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2015年3月 3日
表題のとおりなのですが、管理人は、昨日、前々から行きたいと思っていた、
福井県小浜市の『お水送り』の神事に参加してきました^^
この『お水送り』は、毎年3月2日に行われる神事で、
奈良東大寺二月堂で行われる『修二会=お水取り』(毎年3月12日)の10日前に行われています。
関西の人なら、一度は聞いた事があるであろう神事ですが、
遠方からも多くのツアー客も来ていたりして、凄い盛り上がりでした。
今回は、そんな『お水送り』の由来や意味を、管理人の視点から考察するとともに、
実際に行われた当日の様子を、写真を交えながら、紹介していきたいと思います♪
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『お水送り』の神事は、夜18:30頃から行われますので、、、
少し空き時間があったので、若狭姫神社にお参りに行ってきました。
▼若狭姫神社
この若狭姫神社は、古来は若狭郡遠敷(おにゅう)村遠敷の地に在り、
若狭三郡の中央に位置し、「若狭彦神社」とともに祭祀の中心だった所です。
▼若狭姫神社
境内には、能舞台があったり、北前船の模型があったり、相撲の御免札が飾られていたり、
さすが、若狭国でも随一の格式高さのある神社であることをうかがわせる内容ですね。
『続日本紀 』にも、、、
『宝亀元年(770年)八月一日、日蝕があった。(中略)
幣帛と赤毛の馬二匹を伊勢大神宮に奉納した。
また、若狭彦神と宇佐八幡の神宮に鹿毛馬を奉る』とあり、、、
どうも、この神社は、日食の太陽回復の儀式で、特に重要視されたようです。
(鹿毛馬なのは、火の色をした赤毛馬に準じたものであるらしい)
ちなみに余談になってしまいますが・・・重要なので書いておきます。
この宝亀元年(770年)の八月一日は、称徳天皇が亡くなる三日前です。行幸翌月の3月半ばに発病・病臥し、そこから百日余り天皇は政務を執っていません。
称徳天皇は、重病状態で、この時、重病の称徳天皇に近づけたのは、
女官の吉備由利(吉備真備の娘)だけだったと『続日本紀 』に書かれてます。この時の最高権力者は、左大臣の藤原永手、右大臣の吉備真備です。
道鏡は称徳天皇の崩御まで、会うことはありませんでした。つまり、実質、この若狭彦神に、鹿毛馬を奉る"勅令を出せる"のは、
天皇と唯一接する事の出来た吉備由利と、吉備真備だけだったと思われます。8月2日に敦賀気比神宮と能登の気多大社に幣帛を奉納
8月4日に称徳天皇の崩御、8月21・22日に道鏡と弓削浄人(道鏡の弟)を遠流、
9月7日には、(左大臣の藤原永手との政争に負けたのか)吉備真備が辞表提出この時の称徳天皇⇒光仁天皇への交代期には、多くの政争があった事が伺えます。
ちなみに、織田剣神社の梵鐘は9月11日の銘文もあります。
参考:「阿波忌部氏と織田剣神社に隠された秘密この時期、やたら、若狭や越前、能登方面に勅使が多いのは気になります。
あと、野馬台詩の謎解き関連で、ついでに言っておくと、、、
「右司輔翼と為り」の右司は、
この時、右大臣まで上り詰めた、吉備真備を指して言っているのでしょうね。
ちょっと、余談が過ぎましたが・・・
この若狭姫神社にあった、一つの資料をお見せいたします。
それを見れば、この『お水送り』の意味が分かりそうなものですよね。。。
すなわち、五芒星は、陰陽道の最たるものであり、
若狭は、飛鳥京・平城京・平安京の三都の真北にあたる場所でもあります。
この真北であることが重要で、
通常、北は子の方角で、水を表しますが・・・
その一方で、子の方角は、全陰の亥(坤為地)⇒一陽の子(地雷復)へと、
一陽を宿す場所でもあるのです。
だから、逆説的ではありますが、、、
陽神である太陽(天皇)の復活を願うには、
この北方に、陽となる兆しの呪物(鹿毛馬)を治めるのが良いと見なされた
・・・と考えられるのです。
▼鹿毛馬(茶褐色で鹿の毛のような馬)
また、こういう視点で見ていくと、、、
この地で行われている『お水送り』も、その性格が分かってくるのです^^
と言う事で、以下は、その『お水送り』の様子の写真です^^;
若狭姫神社にお参りしたあと、若狭彦神社に行くまでの間に、
お水送り参加者用の臨時駐車場がありました。
車は、そこで駐車しておいて、ココからはバスで行きます。
(バス代は、往復で200円です)
▼臨時のシャトルバス
このバスで、若狭彦神社のさらに1kmほど奥、、、「神宮寺」にまで行きます。
(若狭彦神社でお水送りが行われる訳ではありません)
「神宮寺」は、一般的に、神仏習合に基づき、神社に附属して建てられた仏教寺院です。
このバスに乗ると、パンフレットを貰えるのですが・・・
▼バスチケットとパンフレット
このパンフに、お水送りの詳しい式次第などが書かれてあります。
まぁ、興味ある人は見て下さい。(クリックで拡大できます)
バスで、遠敷川の川沿いを走り、「神宮寺」にまで行きます。
▼バスから見た遠敷川
10分くらいで、神宮寺の麓に到着。
ここからは歩きます。
道には、下記のようなかがり火が煌煌と燃えています。
▼神宮寺に向かう山道
▼かがり火
由緒書きを見ると、、、
この神仏両道の神宮寺は、元名天皇の和同七年(714年)開創の古いお寺のようです。
(吉備真備の時代には、既にあったお寺と言う事になりますね)
▼神宮寺の由緒書き
根本中堂の手前の広場まで行くと、テントが幾つかあり、
ここで、色々な商品が売られています。
▼根本中堂の手前の広場
ここで絶対買わないといけないのは、「手たいまつ」です。
一本1500円です。高いですが、これが無ければ、お水送りに参加できません(苦笑
▼手たいまつ売り場
手たいまつは、真ん中に縄を巻いた木を四方の添え木がまいてあるものです。
四方の添え木には、後で、マジックで願い事を書きます。
▼手たいまつ
「国土浄化」は、放射能にまみれたお国のため、、、
「良縁成就」は、、、完全に自分のため、、、うーん、どっちも( ノД`) カナシイネ
売店では、当日限定の「鵜の瀬まんじゅう」1個300円も売ってました。
小豆餡と白あんがあって、お味の方は、まぁまぁですね。
▼鵜の瀬まんじゅう
とまぁ、なんだかんだいって、根本中堂に到着。
まだ、18時頃で、外は明るいですが、、、
夜になったら、ここの前庭の大護摩壇で、火が焚かれる事になります。
なんとなく、、、モリゾーに似てるような気も(笑
▼火の木(檜)で覆われた大護摩壇
▼大たいまつ
・・・思ったより長くなったので、『お水送り』(前編)はここまで。
明日、また、『お水送り』(後編)の模様をお送りします^^;
続き⇒福井県小浜市の『お水送り』に行ってきました(神宮寺編)
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※結局は、日本人がいつも神棚に祀る「お米・水・塩」の3つを確保することが、人間が生きる上で重要な訳です^^