終焉という名の謎の鳥③~「羽根ライン」を作ったのは誰か?~:不況対策!個人でも有効な方法



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2014年1月11日


終焉という名の謎の鳥③~「羽根ライン」を作ったのは誰か?~

※あくまで、当記事は管理人の妄想ですので悪しからず


前回までの記事で、日本という国の終わりを示す漢字、、、
「終焉」の意味について、解説しました。



本来ならば、前回の最後に指摘したように、
日本の国鳥である雉に関連する「雉も鳴かずば・・・」
の物語の謎解きをしようかと思ったのですが、少し予定を変えます。


本日は、2014年の1月11日ですので、それにちなんだ話をします。
悪しからずご了承くださいm()m


羽根ラインが存在する理由とは?

先日、「終焉という名の謎の鳥①~終わりは何を示すのか?~」と言う記事を書きました。

その中で、下記のように、日本の東経137.2度付近に、
羽根(羽)」地名が、異常に多く存在する「羽根ライン」が存在すると述べました。



(上図は布施泰和氏の『「竹内文書」の謎を解く―封印された超古代史 』を元に作成)


「羽根」地名のグーグルマップ

そして、その記事で、管理人はこう言いました。

」という文字が「糸の終わり(伊都之尾羽張)」を暗示するように、
日本の終焉を見越して、こうした仕掛けが施されているのではないか、、、と。



さらに、前回の「終焉という名の謎の鳥②~焉は何を示すのか?~」の記事で、
管理人は、終焉の「焉=(正しい鳥)」はから進化したであることも示しました。



実は、ここまで解けてくると・・・
「羽根ライン」そのものも、より深く解けてくるんです。


羽根ラインに隠されている「鳳=朱鳥」

ここで、先ほどの「羽根ライン」の"上端と下端"に良く着目してみて下さい。
何と書かれてありますか?

そう、、、実は、羽根ラインの上端には、ちゃんとが示唆されているのです。
(石川県鳳珠郡(ほうずぐん)能登町羽根)

元々は、2005年3月1日以前は、この地域は、鳳至郡(ふげしぐん)能都町でした。
それが平成の大合併で、隣の珠洲郡と合併して、現在の鳳珠郡(ほうずぐん)になりました。


少し面白いのが、隣の珠洲郡内浦町と一緒になったため、鳳がを持ったことです。

『毛詩陸疏広要』によると、鳳凰のうち赤いのを鳳、青いのを鸞、
黄色いのをエンスウ、紫のをガクサク、白いのを鵠、、、と鳳凰でも色で分けられています。

珠の「朱(あか)」を持ったことで、文字通り、朱い鳥(鳳)になった訳ですね^^;


【余談①】

「羽根」ラインの途中に富山県高岡市がありますが、「高岡」の地名は
『詩経』の「鳳凰鳴矣于彼高岡(鳳凰鳴けり彼の高き岡に)」に由来します。

これは、前田利長が築城と開町に際して名づけた瑞祥地名ですが、
これも「」を暗示している、、、のかもしれません。


【余談②】

石川県鳳珠郡能登町羽根の北には、「羽根」を持つ地名はありません。
代わりに宝立山がありますが、こちらは、能登最高峰の宝達山とは別物です。
(モーゼの墓があるのは宝達山(宝達志水町)の方なので、お間違えなく)

宝立山の周辺は、白山信仰の地元だけあって、
菊理姫を祭る白山神社が多いのは目につきますが、
それ以外は、特にめぼしいものは何もありませんでした。



さて、もう一方の「羽根ライン」の下端ですが、、、
こちらは、愛知県田原市赤羽根です。

こちらも、実は、赤い羽根ですので、
鳳が赤い羽根を持つ事を、暗示している可能性があります。


このように「羽根ライン」は鳳が関わっている可能性が高いように思います。


1/13追記:

さらに、このラインには、土岐市があることが分かりました。
トキは、漢字で書きますと、【朱鳥】になります。

後述しますが、朱鳥も鳳凰地名の一種と思って良いでしょう。

あと、気になったことに、飛騨地方には、なぜか闘鶏楽(鳥毛打)や鳥芸など、鳥に関する習俗が、非常に多く残っています。

▼鳥芸(岐阜県高山市奥飛騨温泉郷福地)



紀貫之の「土佐日記」の1月11日の段

ちょうど、今日が、1月11日だからって訳でもないんですが、、、

ここで、紀貫之の「土佐日記」の1月11日の段を紹介します。
(旧暦1月11日は、2014年新暦では2/10に相当します)

よくご覧ください。


<「土佐日記」1月11日 室津>


十一日。暁に船を出だして、室津を追ふ。
人みなまだ寝たれば、海のありやうも見えず。ただ月をみてぞ、西東をば知りける。
かかる間に、みな、夜明けて、手洗ひ、例のことどもして、昼になりぬ。

今し、羽根といふ所に来ぬ。わかき童、この所の名を聞きて、
「羽根といふ所は、鳥の羽のやうにやある。」と言ふ。

まだをさなき童の言なれば、人々笑ふときに、ありける女童なむ、この歌をよめる。
まことにて名に聞くところ羽ならば飛ぶがごとくに都にもがな
とぞ言へる。

男も女も、いかでとく京へもがなと思ふ心あれば、
この歌、よしとにはあらねど、げにと思ひて、人々忘れず。

この羽根といふ所問ふ童のついでにぞ、
また昔へ人を思ひ出でて、いづれの時にか忘るる。

今日はまして、母の悲しがらるることは。下りしときの人の数足らねば、
古歌に「数は足らでぞ帰るべらなる」ということを思ひ出でて、人のよめる
世の中に思ひやれども子を恋ふる思ひにまさる思ひなきかなと言ひつつなむ。


<現代語訳>

十一日。まだ夜が明けないうちに船を出して、室津を目指す。
一行の人たちはみんな寝ているので、暗くて海の様子も見えない。
ただ月を見て、ようやく西東の方角を知った。

そうこうしているうちに、夜が明けて、手を洗い、
いつもの決まりごとなどして、昼になった。

今、羽根という所に来た。幼い子供が、羽根という地名を聞いて、
「羽根という所は、鳥の羽のようなものなのかしら。」と言う。

まだ幼い子供の言葉なので、人々が笑っているときに、
例の女の子が、こんな歌を詠んだ。

「本当に、羽根という名の所が鳥の羽ならば、
飛ぶように京に帰りたいものだなあ」
と言った。

男も女もなんとかして早く京へ帰りたいと思う心があるので、

この歌は、それほど上手ということはないけれども、
「なるほどそうだ」と思って、人々はこの歌を忘れませんでした。

この羽根という所をたずねた子供をきっかけに、
また亡くなった人(=死んだ女の子)を思い出してしまった。
いつになったら忘れられるのだろうか。

今日はいっそう、(亡き子の)母(=貫之の妻)が悲しがっていることだよ。

京から土佐に下った時の人数に比べ、(京に帰る人数が)足りないので、
古い歌に「人数が足りなくなって帰るからなのだろう」というのを思い出して、

「あれこれ考えてみても、この世で亡き子を恋い慕う
親の情にまさる想いは、他にありはしないのだ」と言いながら嘆くのでした。


どういう訳かは分かりませんが、、、ここで、「羽根」なる地名が出て来ます。

偶然なのか、、、それとも、何か示唆しているのか?

・・・それは管理人も何とも判断が付かないところです。


「羽根ライン」との関連性は、全くないのかもしれませんが、、、

この部分で、「京に帰りたい」と言う想いと「亡き人を忍ぶ」想いが、
描かれていて、管理人的に、ちょっと気になっています。


古今和歌集の仮名序などを見ると、紀貫之は、相当、神道にも精通しています。
ですので、彼なりに、「土佐日記」を通して、何か伝えたい事が、あったのかもしれません。


「羽根ライン」を作ったフィクサーは誰だ?

さて、この記事の最後に、、、
「羽根ライン」を作った人物が誰なのか?」について、少し考えてみたいと思います。


結論から言いますと、「終焉」の言葉と「羽根ライン」とを対応させているならば、、、
この壮大な仕組みを計画したのは、「聖徳太子(厩戸皇子)」だと思います。

(また、その計画実行に、ブレインである秦河勝も深く関わっていると思います)


古代において、日本の国造りをする上で、「羽根」の地名を意図的に構築するには、
巨大なネットワークを構築できる一族でないと、出来ない取り組みです。

そして、日本の古代において、その壮大な取り組みを為すことが出来たのは、
豊富な財力を持ち、日本全国に、多くの神社群をも築いた秦氏一族だと思うのです。
(※秦氏以外にも、その同族と見なされた賀茂族の影響も大きいと思われます)


さらに、「羽根」地名は、白山周辺に多いのですが、
白山信仰の中興の祖になっているのも秦氏系三神氏の泰澄です。

彼らが現在の羽根地名の構築に関わっている可能性も否定はできません。

以上のように、こうした財力やネットワーク面から考慮すると、、、
聖徳太子と秦氏とが、壮大な国仕掛けを施した可能性が非常に高いと言えます。


旧一万円札に隠された意図

でも、このように言っても、納得されない方も居ると思います。
そこで、もう一度、一万円札をよく考えてみて下さい。

現在の一万円札の人物は、
天は人の上に人を作らず」でお馴染みの福沢諭吉ですが・・・


その前の一万円札で描かれていた人物は、誰だったでしょうか?

・・・それは下記の人物です。


▼旧一万円札
(発行開始日 1958年(昭和33年)12月1日 支払停止日 1986年(昭和61年)1月4日)


そう。「聖徳太子」なんです。


さらに、この聖徳太子は、手に笏(しゃく)を持っているのが分かります。
これも、実は羽根ラインの中央の「位山」と縁が深いものです。


▼位山

位山の名前の由来について、朝廷に位山のイチイを笏の材料として献上した際、
この木が一位の官位を賜ったことから、「木はイチイ、山は位山

・・・と呼ばれるようになったという説があり、
現在でも天皇即位に際して位山のイチイの笏が献上されている。


一方、旧一万円札の裏面には鳳凰があり、透かしに法隆寺夢殿が描かれています。


聖徳太子は、この法隆寺夢殿にて、預言をしたと言われています。
その預言が、日本の終焉までを預言した「未来記」や「未然紀」です。


このように考えれば、「終焉」という言葉を用いて、何かを示すとすれば、
それは、「聖徳太子」でしかあり得ないと管理人は思うのです。


旧一万円札で、この法隆寺夢殿が透かしに描かれたり、鳳凰が描かれているのは、
今考えると、その後の現在の一万円札までの布石だったように思います。


▼八角円堂の法隆寺夢殿(国宝)
(堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置する)

▼夢殿の中央にある救世観音像(国宝)


ちなみに、夢殿の中央にあるのは、世の人々の苦を救うとされる救世観音像です。
(救世観音像は大阪の四天王時にもあります)

この、夢殿の救世観音像は、聖徳太子の姿を映したとされます。
その像が両手で持つのが、人々を病や苦しみから救ってくれる宝珠
「摩尼宝珠(まにほうじゅ)」です。


この摩尼宝珠からは、なぜか火炎が立ち上っていますが、、、
恐らく、これは伏見稲荷を初め、稲荷系の神社で良く見られる火炎宝珠(如意宝珠の一種)と同一です。

▼火炎宝珠


なぜ、宝珠から火炎が立ち上ってるのか?
・・・というのも、考えてみると面白いかもしれませんね。


【余談】

ちなみに「火柱宝珠」と関係あるのかわかりませんが、、、
隋書倭国伝に、こう記述があったりします。

(下記は、聖徳太子が送った遣隋使を迎えた「隋」に残る記述です)



阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。
如意寶珠、其色青、大如雞卵、夜則有光、云魚眼精也。


▼日本語訳

阿蘇山があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、
俗人はこれを異となし、因って祭祀を執り行う。
如意宝珠があり、その色は青く、雞卵のような大きさで、
夜には光り、魚の眼の精霊だという。


参考:『隋書』倭国伝より引用


まぁ、少し横道にそれましたが、、、

以上のように、一万円札のデザイン経緯からも、 聖徳太子が「羽根ライン」と関わっているような気がして、ならないのです。


「終焉」と日本の元号

以前に、管理人は、、、
日本の元号は、未来の預言になっている、、、と以前指摘しました。

石川倉二氏によると、近年の元号には、下記のようなメッセージがあると言います。


明治 - 大正 - 昭和 - 平成

日と月が治め、大いに正す。
日が和に召され、一八十(岩戸)成る。


参考:石川倉二氏のサイト


ですが、、、ここで、よく考えてみて下さい。

日本の慣用句で、「初めがあれば、終わりあり」と言います。
聖書的に言えば、「わたしはアルファであり、オメガである。」とも言います。


要するに、初め=終わりは、等しい関係にあるわけです。


そういう意味で、日本の元号の始まりを考えてみて下さい。


ここに、日本の元号の一覧がありますので、
ご自分の目で、よくご確認下さい。


▼wikipedia 日本の元号


これで、雉(白雉)が鳳(朱鳥)に大化けするのが分かったのではないでしょうか。
そして、これらの時代の事を、飛鳥時代と言い、飛ぶ鳥を暗示させているのです。


こういった日本の歴史を使って、壮大な仕組みが出来るのは、
少なくとも、元号の使用が始まった大化時代(645年~)よりも前の人間ある必要があります。

そう考えると、、、
やはり、聖徳太子が、この日本に国仕掛けを施した、と考えるのが妥当だと管理人は思います。


そして、同時に、聖徳太子は厩戸皇子とも呼ばれ、
キリストとの類似が指摘されているのは、周知の事実です。

ここまで見えてくると、ようやく、次の「雉も鳴かずば・・・」の話ができます(^^;
次回は、「雉も鳴かずば・・・」についての謎解きです。



⇒続き:雉も鳴かずば撃たれまいに① ~日本人が背負った宿命~


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