樊桐の三山は崑崙山のショウコウ門の中に在る。
これが、その疏圃(そほ ※野菜畑のこと)である。
疏圃にある池には黄水が注ぎ込んでいるが、
黄水は三周巡って水源に戻る、これを丹水(たんすい)といい、
これを飲めば不死を得る。
河水(黄河)は昆侖の東北の隅を水源とし渤海に至り、
かつて禹が黄河の流れを導いた積石山から(渤海に)入る。
赤水は崑崙山の東南の隅を源流に、西南に流れ、南海の丹沢の東に注いでいる。
赤水の東に弱水があって、窮石山を出て合黎に至っている。
その支流は流沙に流れて、地下を流れて南流し南海に達する。
洋水はその西北隅を源流に、南海の羽民国の南に注いでいる。
上の四つの河川(河水・赤水・弱水・洋水)は、天帝の神泉である。
この水は百薬を調和し、万物を潤している。▼五龍祭が行われた神泉苑(京都市中京区御池通神泉苑町)
※ここの記述の、黄水の3周りや、四方の4つの川は、
おそらく「天3=陽の正位」「地4=陰の正位」に対応しているのでしょう
うーむ。。。
これを見る限り、どうやら、崑崙山から流れ出ている河川として黄水があり、
この川が、山を三回巡って水源に戻ると不死を得る丹水になるみたいです。
▼崑崙山脈(※崑崙山は西王母の住む山で有名)
そういう意味を考えると、「丹水流盡後(丹水の流れ尽きて後)」とは、
「"不死を得られる川の流れ"が潰えてしまった後」という意味になりそうです。
ここで「黒鼠牛腸を喰らう」が、戦国時代までの流れだった事も、併せて考えると、、、
時代的には、「丹水の流れ=不死を得る川の流れ=徳川」 ではないでしょうか?
▼徳川家康
ちなみに、徳川家は、元々、今川家に仕えた三河の松平家が発祥ですが・・・
この松平家は、清和源氏の新田氏の支流である得川(えがわ)家の後裔だそうです。
祖先は、上野国新田郡得川郷(現在の群馬県太田市徳川町)の出身だったのですが、
得川親氏の時に、三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の松平信重の娘婿となり、
松平姓を継いだそうです。
それが、1566年に従五位下三河守の官位を得たときに、松平から徳川に改姓したようです。
『徳川幕府事典』によると、徳川の名は、清和源氏系の得川(えがわ)をもじったものであるそうです。
まぁ、このように、徳川になる前には、
下記のように変遷をたどっているようなんですね。
新田氏の支流の得川氏 ⇒ 今川家家臣の松平元康 ⇒
(1560年の桶狭間の戦いを契機に独立) ⇒1566年に三河守となり徳川家康に
しかし、得川氏や今川氏、
さらには三河守となって、徳川となると、、、やたら「川・河」が目に付きますね。
こうやって考えると、徳川家にとって、「川(水の流れ)」は凄く象徴的なものと考えられます。
ただ、最終的に「徳」の字を充てたのも、気にかかります。。。
実は、丹水を調べていて気付いたのですが・・・
「山海経」にも、「丹水」について書かれている部分があります。
そして、、、ここには、同時に、「徳」の漢字も出現しているんですね。。。
<「山海経」の南山経より>又東へ五百里、丹穴の山といい、其の上に金玉多し。
丹水ここより出て、南流して渤海に注ぐ。鳥が居る、その状は鶏の如く、五彩(色)で文(あや)あり。名は鳳凰。
首の文を徳といい、翼の文を義といい、
背の文を礼といい、胸の文を仁といい、腹の文を信という。この鳥たるや飲食はありのままに、われと歌い、われと舞う。
これが現れると天下は太平である。
このように、徳川の「徳」は、鳳凰の首の紋様の「徳」も考慮されているかも知れません。
なお、この鳳凰の文様は、「智」だけを除いて、五行の五常(五徳)とまるっきり同じであり、
「水徳の智」の代わりに、鳳凰の首の文様は「徳」になっています。
川が象徴的な徳川家にとって、、、
丹水(不死)の流れが出る「丹穴の山」に住む鳳凰の徳(水徳)を頂くことは、
徳川家繁栄のための大きな布石・・・だったのかも知れませんね。
三河守になったタイミングで、「徳川」と改名したのも象徴的です。
まぁ、その成果があったのか分かりませんが、
徳川幕府は、1603年-1868年まで、265年間も続く、異例の長期政権となります。
したがって、「丹水流盡後(丹水の流れ尽きて後)」は、、、、
徳川幕府の流れが、尽きた後・・・と解釈するのが良さそうです。
2/24追記:松平から徳川に変わった理由とは?
後で分かった事ですが、松平元康の「元康」の字は、
前漢の元号の元康(げんこう)(紀元前65年 - 紀元前61年)の漢字と同一です。
前漢の第9代皇帝の宣帝は、元康の元号は、前年に五彩の神雀が長楽宮に
集まったので、元号を、元康⇒神雀(神爵)と改変してます。
さらに、その後の神雀4年に「鳳凰五たび至る。因って以て改元す」とあり、
元康⇒神雀(神爵)⇒五鳳と元号が変わっています。
多分、松平元康の「元康」が、中国の前漢の元号と同じだと言う事を知っていて、
その出世にあやかって、鳳凰に因んだ「徳」を苗字に入れたのではないでしょうか。
※ちなみに上記は、吉備大臣の持ち帰ったと言われる『文選 賦篇』の序文に、それが書かれてました。
前述のように考えると、、、その続きも分かってきますよね^^
「天命は三公に在る」と言うのは、江戸時代に続く、明治時代以降の話です。
"不死の水"が流れ尽きた後に、天命は三公に在る
なお、上記の「天命」とは、元々の原義では、天の"命令"と言う意味です。
すなわち、野馬台詩の最初に、「百世天工に代る」と書いているように、、、
「天に代わって、国や人民を治めよ」というのが、天の命令です。
本来は、「人王(天皇)が天に代わって国や人民を治める」のが、天命なのですが・・・
ここでは、「天命は三公に在る」と書かれてしまっています。
したがって、完全に、天皇の統治権は、、、三公に移ってしまっていると解釈できます。
でも、「三公」って何でしょう?
Wikipediaによると、下記のように書かれています。
周においては、太師、太傅、太保の3官職が三公と呼ばれていた。
秦や前漢では行政を司る丞相(大司徒)、軍事を司る太尉(大司馬)、
監察・政策立案を司る御史大夫(大司空)の3官が三公と呼ばれ、
後漢以降は司徒、司空、太尉と名を改められた。ただし、魏の頃にはすでに実権を尚書などに奪われ長老の名誉職と化していたらしい。
魏志高柔伝には「三公を月二回参内させるほか
天下の事件について意見を聴取するよう改めるべき」という上書が引用されている。やがて三省六部の制が整えられるに及んで三公は名誉職となり、
時代によっては再び太師、太傅、太保の3官職が三公とされることもあった。日本では、律令制における太政官の長である太政大臣、左大臣、右大臣のことを指す。
のちに右大臣の下に内大臣が置かれると、常任の官ではない太政大臣を外して、
左大臣、右大臣、内大臣のことを指す例もあらわれたが、江戸時代に
禁中並公家諸法度が制定されると内大臣を含まず太政大臣を含むものと定義付けられた。
上記を勘案するならば、、、三公とは大臣職である!と見て良いでしょう。
江戸時代は少なくとも、大臣になれたのは公家だけであり、
その大臣も、江戸時代においては、全く何も実権がありませんでした。
しかし、(初期の明治政府は、天皇親政で別格ですが)その後の治世においては、
軍天皇の力がどんどん衰え、大臣が、国の治世を司るようになっていきます。
▼昭和天皇の1946年(昭和21年)11月3日、日本国憲法に署名
そして、第二次世界大戦後は、日本国憲法で、完全に、天皇は象徴化され、
国の政治とは一切無関係な存在とされ、、、実権は、総理大臣が担う事になりました。
まさに、『丹水流盡後(丹水の流れ尽きて後)天命在三公(天命三公に在り)』です。
しかし、、、その状態にあっても、今も天皇家は存続しています。
ですので、その次の文章からは、、、
我々が、まだ経験してない未知の部分と考えられるのです。
丹水流盡後(丹水の流れ尽きて後)
天命在三公(天命三公に在り)
百王流畢竭(百王の流れ畢(おわ)り竭(尽)き)
猿犬稱英雄(猿犬英雄を称す)
王宮は衰退し、
天命は三公に移った。
百王の流れはついに尽きて、
猿や犬が英雄を称した。
文章を図で見ると、今までの説明で、全体の3/4を終えたと言う事になります。
これを見ると、まだ1/4残っている、、、とも見て取れるかも知れませんが、、、
それは、ちょっと早計です。
なぜなら、野馬台詩の始まりの部分に置いては、、、
『東海姫氏國(東海姫氏の国)百世代天工(百世天工に代る)
右司爲輔翼(右司輔翼と為り)衡主建元功(衡主元功を建つ)』
ここまでが、ほぼ一つの文章の塊として認識しなければいけない部分だからです。
※文章構成としては、最初と最後は、多くの語句を費やすのが普通ですね
だから、終わりも最初の対称系になっている事を考慮すると・・・
我々には、あまり時間が残っていない、、、かも知れないのです。
そういう事も考慮して、、、
野馬台詩の残りの1/4は、何を示しているのか?
(この先は、未知の部分と考えられますが)引き続き考察してみたいと思います^^;
⇒続き:蜘蛛の預言⑦~『野馬台詩』の文章を読み解く!(後半3)~
PS.
余談ですが、今回の記事を書いてる途中で、かなり気になったキーワードがありました。
それは、徳川氏の「●●」です。答えは、人気ブログランキングのその先に・・・
↓この記事が「良かった!」と思った方はクリックお願いします♪
↓この記事が「良かった!」と思った方はクリックお願いします♪
▼当サイト管理人が厳選してオススメする、3つの備蓄必需品▼
5年保存冬眠米・無洗米の備蓄王 | |||||||
約5年間の長期保存が可能です。無洗米でもあるので、 国民1人・1年当たりの米の消費量は約60kgです。 |
KATADYN(カタダイン) 携帯浄水器 Pocket Micro Filter ポケットマイクロフィルター |
|||||||
主食のお米を確保した後は、水の確保が重要です。 カタダイン・ポケットフィルターはフィルター寿命50000リットルと、他の浄水器と比べ、段違いの性能を誇ります。 人が一日に必要な飲料水は、2.3リットルなので、大家族でも、 カタダインさえあれば、多くの水需要をカバーできます。 ちなみに、アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁が推奨する緊急時の水の備蓄量は3日分で、 基本的に1人につき1日1ガロン(約3.8リットル)と定められています。 つまり、3日分なので1人につき約12リットルです 移動時や携帯用には「Vestergaard(ベスターガード) 」もオススメ。また、水の携行ボトルなら、「Platypus(プラティパス) 」もおすすめ。 KATADYN(カタダイン) 携帯浄水器 Pocket Micro Filter ポケットマイクロフィルター 海外正規品・並行輸入 |
昔塩 1人10kg(700g×14袋)程度 |
|||||||
お米と水の次は、”塩”です。砂糖が無くても生きていけますが、塩は生命維持に関わります! 塩分が摂取できなくなると、人はめまいやふらつきを覚え、脱力感、筋肉異常、けいれん、精神障害など様々な朔影響を及ぼします。 日本の食用塩の需要は一人年間で約10kgです。 なお、昔塩は、香川県坂出市で作られているこういう特殊形状の塩です。 |
※結局は、日本人がいつも神棚に祀る「お米・水・塩」の3つを確保することが、人間が生きる上で重要な訳です^^